他流さんの台目の道具の置き方を見ていて、なるほどねぇ~と感心しました。
台子の分だけ小さい台目畳で点前をするにあたって、水指などが畳四分の一ほど前に出てきます。
当流だと、こんな感じで位置をずらすんですが
千家系さんだと、台子と同じ位置に棗と茶筅などを置くようです。
これ京間だからこれでできるんですが、江戸間だとどうにも後ろがつっかえるんですよねw
というのも、当流の点前する人の位置が大分後ろなんです。
これを江戸間でやると、壁に当たりますwwww
そりゃ「狭い」と感じるはずです。
右に体を振るとき、当流では左膝を中心に体を後ろに引きますので、どうしてもそうなります。
小笠原先生のところで稽古したとき違和感があって、あれ?と思い出しながらやっていたんですが、やはり違っていました。
それでも点前はできたのですが(当たり前)。
では28日の本番では、正しい位置でお目にかけましょう。
追伸
昨晩、表千家の茶友さんとお話しまして、ある程度この理由が解けました。回り方が【尾骶骨ら辺を中心】とするか【左膝を中心】とするかで、回った後の位置関係が大きく変わります。
兼中斎は「昔は居前を深くとって、畳の後ろの方に坐していた」と仰っていらしたそうで、古くはそうであったことも分かりました。また、この位置に置くのは「女性のための位置取りで、男性には旧来通りの指導をすべきだった」と仰ったとか。
兼中斎にはお目にかかりたかったですねぇ。
【追補】
「昔は居前を1尺余り取って右手が釜の蓋に届く最大限の広さに取っていた。
明治末に女性の茶道人口が増えた為、体格の差異をカパーする為、本来腕を伸ばして点前すべき所であったが、居ずまいを8寸前後に縮め、腕を曲げたまま点前し、左の器物に手が届き難くなった」 ということだそうです。
また、「内隅というのは茶入、茶筅を炉と水指の間に流して置くようになったため、茶碗の位置を少し右に移しただけ」とも書かれているそうなので、もしかすると水指前に置きつけていたのかも知れませんね。