「義経がジンギスカンである、という説が、めっちゃ広まった深い理由(付録・ドラえもんのモデルは?) | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

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 そういえば、「ドラえもん」のモデルが、歴史上の人物だって知ってました?


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こたえは、武蔵坊弁慶です。え、歴史上の実在人物かどうか怪しい? まあいいじゃん。

 なんで弁慶? 頼りない主人を助けて大活躍する「おっきいヤツ」だからです。ちなみに頼りない主人=義経が、のび太くんです。その恋人が何故「しずかちゃん」なのかも、これで分かりましたね。

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 「義経北行伝説」というのが大昔からあります。東北から北海道にかけて、「平泉で実は生きていた義経一行が、この地に逃れてきて、しばらく滞在したのちに、さらに北に去っていった」という伝説がいっぱい残っていて、義経を祀る神社もいっぱいあります。これだけ沢山証拠があるんだから、義経が生き残ったのは確実だろう、と思いたくもなりますが。もちろん「義経には生きていて欲しい」という庶民の願望が形になったに過ぎません。一種の「神話」です(だから神社にもなるわけですが)。

 豊臣秀頼は、真田幸村と一緒に大坂城を逃れて鹿児島に逃げたそうです。保元の乱で敗れた源為朝は琉球に渡って王になったそうです。庶民に人気のある敗者というのは、「生きていたらいいなあ」が「生きていたに違いない」になるもんです。これは、ちょっとした現政権へのレジスタンス的な感情にも支えられています。「プリンセス・トヨトミ」を観てもらえば分かってもらえますか。別に観なくてもわかりますか。そうですね。
で、義経のはなしも、そのテです。


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 役行者や弘法大師ゆかりの地は全国にあります。「そんなに旅してたのか」とびっくりするほどです。でも、これは「水戸黄門とおんなじだ」と考えるべきです。日本中どこの町でも、「わが町に大昔エライ人がやってきた、なんかして帰っていった」という伝説が欲しいんですよ。それがあれば観光名所も作れていいでしょう。
 しかし、東北や北海道はさすがに、奈良時代や平安時代の偉人は来ません。そりゃそうです、そのころはまだ日本じゃかかったんだから。そこで、岩手県、青森県、北海道で「来そうな人気者」はと考えれば。ちょうどいいんです、義経は。なにせ超人気者だし。「死んだフリして密かに逃げた」のだから、秘密旅行ですから、証拠もなにもなくて当然です。「実は・・・」という伝承だけでいいんですから。
 但し、伝説を創作するに際して、ひとつだけルールがあります。「ここで死んだ」と言って墓を作っちゃうのは反則です。だって、そこより北の町に迷惑がかかるでしょ? だから、どこの伝説でも「義経はさらに北に去っていった」ということになるわけです。
 そんなわけで、北東北、北海道には「点々と、義経の足跡が残って」おり、全部集めると妙にリアルなことになります。しかもどこにも終点(墓)がない。となれば、もう義経は、樺太から大陸に渡っていったと考えるしかないじゃあないですか。せっかく大陸に渡ったんなら、誰かエライ人になって欲しいじゃないですか。
 みんなが「そうだといいなあ」と言っていることをあえて否定するのは「野暮」ということで、「ロマン」は広まっていくわけですが。
 「義経ジンギスカン説」が爆発的に広まったのは、実は昭和になってからです。広めた背後には陸軍がいたという説もあります。なんで? 書かなくても分かりますよね。こうなると都市伝説みたいなもんですが。戦前の日本人がこの説を熱狂的に支持したのもまた事実です。「判官贔屓」に「国威発揚」の要素が加わってしまったのです。「軍隊にダマされた」という言い方をしちゃいけません。「庶民感情」というのは、必ずしも「弱者の味方」だけではないんです。ちょっとキナくさい話でもあるんです、これは。
 そういえば、高木彬光「成吉思汗の秘密」を子供の頃に読んで、「義経はジンギスカンだ、絶対!」と思って、友人を説き伏せまくったものです。甘酸っぱい思い出です。

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