【未成年】 | ゴンの徒然ノート

ゴンの徒然ノート

一人の人間として、女として、母として、介護士として
時に迷い、泣き、笑い、
そして「よろこんで あきらめて 運命とよばれるものにノックダウンされよう!」

テーマ:
とある方から紹介していただき
イアン.マキューアンの【未成年】を
読んだ。

輸血拒否をしている未成年のJW2世と
その裁判を担当することになった
女性判事の物語

頭の中に広がった世界を言葉にする術がない
私には、到底その世界観を伝えることは出来ないので、興味のある方はぜひ読んでみてほしい。


輸血拒否という命の問題から拡がる波紋。
一人の女性判事、一人の妻としての主人公の
人生。
そして、彼女が下した判決。
悲しい結末。

信仰、宗教、生きること、人生、人間の性、
人の弱さや脆さ、複雑な心の機微、夫婦とは
愛とは......
そんなことを読むものに深く問う小説だった。

読後に深い余韻を残すと思う。



私にとっては、ちょうどこの季節は、母が輸血をせずに亡くなった日のことを思い出す季節。
以前に「アカダニの出るころ」という記事を書いたことがある。

藤の花の香りとともに思い出す5月のあの日。

母の病室の窓から、病院のロータリーの
藤棚を見下ろしながら、意識のない母に
よく話しかけた。
藤の花が好きだった母に
その香りが届くように。

なぜあの日だったのか。
なぜ母と信仰を同じにする姉ではなく
私が母のそばにいたあの日だったのか。
今もたまに考える。

当時1歳になったばかりの長男を
膝に乗せて、医師からの非情な宣告を
聞いた。

医療委員会から紹介された病院だったが
命を救う使命をもつ医師にとっても、それは
苦渋の選択だっただろうと思う。

息子を膝に抱き、ベランダを動く赤い小さな
アカダニを見ながら、医師からの宣告と
最終決断を迫る声を、どこか遠くで
聞いていた。


母の「信仰」と母の「命」
そのどちらかを今選べと言うのか。

それは何度も母から聴いた母の願いでもあったし、姉妹3人で何度も話し合ったことだった。

だからと言って、輸血をしなければ明日には
命はないと言われて、即答など出来る訳もない。

もしこれが、今膝に抱いている息子だったら
私は間違いなく「輸血をして下さい」と
即答するだろう。
私には、既にそこまでの宗教上の信念も信仰もない。
でも、当人である母の信念と信仰という壁がある。
もし輸血をして、命が延びたとして
それを知った母は、その後どんな思いで
残りのJW人生を生きるのか。
だからといって、「命」より重いものはない。
「命」があっての信仰ではないのか。
でも40年貫いた信仰を、私の手で水の泡にできるのか。

頭の中を巡り続ける色々な葛藤。

そこには、
母になった私。
母の子供としての私。
JWだった頃の私。
JWを辞めた私。
色々な私がいた。

とにかく一刻も争う、そんな時
人は弱くもあり、強くもなる。

そして、母の信仰と信念を最後まで
貫かせてあげようと思った時の、
「絶望」は今でもたまに
フッとよみがえることがある。

自分の手に握られた「母の命」を
自分がその手で手放したと思った時の
思いは言葉では表現ができない。

今、私はその決断を悔いてはいない。

しかし
もう結果は出ていることだけど、
人は信仰の為に命を捨てるべきなのか
ということは、これから先もきっと
私の中で結論は出ないだろう。
この重い記憶が昇華されることも
きっとないだろうと思う。

命をかけた信仰というテーマについては
「沈黙サイレンス」や「神のゆらぎ」でも
考えさせられる部分だった。

こんな重いテーマではなくても
人は、色々な理念や信念や価値観などの中で
自分の中の幾重にも重なる思いや立場や顔を持ち、
時には揺れ動き、理性や正義だけでは
割り切れない部分に折り合いをつけて
生きていく。

正しいか間違いかだけで
生きられないからこそ
見える景色あり、聞こえる音がある。

そんなことを考えた小説だった。

ぜひ二極の世界から抜け出したJWに
読んでみてほしい小説だった。