板橋区選出、東京都議会議員の木下ふみこです。
1月7日 (月)、これまで共に歩んできた、奥澤都議(町田市)、斎藤都議(南多摩)、森澤都議(品川区)の3名が会派離脱の会見を開き、新聞やテレビで報道されました。
個人的には、本当に残念としか言い様がありません。
3名がこの決断に至ってしまう前に、もっともっと話が出来たはず。と思えば思うほど残念との思いを強くしています。
一方で、「都民ファースト」の旗のもと、小池知事と進める東京大改革で、有権者の皆様から選んで頂いた事実を考えれば、会派を離れるという選択は、あってはならない「最後の選択」だと私は思います。小池知事の談話として報道されている「残念としか申し上げようがない。都民ファから当選したので、大きな責任を負うことを自覚してほしい。」は、尤もなお話です。
民間企業勤めから都議になってこの1年半、私も、民間の組織や商習慣とは異なる力学とも言える、政治の世界の慣例や常識と言われているものに、「なるほど」ということもありましたが、「感覚がずれてはいないか?」と思うことも勿論たくさんありました。
だからこそ、直すべきと思うことは、より良い方向へと変えて行けるように、自分の持ち場で微力かもしれませんが、努力をしてきました。3名もその意味での努力をされていたと思います。彼らを引き止めきれなかった私たちにも問題は勿論あります。
皆努力しているのに、どうしてこうなってしまうのか?
理由の1つに、民間と大きく違う、政治の世界での「組織運営」の難しさがあると思います。
会派(所属政党)を1つの組織と見た時に、民間企業と決定的に違うのが、当選して議員になってしまえば、その組織に帰属しているようで、必ずしもそうではない。とう点です。
その政党に所属していることで自分が議員になったのだから、それは有権者との約束でもあるから、離れることはあってはならない。と考える人もいる。
一方で、必ずしもそうではない、と考える人もいる。
議員という身分は、当選すれば、一人一人が究極の「個人事業主」であり、どこにどれだけ自分のお金や時間のリソースを裂くか?は全て本人の裁量。それに伴う結果(当落の)責任も自分です。だから、組織としての結果を出すために時間を裂こうと考えるモチベーションが、一般企業の「社員」という構成員と比べて決定的に低い。これは構造的なことだと思います。
お客さんは「有権者」であり次回の選挙で投票してくれる人々である。と考え、党(に所属するみんな)のためにやるべきことや、政策実現のための活動より、地域での集票に繋がる活動に力点を置く人もいる。
勿論、そうではない人もいる。
このように、評価基準が1つではなく、本人それぞれが信じるものしかその議員の行動を規定することができない。だから、まとまりにくい。
また、政治家という職能は、自己主張をはっきり持つことを求める部分があり、控えめというよりは、自分の意見を強く持つ人がなっている傾向が強いと考えると、組織人として向いている人ばかりではないとも感じます。
そのようなそもそも組織としてのまとまりに、「遠心力」が働く「議員」という仕事、生業。それでも、議会制民主主義は最終的には「数」なのですから、政策の実現、都民の皆様、有権者の皆様との約束である「東京大改革」の実現には、大勢でまとまって取り組んで行かなければない。
これは、大きな矛盾であり、永遠の課題なんだろうな。と感じています。
ともあれ、まとまって、政策実現していくために、今一度自分と自分たちを反省し、気を引き締め直して、頑張っていくしかない。それが、現時点での私の正直な思いです。
「都民ファースト」の組織としての印象が悪くなっていると危惧しますが、都民ファーストの組織にいる方々は全員とは勿論言いませんが、建設的で勉強熱心で創造的で素晴らしいディスカッションができる方々が多く、私は前職博報堂にいたときと同じくらいに、周りの皆さんとご一緒にやっていくことが楽しいですし、本当に1つ1つ勉強になることばかりだと思っています。
3名は、「政策が通らない」と訴えていたとのことですが、私自身にそういう感覚はなく、勿論全てが通るはずもないですし、通らないことはありますが、大小含め様々なレベルで提言が通っていっていると思っています。
急ごしらえの大所帯で、マネジメント面や意思決定プロセスにおいて直すべきところは多々あると思ってはいますが、「閉鎖的で居心地が悪い。」とは、1ミリも思っていないことを付け加えさせていただきます。