チーッス!サッカーW杯が行われてるブラジルでの面白い話を見つけたました!ヽ(*'0'*)ツ
さすがにこれはないだろうと思いつつも、面白いのでご紹介しますね。
ヒトラーはブラジルで生きていた? 「ドイツの老人」の謎
私は、ルドルフ・グライナーです。日本と世界を研究するドイツ人です。私は、日本と世界の違いやドイツと日本の違いを研究しています。今、ブラジルではW 杯が行われていますが、次の2016年オリンピックもブラジル、リオ・デジャネイロです。そこで、今回はブラジルの話をしてみます。
唐突ですが、ドイツといえばホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を進めたヒトラーが有名ですよね。でもそのヒトラーがブラジルに住んでいた可能性がある説を知っている人は少ないでしょう。今回は、その理由を探っていきます。
■ヒトラーの親族は、イスラエルに住んでいる
まず、ヒトラーの親族が、現在イスラエルに在住していることをご存じでしょうか?あれほどユダヤ人を迫害したヒトラーの親族が、実は、ユダヤ人の国家に匿われているのです。これは非常に不思議なことではないでしょうか。
しかし、2010年にヒトラーの親族39人の唾液サンプルから採られたDNAを検査したところ、そのDNAには、ヒトラーが「非人間」とみなしたユダヤ民族に生物学的に関連するものが含まれており、ヒトラーは祖先にユダヤ人とアフリカ人を持つ可能性が浮上しました。ということは、ヒトラーは同族を殺していたということになりますね。
もちろん、ヒトラーの子孫に罪はないですし、ユダヤ人の血が入っているとなればイスラエルにいてもおかしくないのです。
ですが、この「イスラエルにいるヒトラーの子孫」が話題になったのは、ブラジルがきっかけでもあるのです。それは、ブラジルに来ていた「ドイツの 老人」といわれる人物が、ヒトラーだったかもしれない…という疑惑です。つまり、ヒトラー生存説です。
■なぜ、ヒトラーはブラジルにいたのか?
ブラジルは、もともとポルトガルによって占領されていました。しかし、フランスの皇帝ナポレオンがポルトガルを占領した時に、その混乱期に合わせて独立します。その後、ブラジルは帝政、民主制を経て第二次世界大戦時にはジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスが軍事独裁政権を作ります。
ヴァルガスの軍事独裁は、親米・反フランスの立ち位置をとりました。ブラジルを属国のように扱っていたフランスに対抗した政治をすすめたのです。 ゆえに、フランスを叩いたドイツ、特にナチスドイツに対しては、親近感を持っていた可能性が高いのです。
その後、軍事独裁政権は1985年まで行われましたが、その間もブラジルは親米反共でありながらも、旧ナチスドイツには親しい感覚を持ち続けます。旧ナチスのメンバーが南米にいたと噂されるのは、このような微妙な関係があるからなのです。もちろん、この背景にも陰謀的な力が働いた噂はありますが、一方で、 表面的な東西関係とは違う力が確実に働いていたとはいえるでしょう。
■「ドイツの老人」アドルフ・ライプツィヒ
さて、その「ドイツの老人」は1984年までブラジル国内で生きていて、ボリビア国境の小さな町で「アドルフ・ライプツィヒ」として暮らしたといいます。 すでに戦争で死んだはずの人が生きている…というのは珍しい話ではありません。日本でもフィリピンで小野田寛郎さんが生きていましたね。
さらに、ヒトラー生存説を裏付けるのもとして、2009年に米コネチカット大学で行われた遺伝子鑑定の結果があります。この研究では、ヒトラーが自殺したとされているベルリンの地下室で発見された頭蓋骨の破片はヒトラー本人のものではなく、20~40歳の女性のものだったことがわかっています。つまり、ヒトラーの死体は発見されていないということです。
2年後、ブラジルでオリンピックが開催されるまでに、ヒトラー研究はさらに進むことでしょう。その結果によっては、ドイツとブラジルが、急に“深い関係” になる可能性もあります。これを読んで、みなさんは、どんなことを考えるのでしょうか…。 (ルドルフ・グライナー)
http://tocana.jp/2014/06/post_4339_entry.html
「戦後、南米で撮影された晩年のヒトラー」と言われている謎の写真?
ってことで、面白いのでもっと調べてみると、ヒトラーとエヴァ・ブラウンの最後の状況から、逃亡した状況まで出てきましたよ。でも、長くなるので逃亡したとされるところを抜粋してみました。
ヒトラー逃亡説の実態より
ヒトラーの死の謎は、スターリンの死去した1953年以降も伏せられたままだったが、驚くことに、スターリン自身、ヒトラーの自殺をほとんど信じていなかったようだ。なぜなら彼は、ドイツ降伏直後の5月26日にモスクワを訪れたアメリカのトルーマン大統領の特使ハリー・L・ホプキンズに対し、ヒトラーは生きており、側近のマルチン・ボルマンと一緒にどこかに隠れているのではないかとの見解を示している。
ハリー・L・ホプキンズが「ヒトラーはUボートで逃走したのではないか」と質問すると、スターリンは「それはスイスの黙認により遂行された」と答えたという。スターリンは、ポツダム会談でも繰り返し一貫してヒトラー逃亡説を語って関係者たちを困惑させていたという。
更に1945年8月に、ソ連の最高責任者のジューコフ将軍が、ベルリンのソ連軍を代表する立場として、「ヒトラーの遺体は確認できなかった……イ ギリスがヒトラーを隠している!」と非難する公式声明を出している。
また同年9月にソ連が出した「公式発表」は、次のような内容のものであった。
「ヒトラーあるいはエバ・ブラウンの遺体の痕跡は発見できなかった……偽りの証拠を示すことで、ヒトラーは自分の痕跡を隠そうとした。……4月30日未明、小型飛行機がティアガルテンから飛び立ち、ハンブルク方向に向かったという明らかな証拠がある。その飛行機には男性3名、女性1名が乗っていた。 またイギリス軍侵攻前に、ハンブルクから大型潜水艦が出港したことも確認されている。潜水艦に乗っていた人間の氏名は不明だが、女性が1人含まれていた。」
1945年7月中旬にベルリン市内に進入したハインリッヒを隊長とする「CIC(アメリカ陸軍情報部)」は、ヒトラーの死体を焼いたという爆弾によってできた穴を掘削して詳しく調べたが、驚くべきことに焼却が行なわれたという痕跡が全くなかったという。結局、そこから発見されたのは 「AH」のイニ シャル付きの帽子と、「EB」というイニシャル入りのパンティだけだったそうだ。
さらに総統官邸の地下壕を調べてみると、ヒトラーとエバが倒れていたとされるソファには確かに血痕が認められたが、後日の分析では、それらはいずれも彼らの血液型とは一致しなかったという。
そればかりではない。ピストルの弾痕すら、どこにも発見されなかったということだ。
左より、ヒトラー、ヒトラーの影武者と言われる男、ヒトラーの死体写真
●1946年10月17日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙に、このハインリッヒ陸軍情報部大佐の衝撃的ともいえるコメントが掲載された。
「ヒトラーの死については、何ら確実な証拠がない。これでは世界中のいかなる保険会社であろうと保険金を支払うことはできないだろう。私はヒトラーは生きている、と思う。なにしろ彼が去年死んだということすら証明できないのだから。」
こう主張するハインリッヒ陸軍情報部大佐は、ソ連が発見したというヒトラーの焼死体は、ニセ物であった可能性がきわめて高い、と指摘したのである。彼はワシントンへの最終報告書の中でも、ヒトラー自殺に関する証拠はないと強調した。
●ちなみに、同時に発見されたエバとみられる女性の死体は、検視の結果エバ本人ではないことが確認されている。つまりエバ・ブラウンの死体は、公式には発見されていないことになっているのだ。
また、ベルリン陥落寸前、決死的な脱出に成功した有名な女性飛行士ハンナ・ライチュは、ヒトラーの脱出に一役買ったのではないかといわれているが、当時ヒ トラーには専用のパイロットもいれば、専用機も用意されていた。したがって、脱出は決して不可能ではなかったのである。
■戦後、様々な新聞で取り上げられた「ヒトラー逃亡説」
●「ヒトラー逃亡説」には、様々な証言がある。ここで幾つかの証言を取り上げてみたいと思う。
●ベルリン陥落のその日、正確にいえば1945年4月30日午後4時15分のこと。ベルリンに近いテンペルホフ空港は、6分ごとに離着陸する飛行機でごったがえしていた。
ちょうどそのとき、ベルリン防衛のための若い兵士を満載した飛行機「Ju-52」が着陸した。同機に搭乗していた通信兵と砲兵は、燃料補給を待っている 間、機外で雑談をしていた。と、そのとき、彼らから100メートルと離れていない距離に、ヒトラーが立っているのが目に入ったという。
グレーの制服に身を包んだヒトラーは、見送りに来たらしい数人のSS高官たちと何やら話を交わしている様子で、2人は給油が終わるまでの約10分間、この光景を見つめていたという。やがて4時30分過ぎに彼らの飛行機は空港をあとにしたが、真夜中の軍事ニュースでヒトラーの死を知って、2人は仰天 した。ただし、彼らはヒトラーが3時30分に自殺をしたという情報は聞いていなかったので、てっきりヒトラーが乗り込んだ飛行機が墜落事故を起こしたものと思ったそうである。
2人はこの話を終戦後、連合軍の調査機関に語ったのだが、4時30分ごろテンペルホフ空港にいたのは間違いなくヒトラーだと主張していたという。
●また、この証言には別ルートからの追加情報もあり、「ヒトラー逃亡説」は更に現実味を帯びていく。
1947年10月6日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙は、スウェーデンのティデニンガルナス・テレグラムビラ通信の報道として、ヒトラーは飛行機でデンマークに渡ったと報じた。
そして1948年1月16日付のチリの新聞『ジグザグ』は、ピーター・ボムガードというドイツ空軍のキャプテンが、ヒトラーとエバ・ブラウンをテ ンペルホフ空港からナチス支配下のデンマークのトンダーまで脱出させ、そこから別の飛行機で、ナチス支配下のノルウェーのクリスチャンサンへ向かい、そこでドイツのUボート艦隊と合流した、と報じたのであった。(なお、ピーター・ボムガード本人は、後のインタビューの中で自分は関わっていないと、表向き否定している)。
●1968年には、『ポリス・ギャゼット』紙が「ヒトラーがアルゼンチンで生きている!」というセンセーショナルなタイトルの記事を報じた。 ジョー ジ・マッグラスの署名記事によると、ヒトラーは飛行機でベルリンを脱出したあと、あらかじめ用意してあったUボートに乗り換えて逃亡したという。
更にその後の足取りを詳述すると、1945年7月19日早朝、コロンビアのバイア・ホンダに無事上陸したヒトラー一行6人は、現地で4人のインディアンとドイツ人エージェント2人の案内で馬に乗り、夜間にのみジャングル内を移動し、6日後にラ・ロマに到着した。そこには仮設の滑走路と2機の軽便機が用意されていたが、彼は突然そこから更に別に用意された隠れ家へ姿をくらませたという。このときヒトラーは、3万ドル入ったスーツケースを所持してい たという。
■『ヒトラー生存の神話』を著したドナルド・マッケイルは、その中でこう述べている。
「ヒトラーの死亡を証言した者たちは、厳しい尋問が続くにつれて、しだいに辻棲を合わせることができなくなってきて、ついにはヒトラーの死体を実際に目撃した者は誰もいないことを認めたのである」
例えば、運転手のエーリッヒ・ケンプカは、彼が実際に見たものは毛布から出ている2本の足だけであり、ヒトラーの死体と確認したわけではないことを認めている。しかも、終戦直前のベルリンは死体が散乱しており、特定の死体を発見することは絶対に不可能だろうとも断言しているのだ。
■世界大戦の完全終結にヒトラーの“死”は絶対に必要なことだった…
●当時、ソ連軍や連合軍、いや世界中がヒトラーの死を待望していた。あの第二次世界大戦を完全に終結するためには、ヒトラーの“死”は絶対に必要なことだった。
だが、かつてヒトラーは「自分の死は擬装すべきである」と側近に語っていた。もしこの言葉通り、ヒトラーが自殺などしないで、他国へ逃亡していたとなると大変なことである。まず、一般大衆の心理的な面での混乱(不安)が起きることは容易に想像できる。
※以上、もっと知りたい方はこちら
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc350.html
■今日ネタ
初の決勝進出を決めたギリシャ代表がドジッ子すぎる?
http://matome.naver.jp/odai/2140367860507946101
史上もっとも裕福だった男 ジョン・D・ロックフェラーの生涯。
http://money-academy.jp/lockfera5566/
ウソかホントか?スマホ電池に関するあれこれ。
http://irorio.jp/naokitta/20140626/144940/
引き寄せの法則が証明された!?幸運な人と不運な人の分かれ道がわかる街頭実験。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52166508.html
4Kテレビが猛プッシュされる裏側で、フルHDテレビが「価格破壊」?
http://news.livedoor.com/article/detail/8979281/
次期iPhoneは謎の「2.5次元ガラス」搭載? 発売は9月になるかも。
http://news.livedoor.com/article/detail/8975185/
高さ41mから時速100kmの急降下!絶壁のウォータースライダーとは?
http://news.livedoor.com/article/detail/8975165/
「いかにも怪しいんだけど…」ニューヨークで見かけたATMの写真が話題?
http://labaq.com/archives/51828798.html
グラナダと思いきやグレナダ島に 英航空で手違い相次ぐ?
http://www.cnn.co.jp/fringe/35049919.html
バッグに入れて持ち歩ける超コンパクトサイズの折り畳み「キックボード」がスンゴいぃぃぃ!!!
http://youpouch.com/2014/06/26/206696/
【パパママ必見】両親が厳格過ぎると子供は非行に走りがちとの研究結果?
http://rocketnews24.com/2014/06/26/455982/
世界有数の経済誌「フォーブス」がヤンキース・田中将大を超異例の特集!
http://news.livedoor.com/article/detail/8979897/
さすがにこれはないだろうと思いつつも、面白いのでご紹介しますね。

ヒトラーはブラジルで生きていた? 「ドイツの老人」の謎
私は、ルドルフ・グライナーです。日本と世界を研究するドイツ人です。私は、日本と世界の違いやドイツと日本の違いを研究しています。今、ブラジルではW 杯が行われていますが、次の2016年オリンピックもブラジル、リオ・デジャネイロです。そこで、今回はブラジルの話をしてみます。
唐突ですが、ドイツといえばホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を進めたヒトラーが有名ですよね。でもそのヒトラーがブラジルに住んでいた可能性がある説を知っている人は少ないでしょう。今回は、その理由を探っていきます。
■ヒトラーの親族は、イスラエルに住んでいる
まず、ヒトラーの親族が、現在イスラエルに在住していることをご存じでしょうか?あれほどユダヤ人を迫害したヒトラーの親族が、実は、ユダヤ人の国家に匿われているのです。これは非常に不思議なことではないでしょうか。
しかし、2010年にヒトラーの親族39人の唾液サンプルから採られたDNAを検査したところ、そのDNAには、ヒトラーが「非人間」とみなしたユダヤ民族に生物学的に関連するものが含まれており、ヒトラーは祖先にユダヤ人とアフリカ人を持つ可能性が浮上しました。ということは、ヒトラーは同族を殺していたということになりますね。
もちろん、ヒトラーの子孫に罪はないですし、ユダヤ人の血が入っているとなればイスラエルにいてもおかしくないのです。
ですが、この「イスラエルにいるヒトラーの子孫」が話題になったのは、ブラジルがきっかけでもあるのです。それは、ブラジルに来ていた「ドイツの 老人」といわれる人物が、ヒトラーだったかもしれない…という疑惑です。つまり、ヒトラー生存説です。
■なぜ、ヒトラーはブラジルにいたのか?
ブラジルは、もともとポルトガルによって占領されていました。しかし、フランスの皇帝ナポレオンがポルトガルを占領した時に、その混乱期に合わせて独立します。その後、ブラジルは帝政、民主制を経て第二次世界大戦時にはジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスが軍事独裁政権を作ります。
ヴァルガスの軍事独裁は、親米・反フランスの立ち位置をとりました。ブラジルを属国のように扱っていたフランスに対抗した政治をすすめたのです。 ゆえに、フランスを叩いたドイツ、特にナチスドイツに対しては、親近感を持っていた可能性が高いのです。
その後、軍事独裁政権は1985年まで行われましたが、その間もブラジルは親米反共でありながらも、旧ナチスドイツには親しい感覚を持ち続けます。旧ナチスのメンバーが南米にいたと噂されるのは、このような微妙な関係があるからなのです。もちろん、この背景にも陰謀的な力が働いた噂はありますが、一方で、 表面的な東西関係とは違う力が確実に働いていたとはいえるでしょう。
■「ドイツの老人」アドルフ・ライプツィヒ
さて、その「ドイツの老人」は1984年までブラジル国内で生きていて、ボリビア国境の小さな町で「アドルフ・ライプツィヒ」として暮らしたといいます。 すでに戦争で死んだはずの人が生きている…というのは珍しい話ではありません。日本でもフィリピンで小野田寛郎さんが生きていましたね。
さらに、ヒトラー生存説を裏付けるのもとして、2009年に米コネチカット大学で行われた遺伝子鑑定の結果があります。この研究では、ヒトラーが自殺したとされているベルリンの地下室で発見された頭蓋骨の破片はヒトラー本人のものではなく、20~40歳の女性のものだったことがわかっています。つまり、ヒトラーの死体は発見されていないということです。
2年後、ブラジルでオリンピックが開催されるまでに、ヒトラー研究はさらに進むことでしょう。その結果によっては、ドイツとブラジルが、急に“深い関係” になる可能性もあります。これを読んで、みなさんは、どんなことを考えるのでしょうか…。 (ルドルフ・グライナー)
http://tocana.jp/2014/06/post_4339_entry.html

「戦後、南米で撮影された晩年のヒトラー」と言われている謎の写真?
ってことで、面白いのでもっと調べてみると、ヒトラーとエヴァ・ブラウンの最後の状況から、逃亡した状況まで出てきましたよ。でも、長くなるので逃亡したとされるところを抜粋してみました。
ヒトラー逃亡説の実態より
ヒトラーの死の謎は、スターリンの死去した1953年以降も伏せられたままだったが、驚くことに、スターリン自身、ヒトラーの自殺をほとんど信じていなかったようだ。なぜなら彼は、ドイツ降伏直後の5月26日にモスクワを訪れたアメリカのトルーマン大統領の特使ハリー・L・ホプキンズに対し、ヒトラーは生きており、側近のマルチン・ボルマンと一緒にどこかに隠れているのではないかとの見解を示している。
ハリー・L・ホプキンズが「ヒトラーはUボートで逃走したのではないか」と質問すると、スターリンは「それはスイスの黙認により遂行された」と答えたという。スターリンは、ポツダム会談でも繰り返し一貫してヒトラー逃亡説を語って関係者たちを困惑させていたという。
更に1945年8月に、ソ連の最高責任者のジューコフ将軍が、ベルリンのソ連軍を代表する立場として、「ヒトラーの遺体は確認できなかった……イ ギリスがヒトラーを隠している!」と非難する公式声明を出している。
また同年9月にソ連が出した「公式発表」は、次のような内容のものであった。
「ヒトラーあるいはエバ・ブラウンの遺体の痕跡は発見できなかった……偽りの証拠を示すことで、ヒトラーは自分の痕跡を隠そうとした。……4月30日未明、小型飛行機がティアガルテンから飛び立ち、ハンブルク方向に向かったという明らかな証拠がある。その飛行機には男性3名、女性1名が乗っていた。 またイギリス軍侵攻前に、ハンブルクから大型潜水艦が出港したことも確認されている。潜水艦に乗っていた人間の氏名は不明だが、女性が1人含まれていた。」
1945年7月中旬にベルリン市内に進入したハインリッヒを隊長とする「CIC(アメリカ陸軍情報部)」は、ヒトラーの死体を焼いたという爆弾によってできた穴を掘削して詳しく調べたが、驚くべきことに焼却が行なわれたという痕跡が全くなかったという。結局、そこから発見されたのは 「AH」のイニ シャル付きの帽子と、「EB」というイニシャル入りのパンティだけだったそうだ。
さらに総統官邸の地下壕を調べてみると、ヒトラーとエバが倒れていたとされるソファには確かに血痕が認められたが、後日の分析では、それらはいずれも彼らの血液型とは一致しなかったという。
そればかりではない。ピストルの弾痕すら、どこにも発見されなかったということだ。

左より、ヒトラー、ヒトラーの影武者と言われる男、ヒトラーの死体写真
●1946年10月17日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙に、このハインリッヒ陸軍情報部大佐の衝撃的ともいえるコメントが掲載された。
「ヒトラーの死については、何ら確実な証拠がない。これでは世界中のいかなる保険会社であろうと保険金を支払うことはできないだろう。私はヒトラーは生きている、と思う。なにしろ彼が去年死んだということすら証明できないのだから。」
こう主張するハインリッヒ陸軍情報部大佐は、ソ連が発見したというヒトラーの焼死体は、ニセ物であった可能性がきわめて高い、と指摘したのである。彼はワシントンへの最終報告書の中でも、ヒトラー自殺に関する証拠はないと強調した。
●ちなみに、同時に発見されたエバとみられる女性の死体は、検視の結果エバ本人ではないことが確認されている。つまりエバ・ブラウンの死体は、公式には発見されていないことになっているのだ。
また、ベルリン陥落寸前、決死的な脱出に成功した有名な女性飛行士ハンナ・ライチュは、ヒトラーの脱出に一役買ったのではないかといわれているが、当時ヒ トラーには専用のパイロットもいれば、専用機も用意されていた。したがって、脱出は決して不可能ではなかったのである。
■戦後、様々な新聞で取り上げられた「ヒトラー逃亡説」
●「ヒトラー逃亡説」には、様々な証言がある。ここで幾つかの証言を取り上げてみたいと思う。
●ベルリン陥落のその日、正確にいえば1945年4月30日午後4時15分のこと。ベルリンに近いテンペルホフ空港は、6分ごとに離着陸する飛行機でごったがえしていた。
ちょうどそのとき、ベルリン防衛のための若い兵士を満載した飛行機「Ju-52」が着陸した。同機に搭乗していた通信兵と砲兵は、燃料補給を待っている 間、機外で雑談をしていた。と、そのとき、彼らから100メートルと離れていない距離に、ヒトラーが立っているのが目に入ったという。
グレーの制服に身を包んだヒトラーは、見送りに来たらしい数人のSS高官たちと何やら話を交わしている様子で、2人は給油が終わるまでの約10分間、この光景を見つめていたという。やがて4時30分過ぎに彼らの飛行機は空港をあとにしたが、真夜中の軍事ニュースでヒトラーの死を知って、2人は仰天 した。ただし、彼らはヒトラーが3時30分に自殺をしたという情報は聞いていなかったので、てっきりヒトラーが乗り込んだ飛行機が墜落事故を起こしたものと思ったそうである。
2人はこの話を終戦後、連合軍の調査機関に語ったのだが、4時30分ごろテンペルホフ空港にいたのは間違いなくヒトラーだと主張していたという。
●また、この証言には別ルートからの追加情報もあり、「ヒトラー逃亡説」は更に現実味を帯びていく。
1947年10月6日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙は、スウェーデンのティデニンガルナス・テレグラムビラ通信の報道として、ヒトラーは飛行機でデンマークに渡ったと報じた。
そして1948年1月16日付のチリの新聞『ジグザグ』は、ピーター・ボムガードというドイツ空軍のキャプテンが、ヒトラーとエバ・ブラウンをテ ンペルホフ空港からナチス支配下のデンマークのトンダーまで脱出させ、そこから別の飛行機で、ナチス支配下のノルウェーのクリスチャンサンへ向かい、そこでドイツのUボート艦隊と合流した、と報じたのであった。(なお、ピーター・ボムガード本人は、後のインタビューの中で自分は関わっていないと、表向き否定している)。
●1968年には、『ポリス・ギャゼット』紙が「ヒトラーがアルゼンチンで生きている!」というセンセーショナルなタイトルの記事を報じた。 ジョー ジ・マッグラスの署名記事によると、ヒトラーは飛行機でベルリンを脱出したあと、あらかじめ用意してあったUボートに乗り換えて逃亡したという。
更にその後の足取りを詳述すると、1945年7月19日早朝、コロンビアのバイア・ホンダに無事上陸したヒトラー一行6人は、現地で4人のインディアンとドイツ人エージェント2人の案内で馬に乗り、夜間にのみジャングル内を移動し、6日後にラ・ロマに到着した。そこには仮設の滑走路と2機の軽便機が用意されていたが、彼は突然そこから更に別に用意された隠れ家へ姿をくらませたという。このときヒトラーは、3万ドル入ったスーツケースを所持してい たという。
■『ヒトラー生存の神話』を著したドナルド・マッケイルは、その中でこう述べている。
「ヒトラーの死亡を証言した者たちは、厳しい尋問が続くにつれて、しだいに辻棲を合わせることができなくなってきて、ついにはヒトラーの死体を実際に目撃した者は誰もいないことを認めたのである」
例えば、運転手のエーリッヒ・ケンプカは、彼が実際に見たものは毛布から出ている2本の足だけであり、ヒトラーの死体と確認したわけではないことを認めている。しかも、終戦直前のベルリンは死体が散乱しており、特定の死体を発見することは絶対に不可能だろうとも断言しているのだ。
■世界大戦の完全終結にヒトラーの“死”は絶対に必要なことだった…
●当時、ソ連軍や連合軍、いや世界中がヒトラーの死を待望していた。あの第二次世界大戦を完全に終結するためには、ヒトラーの“死”は絶対に必要なことだった。
だが、かつてヒトラーは「自分の死は擬装すべきである」と側近に語っていた。もしこの言葉通り、ヒトラーが自殺などしないで、他国へ逃亡していたとなると大変なことである。まず、一般大衆の心理的な面での混乱(不安)が起きることは容易に想像できる。
※以上、もっと知りたい方はこちら
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- 続・わが闘争―生存圏と領土問題 (角川文庫)/角川書店
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http://karapaia.livedoor.biz/archives/52166508.html
4Kテレビが猛プッシュされる裏側で、フルHDテレビが「価格破壊」?
http://news.livedoor.com/article/detail/8979281/
次期iPhoneは謎の「2.5次元ガラス」搭載? 発売は9月になるかも。
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高さ41mから時速100kmの急降下!絶壁のウォータースライダーとは?
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グラナダと思いきやグレナダ島に 英航空で手違い相次ぐ?
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バッグに入れて持ち歩ける超コンパクトサイズの折り畳み「キックボード」がスンゴいぃぃぃ!!!
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