「原点」再確認の旅....かな | ゴンの徒然ノート

ゴンの徒然ノート

一人の人間として、女として、母として、介護士として
時に迷い、泣き、笑い、
そして「よろこんで あきらめて 運命とよばれるものにノックダウンされよう!」

テーマ:
今週末、姉と妹と久しぶりに会う為に地元に帰ることになった。

みんな揃って会うのは、久しぶりのことなので、楽しみ~口笛

そのことで、今日姉と電話で打ち合わせをしていた。

楽しく電話で話をし、電話を切る間際に姉が、思い出したように
「日曜日、うちの兄弟がちょうど公開講演なんだけど、聞きに来ない?」と。

日曜日は予定を入れていて、その日は
3.11の翌日だし、父の命日も近いから
父と兄が入っているお墓のある、私の故郷の方に足をのばそうと思っていた。
しばらく掃除をしていないから。


姉に義兄の公開講演に誘われ、なぜか即答が出来なかった私。
一応、予定は伝えた。

久しぶりに義兄の公開講演を聴いてみたいとも思った。
もうこれが最後のチャンスかもしれないとも思う。
義兄とは、開拓者学校も同期だったが、人間味のある人で、わかりやすくものを教えるのに長けている人で、昔から彼の講話は好きだった。

それと同時に、生まれ故郷の会衆から移り、たった4年弱しかいなかった会衆だけど、
懐かしい人たちの顔を見たいとも思った。
分解、統合を繰り返し、知ってる顔も少ないらしいが.....
そりゃそーだ!もう四半世紀近くも前なんだから^_^;

16歳から、組織を離れた20歳過ぎまでいたその会衆は、私よりちょっと年下から、幼い子が多い会衆だった。
物珍しさと、ちょっとお姉さんということで、慕ってくれるかわいい女の子たちがいた。
集会の度に、「ゴンちゃん姉妹へ」と
ドレスを着た女の子のイラスト入りお手紙をくれた女の子もいた。
その手紙は、今も大切に取ってある。
その子が唯一まだ会衆にいると聞いて、会いたいとも思った。


私のJWとしての思い出は、決して嫌なものばかりではない。
以前にも書いたが、そこは生まれた時から
いた故郷だから。
小さいときには、可愛がってくれる姉妹たちがいて、家に泊まりにいかせてもらったり、一緒にお風呂に入ったり、たくさんの良い思い出と記憶がある。
生まれた故郷の会衆には、そんな姉妹たちや一緒に暑い日も寒い日も歩いた幼なじみたちもいる。

今から9年前、母の告別式の時。
私はそんな幼なじみたちに本当に久しぶりに会えたのがとても嬉しかった。
みんな、それなりの年齢になってはいるけど、面影は変わらず、あっという間にタイムスリップした。
大方の幼なじみたちは、母の死を悔やみつつ、でも会えた嬉しさで笑顔を見せてくれたし、私が組織を離れていることを知っていても、気さくに話しかけてくれた。

でも、やはりそうではない人たちも多かった。
私と目を合わせない人もいたし、話しかけたら目が泳ぎながら、逃げ腰の人もいた(笑)
母が病院から自宅に戻った日、告別式の打ち合わせにきた、長老2人とその奥さんたちは、あきらかに私を避けた。
お悔やみの言葉すらなかった。
「あっこんにちは」以上(^0^;)


過去に自分も排斥された人に対して、してしまったことのある行為が、今自分がその立場になり、回ってきたのだと思った。


これはあの組織の中では「組織を離れた人」の扱いなのだ。
今はもうそのことについて、とやかく言うつもりもない。
昇華というより、消化(笑)は出来ている。


ただ今回、そんな微妙な空気を感じつつ
いくほど、公開講演を聞きたいのだろうか?と考えた。

もう組織の教理にも教義にも、なんの魅力も感じない。
きっと聖書の言葉を、「組織への従順」に
結びつけるような適用の言葉なんかを聞いたら、両腕に鳥肌が立つかもしれない(笑)
それぐらい、もう私の中ではJWは「過去のもの」なのだ。

ただ、その「原点」である場所への
自分の思いを、この目で見て、しっかり感じて、再確認してきたいという気持ちもある。
答えはわかっていることだけど。

きっと、私は昔からしっかり実感しないと
成長出来ない人間だから、ブログぐらいで
昇華したなんて言ってないで、ちゃんと向き合ってこい!という事なのかもしれない。



日曜日に、お墓に行く!と電話で伝えた時には、なんにも言わなかった姉から
「お墓の掃除に行くの?それともお参りにいくの?」と、メールがきた(;^_^A

まだ返信はしていない。
公開講演のお誘いの返事もしていない!

でも、答えは決まった.....かな?( ^^)/