雑話111「モネの白内障」 | 絵画BLOG-フランス印象派 知得雑話

雑話111「モネの白内障」

晩年のモネは白内障に苦しみました。


モネが視力の低下に気づいたのは1908年のことでしたが、その後14年間も治療しませんでした。


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白内障の手術後、ベッドに横たわるモネ

それはモネが白内障の手術を恐れていたからですが、1920年代では手術は非常に困難で、また回復には苦痛を伴い、視力を取り戻すまでにも長い時間がかかったのです。


実際、印象派時代の仲間であるドガとカサットは最後には視力を失っていましたし、有名な風刺画家のドーミエも同じような状態で手術を受けましたが、失敗に終わっていたのです。


1920年代初頭になると、モネは色が識別できず、絵具の色をチューブに表示してある色名で選ぶようになっていました。


白内障がモネの視界を濁らせ、黄色から茶色へとまるで汚れた眼鏡をかけているような状態にしていたので、モネの色彩の認識に影響を及ぼしていたのです。


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クロード・モネ「バラ園から見た画家の家」1922年

※白内障の影響で色彩の認識が狂い、画面が黄色っぽくなっています

しかし、モネは片目の視力を失い、もう片方の目も10%しか見えないようになっても、手術を決心するには、家族と友人の熱心な説得がなければなりませんでした。


ようやく受けた手術は成功しましたが、術後のモネは両腕を脇につけ、両眼を完全に包帯で覆い、頭は動かないように砂袋で固定された状態で、仰向けに静かに寝ていなければなりませんでした。


この状態は10日間も続き、その間モネは薬草茶と澄まし汁以外のものは一切口にすることを許されませんでした。


白内障は取り除かれましたが、問題が2つありました。


一つはものの形がゆがむことでした。これは眼鏡に慣れてくることで徐々になくなりました。


しかし、もう一つの問題である色彩のゆがみは、画家にとっては深刻でした。


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クロード・モネ「バラ園から見た画家の家」1922-24年

※白内障を除去したせいで、すべてが青く見えた頃の作品

モネは白内障によって自分が正しくない見方をしていることには気づいていましたが、黄色いレンズが青のスペクトルをさえぎっているのを補うために、色の知覚がどの程度まで変化しているかはわかりませんでした。


そこで、白内障が取り除かれたとき、色彩の尺度を調整するのに、しばらくの時間がかかったのは避けがたいことでした。


その時の状態をモネは赤や黄色は見えず、何もかもが青く見えることにひどく苛立ちをおぼえると言っています。


上の青っぽい「バラ園から見た画家の家」はこの時期の作品の典型的なものです。


モネにとっての不本意な「青の時代」は数ヶ月間続き、その後黄色がかったレンズのついた眼鏡を使うことによって、色彩のゆがみはある程度矯正されました。


しかし、両目が白内障にかかっていたにもかかわらず、片目しか手術しなかったせいで、モネはもはや両目で見たときのように描くことはできず、モネの絵は奥行きの感覚をいくらか失うことになったのでした。