こんばんわぁ。
今回は『40mP』さんの トリノコシティ について考察のようななにかをしていきたいと思います。
↓本家様↓
まず見ていくのは曲のタイトル、トリノコシティ。
取り残された街とみると、この場合取り残されたのはネット(に移り住む主人公)です。
取り残した街でもいいかもしれません。この場合だと取り残したのは現実世界です。
結論から言うと、ネット中毒者の歌です。
歌詞を見ていきましょう。ネットのことだと思われる表現が数多く見受けられます。
「0と1が交差する地点」
0と1ってのは二進数のことでしょうか。二進数の地点=ネットワークと解釈しました。
「過去と未来が交差する地点 」
現実ではありえません。夢や妄想の可能性もあるしれませんが、テーマに沿うとやはりネットのことでしょう。
「音の無い世界 造られた世界 」
ネットの温かみに欠けるニュアンスを出したかったんだと思います。
「嘘と本当が交差する地点 」
これはネットでも現実でもありえますが、どちらかというとネットのことではないかと思いました。
「色のない世界 夢に見た世界 」
ここも温かみに欠けていることを表現したかったんだと思います。
しかし主人公は温かみに欠けているこんな世界を待っていたと言っています。
これは、「好き 嫌い 好き 嫌い の繰り返しで 疲れきった愛は もういらない」
から、
現実世界での恋愛、もっと広げると人間関係に嫌気が差したからだと解釈しました。
他の表現も見ていきましょう。
「間違いだらけのコミュニケーション」
主人公のネットにおける偏ったコミュニケーションとの遭遇です。
ボカロ好きのみなさんなら特に説明しなくてもわかるはず。
「アナタの名前は 何ですか? 10文字以内で 答エヨ」
「ワタシの名前は 何ですか? 10文字以内で 教えて」
1番の”答エヨ”の表現が、2番の”教えて”との対比になっています。
1番だと”アタシ””答エヨ”と、カタカナを用いてネットの世界観を出していますが、
2番だと”ワタシ””教えて”と、カタカナとひらがながごっちゃになっていて、
ネットと現実の世界観がぐちゃぐちゃになっています。
はじめはよかったネットの世界も、2番では現実へ戻りたいと思い始めているのでしょうか。
また、一人称も変わっていて、2番の段階では主人公はもう元の主人公ではなくなっているのかもしれません。
「行く宛を失った現在地」
現在地が、居場所を失っています。
現在地というのは当時の主人公そのものです。
ネットではこれからかもしれませんが、少なくとも主人公は現実に居場所はないと思っているようです。
「過去最高速の夜が明ける」
今まで現実で過ごしていたどんなときよりも時間が早く過ぎていってしまっています。
それに夜を明けてしまっていますし、恐らく朝から晩まで一日中ネット漬けなのでしょう。
現実に居場所がないと思い込んでいる主人公にとっては、それはもう当然のことなのかもしれません。
「傷んだ果実を捨てる」
”果実”というのは主人公が現実に残してきた友人や家族との絆だと解釈しました。
友情の果実的なあの果実です。
現実から離れた主人公には今まで育んできた”果実”は傷んだものに見えたのでしょうか。
ここまでの表現を踏まえて、歌詞の流れに沿って見ていきたいと思います。
「0と1が交差する地点~10文字以内で 答エヨ」
ネット中毒者への入り口です。
まずネット独特のコミュニケーションの仕方に出会います。
そして早くもネットに馴染んでいきます。
「過去と未来が交差する地点~100文字以内で 答エヨ」
現実に居場所がないと感じる主人公は、同じ境遇のネットの住民を探し始めます。
「過去最高速の夜が明ける バランス取ることもできないまま」
一日中ネットに明け暮れています。
現実とのバランスはとれていません。
「自分だけどこか取り残された~2人もいらない1人で出来るから」
立派なネット中毒患者の完成です。
完全に現実から離れるために”傷んだ果実を捨てる”決意をすでにしています。
しかし誰にも頼らず主人公はここでも孤独です。
「昼と夜が交差する地点~10文字以内で教えて」
昼と夜が交差する地点=夕方でしょうか。
誰かに会いたいけど会えない。ネットだけでは寂しくなったのでしょうか。
ワタシの名前はなんですか?とか言ってるあたり主人公が心配になってきます。
「嘘と本当が交差する地点~100文字以内で教えて」
ネットに息苦しさを感じ始めています。
ワタシはどうして生きてるの?はネットにより壊れかけているんですかね。
主人公はネットでも疲れきってしまいます。
「好き 嫌い 好き 嫌い~疲れきった愛はもういらない」
ネットでも現実でも人間関係なんて似たようなものなのでしょう。
現実の人間関係から逃れるためにネットに逃げてきたのに、
ネットでもどうもうまくいかない。
「時間だけいつも通り過ぎていく~真実(こたえ)はいらない 偽りでいいの」
時間だけが矢のように過ぎていくネットの世界で、
現実からもネットからも孤立を選ぶ主人公。
ここで主人公はネットにすら目を向けることをやめ、都合のいい自分だけの世界に閉じこもります。
「自分だけどこか取り残された~1人じゃ出来ない傍にいてほしくて」
ここの”取り残された世界”はネットのことではなく、自分だけの世界のことです。
自分以外の誰も入ることのできない、自分しかいない世界。
完全に孤立してしまった主人公は、一人では”傷んだ果実を捨てる”ことすらままならないことを察します。
完全なる孤立を経験した主人公はここからどう成長していくのでしょうか。
想像でおなかが膨らみます。
以上まとめると、人間関係から逃げて自分の殻に閉じこもるよりは外に出て家族友人を大事にしようよ的な感じです。
それを逃げ口をネットにした的なあれです。
トリノコシティの解釈はここまでです。
自分の感じたニュアンスを稚拙な文章にして表現しましたので語弊だらけでしょうが、
読んでくださった方々にほんと感謝です。ありがとうございます。
ここからは自分の感じたことなんですが(というかちょくちょく感想入れてますけど)、
こういうネットの世界を題材にした作品に出会うと、ネットが現実の上にくるべきなのか、
それとも現実がネットの上にくるべきなのかとしばしば考え込んでしまいます。
まぁ今の段階じゃネットはあくまで現実の補助として存在しているのは明らか?なのですが、
もし自分の人格、考え方とか記憶とか、精神的な情報をすべてコピーできて、それをネット上に存在させて活動させることができ、同じように他者のコピーと対話なりできるようになれば、現実世界に存在する必要はなくなるんじゃないかって思うんです。
今でいうアバターってやつです。そのアバターが最大まで進化すると・・・って考えると自分の考えが現実になりそうで興奮します。
生きてる限り人間は怪我もしますし病気にもかかりますしいつかは死にます。
物は有限で何かを生み出すには何かを壊さなくてはいけません。
そういう意味で3次元は本気でくそだと思っています。
だからこそ、人間が精神活動のみでネット上で生活ができたら、肉体を捨てることができたら。
そう思ってなりません。
もちろんセキュリティの問題なんかも生じるのはわかってるのでその辺の反論はちょっと苦手なので勘弁してくださいw夢を見ていたいだけなので。
最後は気持ち悪い自分語りをしてしまいましたが、
トリノコシティ、解釈を読んでくれた方々ありがとうございました!!