こんにちは。
ママの実践ギフテッド教育のHiromiです。
ここ連日、たくさんの方がご訪問くださっており、ありがとうございます。
また、反映を希望されていないコメントやメッセージもいただいており、私はすべて目を通しておりますので、しっかりみなさんの気持ちを受け取ってまいります。
さて、本日、いただいたコメントに、raraさんという方からこんなご意見?をいただきました。
ハンドルネームを載せると、誹謗中傷とカウントされて記事を消されるようなので、伏せますね。
”
私はギフテッドの子供はいません。ごくごく普通の子供がいます。が、アメリカの大学受験をネットサーフィンしている時に〇ーちゃんのママのブログに出会いました。子供を愛してその才能を一生懸命伸ばしておられる姿に感銘を受け、以来たびたびお邪魔させてもらってる者です。その〇ーちゃんママのブログであなたのブログを知りました。
本当に毎回毎回〇ーちゃんママやそのほかの方たちの悪口だけでうんざりします。〇ーちゃんママも不快に思っている人がいると思うと書いていた通り、私の周りにもあなたのブログにうんざりしている人たちがたくさんいます。〇ーちゃんママとそのお友達以外の誹謗中傷を受けたことがないとおっしゃってますがそれは間違いです。
きちんとした大人のブログとは思えません。ただただ〇ーちゃんママに嫉妬し目のかたきにし揚げ足をとっているだけのブログでなんの目的で書いているのでしょう?
〇ーちゃんママのブログは愛する息子を一生懸命にに育てている子育てブログです。誰か特定の人に向けてのブログではないことは一目瞭然です。
私は〇ーちゃんママを知りません。ですからそのお仲間と思わないでください。ただ第三者の私から見てもひどすぎるので筆をとらずにはいられませんでした。
もう一度しっかりと〇ーちゃんママのブログを読んでみてください。そこには才能の恵まれた素晴らしい子供を愛するお母さんがいるだけです。”
お言葉を返すようで大変申し訳ございませんが、コメント者のraraさんは、教祖の私への悪口で私をお尋ねになられたのですね。
私が教祖や信者の方々から散々、悪口を言われてきたことは問題ないけれど、危害を受けた当事者が悪口を言われている事実を公開し”念返し”をしたら、私が悪者だというお考えであるならば、お子さんが虐めにあっても、虐められている事実に黙って我慢して耐えなさいということでしょうか?
私を誹謗中傷するのは、教祖や信者以外でも他にもいらっしゃるということですが、そのように目に見えない人がいるのなら、ご自身が見えていない教祖や信者の悪事もしっかり目を開けて読むべきではないかしら?
私のブログにウンザリしている方がいるように、私の周りでも、教祖や信者のブログにウンザリしている方が大勢いることはどうでもよいのでしょうか?
どっちの意見もあって当然なんですよ。
お子さんを愛する親は、教祖だけではありません。
私やコメント者も子供を愛しているのですよ。
そして、世の中には、無条件に子供を愛せない親もいるのです。
コメント者さんは、きっと子供を愛せない親を酷い親だと簡単に決めつけてジャッジするお人なのでしょうね。
子供を愛せない親こそ、なにかの問題や助けを要しているのですから、子供を愛せない親=酷い親、最低な親と決めつけるほうが私は恐ろしいです。
教祖や信者は、みなさんがコメントを閉じておられるから、余計に、不満が募るのだと思います。
一方的に主張をするだけなんですから。
私のブログにうんざりしてしまうなら、読まなきゃ良いのでは?
ギフテッドの子供の親にとってはウンザリしてもいいから、なんとかギフテッドの情報がほしいとあちこちを漂流してこられるのだと思います。
だから、あちらの信者の方々は、こそこそとウンザリする私の記事を盗み読んでは、ウンザリする批判や反論記事をこっそり影でウンザリ掲載してくるわけですね。
raraさんは、アメリカの大学受験のために〇ーちゃんママのところに辿り着いたそうですが、発達障がいがあるお子さんのために、教祖のブログに感銘しているというバイアスはございませんか?
捨てハンドルで、ご自分のバイアスをもとに、私が嫉妬をしている、〇ーちゃんママを目の敵にしている、揚げ足を取っているとご意見をしておりますが、私は、それをあちら様に何年もずっとされてきているので、”念返し”させていただいている次第です。
嫉妬・・・・それは、自分にないものを他者が持ち得ている状態で起こる人間の感情です。
私は、教祖や信者の方に嫉妬を感じることはありません。
自分にないものを他者が持っていても、私には私にしかないものがあるのです。
教祖は、障碍のないギフテッドについて語ることはなく、あくまで自分のお子さんのためのギフテッド情報としているので、それでは様々なギフテッドの子供の状態がわからないのです。
だから、私はいろいろなギフテッドの子供の情報を載せるわけですが、それをいちいち否定するためにあちらの方々が記事をあげてくるのは、なぜでしょう?
あきらかに、私への嫉妬として、無言の対抗心ではないでしょうか?
ギフテッドの映画でも、メアリーのタイプだけがギフテッドでは否定的な意見を記事にしているのは、なぜでしょう?それは、つまり、私の娘のような、障碍のない普通のギフテッドを侮辱したいからだと私は思います。
ギフテッドの全体でみたら、普通のギフテッドが多数です。
ところが、その多数の普通のギフテッドが稀とか、特に秀でているとか、PGなどと呼ばれるのですから、普通のギフテッドからみたら、事実とイメージのギャップに驚きます。
そんな稀なケース、凄いギフテッドとか世間にイメージされてしまった子供は、なにかにつけ注目され、結果を出せと様々な偏見を向けられ、完璧や達成を押し付けられるのですから。
メンタルハラスメントと言っても過言ではないのですよ。
〇ーちゃんママのお子さんは、そういう状態になってないから、他人事として簡単にそのような偏見のお話ができるんだと思いますよ。
ギフテッド当事者にとって、これほど迷惑な情報はありませんから。
教祖が「私の情報は参考になる情報としてありがたがられているのだから。」っと押し売りするのはやめてくださいと、頼んでも無視ですから。
犯罪をおかした障がい者の例を持ち出して、「アスペルガーの子供は危険だ。」とデマを流していている人がいたら、アスペルガーのお子さんの親にとって、障碍と犯罪は別のことだから、偏見を呼ぶような情報は出さないでほしいとお願いするのは、いけないことですか?間違っているとでも??
表のブログではっきりと私とわからないように濁しておられるようですが、私や森ガールは、名指しをされても構いませんよ。
だいたい、ハンドルネームなんて、本当の自分の名前じゃないんですから。
でも、あちらの方たちは、私の名前やハンドルネームを挙げなくても、あきらかに私のことだとわかることを書いているから、そこを見た人のなかには、批判している人もいらっしゃるし、わざわざ、私に教祖と信者がまた裕美さんのこと書いているよって教えてくださるわけですよ。
私が記事をあちこち読み漁ってエゴサーチしているわけじゃないので・・・・
そんな暇ないし!!
私に悪口を言われたなんて、自分たちの行動を棚にあげているそこからして、被害妄想というものです。
信者の方たちが、教祖様からありがたく伝授された情報を、キュレーションサイトで出していることなど、教祖も世間はわからないしご存じないですからねぇ~。
私はわかりますよ。元の情報を見てますから!!
私の活動を人を騙す悪徳セミナーなどと変わらないと呼んでおきながら、信者たちは、しっかり”集客”してお金儲けですか?
そうやって”集客”がしたいから、ブログ村でランキングに拘っているわけでしょう?
ブログ村の方は、そこまでご存じないから、私の記事、一ページから誹謗中傷の言葉を読んだぐらいで私を判断するしかないでしょうけどね。あはは!
で、教祖と信者の方たちは、私をなんとしてでも追い出したいわけですよ、宗教活動に邪魔だから。
私は、ここではハンドルネームを使ってますが、セミナーでは実名で活動しております。
教祖は、私や娘のことについて、信者の方々とコソコソと悪口を言って、私に指摘されるとコメントを見えないようにしたり、ブログを閉じて証拠が残らないようにしているのです。
巧妙なやり口だと思います。
教祖の趣味は、なにしろ、サイコパスの観察ですから、なぜ、サイコパスに興味があるのかを考えたら、自然とその行動も察しがつきます。
記事は、消したら証拠隠滅、それで完了ですからね。
誰にも気が付かない、バレないわけですよ。
そんなことを証明するために、裁判に訴えて勝利したところで、何百万円とお金かける意味があるのですか?
小さな誇りのために・・・・それとも、憎い私を倒して、お金をふんだくる為に訴えたいとか?
私は訴訟で白黒をつけるとか、そんなこと、バカバカしいと思いました。
なにより、それで傷つくのは、私や森ガールじゃなくて、相手のお子さんですよ。
せっかくお子さんの大学が決まり、新しい人生が開かれるというときに、私のちっちゃな誇りのために、なぜ、大切なお子さんの人生を私が壊す必要がありますか?
大人げないのは、私じゃなくて、教祖のほうだと思いますよ。
私は自分の子供が大切で可愛いから、よそのお子さんだって同じです。
障碍がないから可愛くて、障碍があったら可愛がれないなんてことはないのですよ。
それが母親の本当の姿なんですから。
状況の背景を見ていないraraさんのような人を心理的に操作するのは、簡単なのではないでしょうか?
虐めとは、元来、表にみえるようにするのではなく、影で、見えないように集団でやるから虐めだということはご存じですか?
間違った翻訳を指摘することのどこが誹謗中傷になるのでしょう。
間違った情報は間違っていると、なぜ、言ってはいけないのでしょうか。
”愛する息子のためだけの情報”だからこそ、それをギフテッドの情報として崇めなければならないのかと意見しているのです。
raraさんにとっての救いとなるブログが私に攻撃されている。
raraさんが大好きなブロガーさんが悲しい思いをしている。
だから、私が憎らしい。反論してやろうと行動するのがraraさんなのですよね。
ここがね・・・・
この教祖を支持する人と、
私の考えに共感する人(私を支持しているのではないです、あくまで私の一部の考えや行動に共感しているだけです。)の、
心の領域、物事の視野、実際の行動が格段に違うのですよ。
私の考えに共感している人たちは、みんな、教祖や信者の方々が私の悪口を言っているのを知っていても、なおも、そのお子さんたちを心から心配し、どうしたらいいんだろうね、何かしてあげられないかしら?と心から応援しているのですよ。
ギフテッドのラベルが無くなったら、どうなってしまうのかと・・・・
特別じゃない、普通の人として社会人になるとき、子供はどうなってしまうのかと・・・
ギフテッドだから鬱になりました、
自傷行為が増加しました、ギフテッドだから仕方ない、試練です、乗り越えましょうとはならないのですよ。
いろいろな心の感じ方が繊細だからこそ、そうした特別感や意識をできるだけ持たせないように育てないといけないというのに・・・・
あちらのお子さんを心配するその気持ちは、私もまったく同じですが、私が何か言えば、
「あんたに言われたくない。」「あんたに求めてない。」「あんたなんか要らない。」「あんたなんか消えろ。」「どうせ金儲けのために近づいてきている。」ですから。
それでいて、私の言葉が汚いとかなんとか・・・・どちらが言葉が汚いのかしら。
raraさんは、その現場にいて、そこを見てないから、教祖や信者の方は何もしていない、悪い事はしてないと判断するのは自由ですが、被害を被っている側は、自分がされたことはちゃんと覚えてます。
悪口を言った覚えなはい、証拠を見せろとかなんとかいうのは、往生際が悪いのではないでしょうか?
私は、自分がされて嫌だったことに対して、謝罪してほしいとお願いしましたが、その願いは叶っておりません。自分が私に対してしてきたことは、絶対に謝るもんか!ということのようです。
私の情報に対して、ギフテッドをまるでわかっていないあんたなんかに!と口汚く罵る教祖の罵倒は見逃しても、一方的な垂れ流し情報だけがわが子を愛する立派な母親として伝わっているわけですよね。
raraさんなどは、会ったこともない教祖や私に対して、簡単なネットの情報で人を攻撃しているギフテッド教の信者として、一番わかりやすい洗脳されたケースと言えるでしょう。
教祖様は、宗教ではないといってますが、ララさんのような信者をいっぱい増やしているから、私は、教祖と信者と呼んでいるのであって、間違いはありません。
教祖も、私を詐欺師と呼んでますから、詐欺師よりかは、教祖のほうが良いのではないかしら?
教祖や信者の方たちは、私のブログに不快になる理由は、たぶん、私が本当のことを言うからだと思いますよ。
ギフテッドとは、定義や特徴などで表現しなくても明らかな状態ですが、定義や特徴を当てはめないとわからない我が子がいるから、私に否定された、ギフテッドではないと侮辱された、名誉を傷つけられたとなるわけですよね。
そのようなことで自分が傷つくなら、ご自分たちが垂れ流している情報で、傷ついた子供や保護者の数を数えていただきたいです。
自分がされたことばかりをカウントしないでください。
教祖や信者の方々がギフテッドの定義や特徴というものを繰り返し、繰り返し、記事に拡散していますが、それを唱えてないと自分の子供がギフテッドだとわからないのですか?
ギフテッドは、一部のお子さんだけの、特別な能力ではないのです。
ただ、教祖や信者の方たちが言う、ギフテッドの異なる脳の状態というのをみたとき、それは障がいの状態で、ギフテッドの状態ではないのです。
ですから、そこの障碍をギフトとするところに、多くの方が混乱を招き、迷惑だと言われている原因ですよ。
この迷惑というのは、障碍という困難について、簡単にギフトだなんだと言われても、それが心の負担になるケースもあるのだから、勝手に障がいには隠れたギフトがあるから頑張ってと、人の領域に土足で入り込まれたら、それを迷惑に感じるのは、当然の権利だと思いますよ。
で・・・・ここで私は教祖への弁護として、ここ何年とがんばって個別にお話をしてきております。
そこで、障碍によってその子の持つ能力が見えなくなってしまい、ギフトが育てられない、伸びる芽が妨げられてしまうということを仰っており、私もそこに共感しております。
そして、私はそのことについて、ギフテッドの可能性というのは、発達障がいだけではない、すべての障碍や病気を抱えているお子さんの保護者に見ていただきたいと意見をしているのですよ。
このことは、アメリカのギフテッド教育でも全体としては、そういう流れはあるのであって、特別に高い能力の子供だけを選定するためのプログラムになっているとは私はおもわないし、差別をしているプログラムだとは思いません。
ところが、教祖は、いやいや、2Eの障碍は、発達障がいや自閉症の場合で、他の障碍者ではありませんということを意見しだしたから、そこで私は「それは違うよ、それは差別になりますよ。」と言っております。
そのことで、教祖や信者たちは、障がい者のお子さんに対して
「あんなのといっしょにされたくない」
という発言をしていらっしゃるのです。
どれだけ発言を訂正して削除しようが、もう、一度見てしまったもの、忘れられませんよ。
私の読み間違いや勘違いであることを願っているのですが、私が聞き間違いをしていないか、確認をお願いしても、無言を貫いていますし、なんの釈明もなければ、うっかり口にしてしまったという謝罪もありませんから、かなり悪意があっての言葉だと解釈する他ありません。
よって、私の決めつけや思い込みで、あちらの方々の偏見や差別を指摘しているわけではないのです。
結局は、自分の子供のために書いているブログとして、私の子が、私の子が!となっていることは明確で、ギフテッドの参考にするためではないのに、人のために参考になってますと豪語しているのですから、それでは話が違いますねということです。
私へお怒りになりたい気持ちはわかりますが、ララさん、あなたの問題は、大学受験という”小さな”問題です。
私が取り組んでいる問題、ギフテッドのお子さんたちの問題は、そのような学校の進路のような問題ではなくて、自分の魂が生きるか死ぬかという、とても大きな問題で、選択なのです。
私のブログにウンザリするなら、どうぞ、スルーしていただけますか?
ギフテッドの子供や家族に関係なく、また、どうやって子供たちが安心できる社会や教育について考えたり、行動できないなら、コメントをお控え下さい。
私は、生きるか死ぬかの瀬戸際の子供たちが生き延び、魂を輝かせて幸せになるための選択のガイドをしているだけです。