外人の顔、中国人の心

3年前の記事だが、ずっと、日本語話者にも紹介したいと思っていた記事。

Foreign face, Chinese heart - Global Times
あっ、白人のおじいさんだ…違う、「外人の顔で、中国人の心を持った人」、なのだそうである。
赤ん坊のころの写真と、若いころの写真も、↑のリンク先で、見てもらいたいと思う。
別記事でも、ほかの写真が見られる↓
My heart belongs to Xinjiang: offspring of expats Li Yizu[2]- Chinadaily.com.cn

生まれてすぐに、母に捨てられる

Li Yizuさんは、生まれたときから、波乱万丈な人生を歩む運命だった。
1938年に、とある白人女性が、産気づき、天津のキリスト教系の病院で、男の子を産んだ。
その女性の国籍も名前も、わからないという。
というのは、その女性、Li Yizuさんの産みのお母さんという人は、赤ん坊を残して、すぐに姿を消してしまい、二度と戻って来なかったのだという。
生まれてすぐに、親に捨てられてしまったという、Li Yizuさんなのだった。

中国人の子として育てられる

しかし、捨てる神あれば拾う神ありというのは、本当で、Li Yizuさんは、比較的余裕のある中国人夫婦に、養子として引き取られた。
養父母は、子供のないクリスチャンだったという。
そして、北京で育てられたのである。
養父は、中国のコロムビア映画事務所のマネージャーだった。
養父は、けっこう羽振りがよかったそうだが、日本が真珠湾攻撃をすると、アメリカからの映画の配給がなくなったため、仕事がなくなってしまい、一家は北京を出て、郊外に移った。
養父は、Li Yizuさんが幼いころ、亡くなったという。詳細は書いていないので、わからない。
それから戦争中も、養母が一人でLi Yizuさんを育てたのだという。
養母は、纏足だったという。
養母自身には、それほど教育はなかったが、息子を非常に厳しく育て、決してくじけるなと教えたのだという。
中国のお母さんが厳しいというのは、よく聞く話である。
そういえば、トニーさんの家も、お母さんが厳しくて、お父さんは甘かったと、言っていた。

母を残して新疆へ

戦後、母子は北京に戻り、Li Yizuさんは、中国大学で地質学を学び(1957年から1961年)、卒業後は、新疆での仕事を受けた。
養母は、一人ぼっちになってしまうのだが、遠く離れた新疆に行くなとは、言わなかったという。
新疆へ出発する日には、大飢饉のときだったのに、豚肉を入手し、小龍包または餃子を作って息子に食べさせ、駅まで見送りに来たのだという。
それからずっと、新疆を本拠地とし、仕事は、地質学者として、ミネラル資源を探して、新疆じゅうを回るという、けっこう危険な業務だったらしい。
1965年に結婚し、一男一女をもうけた。
引退後は、ウルムチを住まいとし、ボランティアで、新疆の子供に科学を教えたりしているそうである。

自分を外人だと思ったことは、一度もない

いつも外人に間違えられているという、Li Yizuさん。
中国では、西洋の外人のことを「ラオワイ」と呼ぶ。
英語は、できるようなのだが、あるときから、英語で話しかけられて英語で答えるのは、やめたという。
それは、文化大革命のときだった。
見た目が外人なので、攻撃されたり、英語ができるのはスパイだと言われ、英語を話すのは、やめたという。
Li Yizuさんは、1966年に、中国共産党への入党を申し込むが、審査は延期された。
その後1981年になって、正式に入党が認められた。
Li Yizuさんは、一度も中国から出たことがないのだという。
養父母の親戚たちは、アメリカに移住していて、生みの親の親戚を探してくれると言ったが、断ったのだという。
"People often mistake me for a Tajik or a laowai. I call myself a Chinese of foreign origin. I was raised by a loving and humble Chinese mother. I have never considered myself a foreigner," Li told the Global Times.
「私はよく、タジク人とかラオワイに間違えられる。
私は、自分を、外国に起源のある中国人だと称している。
私は、愛情にあふれる謙虚な中国人の母親に育てられた。
私は、自分を外人だと思ったことは、一度もない」
Li Yizuさんは、白人である産みの親とは、会ったこともなく、赤ん坊のときから、中国人の親に育てられ、中身は、完全に、中国人、なのである。
この顔で、この外見で、中国人。
他人は、戸惑うのだが、戸惑うのは、たぶんだけど、最初だけ、だろう。
話し始めたら、まるっきり、中国人なんだろうし、物腰も、中国人のはずである。
すごいな、そういうことって、あるんだな、と。
そして、捨てられた外人の赤ん坊を引き取って、自分の子として育てるというのは、やはり、日本の残留孤児の例なんかもあるけれど、これも中国の文化、慈愛、心が広い、そういうことなんだろう。
子供のころは、金髪に青い目、掘りの深い顔立ちで、ずいぶん仲間外れにされたのだという。
が、お母さんは、いじめられているからといって、甘やかしたりは、しなかった。
くじけてはいけない、と。

親子って、何、アイデンティティって、何

Li Yizuさんの話を思い出すたびに、じわっと泣きそうになる。
なんでだろう。
自分の子供が産めなかった奥さんが、親に捨てられた白人の赤ん坊を引き取って、自分の子として可愛がり、夫に死なれたあとも、一人で立派に育て上げ、遠い新疆に送り出し、寂しいなどと、グチも言わなかったと、なんて強いお母さんだったのか、そう思うと、なんだか、泣けてくるのである。
見た目が違うからといって、ほかの子にいじめられても、お母さんともお父さんとも、ぜんぜん似ていなくても、親子には、変わりはないんだな、と。
そして、見た目と中身が食い違うという場合には、中身のほうが優先するんだな、ということも、よくわかったのだった。