2017年12月8日。
ある目的のため、休みをとって静岡県のJR静岡駅までやってきた。
普通列車慣れしているオレだけど、さすがにちょっと遠く感じた。
静岡駅には初めて降り立った。
想像以上に店が広がっていて賑やかで圧倒された。
通りはすっかりクリスマス仕様でイルミネーションが輝いている。
発想が貧相なオレは静岡=伊豆半島といった印象だったがなかなか侮れない。
予約していたビジネスホテルにいったん荷物を預けてから、目的の時間になるまで街を
ふらついてみる。
静岡といえば静岡おでん。
とりあえず2つあるという横丁は下見しておく。
2カ所ともに緑色に光る看板と奥へと続く赤い提灯はなんとなく和の幻想で、鞍馬神社を
思い出す。
だが、今回静岡までやってきたメインの目的は、観光でも温泉でもおでんでもない。
ちょっときどったいい方をすれば、おさえきれなくなったジャーナリズムに白黒をつける
ためである。
このブログをずっと読んできてくれている方はもうだいたい想像がついているだろう。
この街の一角のとある雑居ビルに「スナックバロン」という酒場がある。
オレの目的はその店だ。
――
1972年
日本中が注目した連合赤軍による「あさま山荘事件」
権力にたいする意思表示としてはその立てこもりに共感する人間は多かった。
だが警察の突入による事件解決後、明らかとなったのは連合赤軍の仲間内に
よる総括という名の凄惨な12名の同志殺し。
軍の最高幹部だった森恒夫と永田洋子は逮捕されて死刑宣告を受けた。
そして、死刑宣告は受けなかったが同じく逮捕されたメンバーがいた。
植垣康博さん。
元連合赤軍メンバーである。
仲間を殺めることに加担した殺人罪、そして強盗致傷罪などの罪に問われ、懲役20年の服役。
1998年秋に出所した。
今はシャバで暮らし、連合赤軍の内情を詳しく語れる貴重な語り手である。
そんな植垣さんが静かに経営している酒場がこの街にあり、夜な夜なあらゆる思想家や表現者、
文化人が集まって討論をしているという話だ。
日本における過去の事件史やそれにかかわった人物に興味があるということは何度も
書いている。
その店にいってみようと一度決めたこともあるが、直前に電話をかけた時に番号が使われて
いなかったことで、営業してるかどうかわからず、それも不明確のままわざわざ静岡までいってみて、
実際店がやってなかったなんてオチになると時間的にも金額的にもシャレにならんと思い、泣く泣く
断念して同じ静岡の温泉旅行に予定を振り替えたことも記事にはした。
だけど……
オレの性分で、ずっと気になっていた。
実のところ店はやっているのか? それともやっていないのか?
そんなある日、オレが植垣さんの店に興味を持っているとしっている友人からこんなLINEが
送られてきた。
「植垣康博氏は店やってるらしいよ。Yahoo!ニュースに週刊ダイヤモンドの記事がでてた」
と。
実際サイトをのぞいてみた。たしかに載っていた。
しかもほんとについ最近だ。
100%ではないし確証もない。
ただ……
これらの情報で店自体は営業しているという可能性が高くなってきた。
このままウズウズしているだけじゃキモチわるい。
オレはとりあえず静岡までいってみるというカケにでた。
もし営業してるとするならば土曜はトークイベントなどやっている可能性が高い
ことはしっている。
植垣さんがいたとしても1対1での会話は難しいだろう。
ということで金曜日に休暇をもらった。
普通列車で片道約2600円、往復で5000円以上。
ビジネスホテル代、素泊まりで1泊5000円。
わざわざ静岡までいって、もし店がやっていなかった場合は経費10000円払って、
静岡おでんだけ食べて帰る旅になりかねないが、それでもいい。
スピード違反で捕まって10000円の罰金取られたって思えばいいさ。
オレにとってはそこまで思えるほど、時間と金をかけられるほどのジャーナリズムな
企画だった。
そんな流れで、静岡の街へと到着し、とりあえずは上にあるように街を散策してみた。
そして夜の7時になった。
植垣さんの経営する酒場が今も営業しているとするならば、開店している時間だ。
なんだかんだいって、ここまできて営業してなかったらどうしよう……
やっぱり交通費払って、おでんだけ喰ってかえるのか……
などと急に弱気になりながらも、店が入っている雑居ビルに足を向ける。
ビルがあるのは市役所の裏だ。
看板にはしっかりと店名が入っている。
「ふしぎな酒場 スナックバロン」
「バロン」というのは植垣さんの赤軍時代のニックネームである。
エレベーターのボタンを押して4階へ。
到着して扉が開くとそこには店のドアが。
訪問したことのある人のブログなどで下調べはしていたからこの風景はわかって
いたが、それでも目の当たりにすると、やはり「ベスト・オブ・入りづらい入口」である
ことは間違いない(笑)
中が見えないタイプだもんな~。
ドアをそっと押してみた……
「開いた…!!」
この中にいる……。
日本中が注目したあの事件のメンバーのひとりである人物、
植垣康博氏が……
※画像はあさま山荘事件直前に軽井沢駅で逮捕された植垣さん。
当時23歳とは思えぬ迫力。
おそるおそる足を踏み入れてゆく。
店内にはまだ客の姿はない。
申し訳なさそうに「すいませ~ん……」と声を掛けると、奥のほうから
「あ!はい! どうぞ! いいですよ!」
と、とても丁寧な対応の声が返ってきて、スキンヘッドの男性が現れた。
オレ
「あ、植垣さんですか!?」
植垣さん
「はい、そうです!」
オレ
「よかった! お話が聞きたくて東京から来たんですよ!!」
植垣さん
「ああ、そうですか! はい、どうぞ、こちらへお座りください!」
植垣さんはかつての画像やニュース映像とはまったく違って、口調も表情もとても
おだやかな紳士といった印象でオレのほうがちょっと戸惑ってしまった。
日本史におけるさまざまな事件に興味があり、日本が抱える闇などについていろんな角度からの
話が聞きたいためにきたということを先に伝えた。
わざわざ東京からありがとうございますというお言葉をいただく。
ここでは改めて書かないが、店に電話がつながらなかった理由は以前書いたオレの推理が
正解だったようである。
さて――
元連合赤軍兵士である植垣さんと接触するという希望は叶った。
酒を交わしながらのトークはこれからだ。
「事件の渦中にいたホンモノの元・連合赤軍兵士」
×
「事件当時この世に生まれていなかった自傷フリージャーナリスト」
映像化された各作品について。
軍のリーダーだったアノふたりについて。
オウムとの違いについて。
革命、そしてその敗北について。
「45年目の連合赤軍」を語る夜がはじまる。
②へ続く。
(追ってアメンバー記事とさせていただきます)