二日続けて筑後地方の大牟田のことを記事に書きました。今回も筑後地方の話題にします。最近、久しぶりに大牟田のお隣の柳川市の名門進学校である県立伝習館高校出身の知人に会いました。私は、後でネットで『伝習館高校』と検索したら『伝習館事件』という言葉が出てきました。初めて聞いた言葉なので調べて見て驚きました。正直言って当時の生徒が可愛そうに思える口あんぐりな左翼教育の恐ろしい実態がそこにあったからです。
簡単に言えば、昭和40年代の半ばに極左の社会科教師三人がとんでもない偏向授業を行い懲戒免職を受けます。それを不服とした教師達が起こした一連の訴訟です。この事件の起きた背景には当時の真っ赤かな福岡県内の高校教育事情がありました。昭和42年までは、福岡県内の高校は、実質は、日教組の息のかかった県高教組の教員に牛耳られた職員会議に校務の運営がなされていた状態でした。校長は、県高教組の推薦又は承認しないとなれない状態だったのです。
しかし、昭和43年にこの県高教組を通さない校長人事が大部分の高校で行われました。もちろん、県高教組も黙ってはいませんでした。着任拒否闘争をおこしたのです。内容は、いわゆる有給休暇を思いっきり取るという形のストライキです。このストライキ騒ぎに件のアカ教師の達は参加していてこのため戒告や減給1ヶ月の処分を受けているいわくつきの人物達だったのです。だから、新しく赴任した当時の伝習館高校の校長は県高教組に睨まれまともに監督できない状態でした。
そんな中、昭和44年一学期末頃に件の極左教師達が教科書を自分達の思想に合わないとばかりに使わず、まともに定期考査を実施せず一律評価を行い自習時間を多く取るという出鱈目なことをしてるということを知り再三にわたりまともに授業をするように注意をします。そして同年11月に福岡県教育庁は、上記教師達の授業の自習時間が多いこと等を訴える匿名の投書及び電話を受けました。それを受けて教育庁は調査をします。
校長は、同年二学期松に生徒からこの県教育庁の右調査についての所見等を求められます。校長は、翌昭和45年一月の三学期の始業式の際に見解を表明することを生徒に約束します。また職員会議においては県教育庁の右調査は不当な介入であるとの決議がなさます。教育庁は、校長に対して生徒への説明を取り消すように迫ったが校長は聞き入れなかったのです。というよりもアカ教師とそれに扇動された生徒を指導監督できない事態に追い込まれていたのでしょう。
この後、同年二月ごろにまず偏向教師どもを糾弾する、「柳川伝習館高校を守る会」準備委員会在東京委員会名義の二月アピールと題する文書が県教育庁関係者、伝習館高校の教諭、父兄、同窓生らに対して多数郵送されました。この二月アピールに対抗して、同窓会有志名義で「伝習館を支持する会」なるものも結成され、右五教諭を擁護するビラを配布し、以後双方から数多くの文書が配布されました。右二月アピールを契機として、伝習館高校内は動揺したのです。
伝習館高校は同年三月一日卒業式を迎えたが、福岡県教育委員会教育長(以下「県教育長」という。)代理が告辞の朗読を始めるや、一部の生徒が「拒否」と書いた横幕を掲げ、やじを飛ばし、校歌斉唱の際労働歌を歌うなどして、式場は騒然となりました。同年三月の福岡県議会において、伝習館高校の諸問題について質問があり、同校の一部教師が生徒に対して偏向した政治的教育を行っているとの指摘がされました。
県教育長は、前記二月アピールの真相、卒業式の混乱等については調査結果を待って必要な措置をとり、学校の管理運営及び生徒指導の適正化についても必要な措置をとる旨等を回答しました。さらに西日本新聞の同年五月一八日付夕刊は、「引きさかれた教育」と題して、伝習館高校における偏向教師達の授業を変わった授業として報じられました。その後県教育庁は、伝習館高校の関係諸帳簿の分析、生徒及び卒業生からの事情聴取等の調査を行います。
その結果を県教育長に報告しました。県教育長はこれらの調査結果等に基づいて偏向教師達に懲戒免職処分の提案をし県教育庁は、同年六月六日に彼らを懲戒免職処分にしたのです。これに対して三人の偏向教師は、懲戒処分を不服として裁判を起こし内二人は、一旦でた懲戒処分を昭和59年に取り消されます。しかし県教育庁は今度は、その懲戒取り消しの取り消しを求めて上告します。結果は、平成2年に懲戒取り消しは、また取り消されるという結果で終わりました。
今回の最大の争点は学習指導要領の法規性、つまり要領が教師の教育活動の適法性の有無を判断する根拠になりうるかにありました。最高裁は法規性を認めたのです。日教組はこの3名の教師が日教組内でも最左派であったこと、生徒の保護者に支持を受けていなかったことなどからこの3名の教師を支援しなかったのです。つまり、以上のことから最終的には、県教育庁側の勝利となったということのようです。
さて、その教師の指導内容がこれが本当に酷すぎます。ある教師は、日本史や地理の授業で既定の教科書を使わず唯物史観による時代区分とか階級闘争の話や中ソ論争と毛沢東やスターリンの思想とかを教えて(もちろん中ソ両国の成立からの思想史も入る。)これに対してレポートの提出で試験の代用としているのです。他にも日本奴隷経済史という有史以来国策として奴隷を使用したことの無い我が国の実情を大いに曲げまくった授業を行ったりしています。
また、ある教師は政治経済と倫理社会の教科書いずれも自分の思想と合わないという理由で数頁しか教えず独自教材を使いました。三年生の政治経済では、一学期には期末考査を実施せず、これに代えて三間中から一間を選択させてレポートを提出させ、提出した者は一律六〇点、提出しなかった者は一律五〇点と評価しました。二年生の倫理社会について三学期に考査を実施しなかったりしたのです。また生徒の出席には甘かったとのことです。
正直言って極左教師どものあきれ果てる行状に本当の口あんぐりとなってしまいました。こんな授業は、、左翼人間養成講座と言って良いです。どこの北朝鮮かと言う世界です。そりゃこんな教師に扇動されたら高校生が労働歌を歌ったり校長先生に対して脅迫的な行動を起こすことは、自明の理です。私が生徒の保護者なら間違いなく懲戒免職を求めたくなる教師として決して認めたくない輩です。本当に当時の伝習館高校の生徒が気の毒になってきます。
因みに私が高校生だった昭和50年代後半頃の福岡の県立高校にはここまで酷いド赤教師は、いなかったとは、思えます。しかし、国内には、日教組の力が大きすぎて公立高校に保護者が行きたがらせないところもまだまだあります。そんな所の高校では、この伝習館高校の生徒のような目に遭っている可愛そうな生徒がまだまだいることでしょう。早くこのような生徒がいなくなるように日教組の撲滅をお願いしたいものですね。