みなさま、こんばんは。桂木里紗です。

いま、新しい就活先用の履歴書を書きあげたところです。

かなり大幅に書き直しました。

だから、みなさん、えーっ!と思われるかもしれませんが、

わたしとしては、気持ちがスッキリしました。

 

その書き換えの第1が、「国立能楽堂での仕事をしたことを、削除する」

というものです。

 

国立能楽堂には短い間でしたがお世話になり、役者さんたちにも親切にしていただけましたが、実はあまりいい思い出がありません。1か月しかいなかったので、仕事らしい仕事をしたか、といえば、あまりありません。 実は結構暇でした。

 

狂言部屋に「ちょっといらっしゃい」と女性の上司の方に呼び出されて、なにかとおもえば、「あなた、能狂言の世界はもっと暗いものなの。あなたみたいに明るくハキハキ元気にされると調子がくるっちゃうの。もっと暗くなって頂戴。病気もってるんでしょ?だったらもっと暗くてもいいんじゃないの」と言われて・・・正直、堪忍袋の緒が切れました。それでいろいろあって、仕事を辞めることにしました。

 

「そうだったのか・・・。チコがあまり国立能楽堂のことを話さなかったのは、陰湿ないじめがあったからなんだね」

 

パーヴォの心の声が沈んでいます。「ほんとに大変だったね。よく、話せたね。日本は僕は好きだけど、その話はひどすぎる。僕が傍にいてやれればよかった。そしたら、怒鳴り込んでいったよ。」そして、黙りこくってしまいました。

 

「パーヴォ、ごめんね。嫌な思いさせてしまって・・」と私が涙を浮かべると、パーヴォは「ううん、もっとチコの変化に気づいてやればよかったと思って。能楽堂を辞めた後、入院したでしょ?能楽堂も無責任だなと思うよ。ずっと黙っていたんだね、能楽堂の役者さんたちに気を遣っていたんだね」と、優しく頭を撫でてくれました。

 

「ウーム、履歴書に載せるべきか載せまいとすべきか」とパーヴォはしばし考えていましたが、「うん、その履歴、載せるのやめよう!」と私に笑顔で言ってくれました。

 

「いつも国立能楽堂のことになると、口をつぐんでしまっていたから、何かあったのかと思っていたけど、そういう理由ならむしろその経歴はなかったほうがいいね。日本政策金融公庫はどうだったの?大丈夫だった?」

 

私は「うん、」と答えて「日本政策金融公庫のみなさんはやさしかったわ。ランチも一緒に食べて、楽しかったわ」と言いました。「じゃ、そうしよう。これでチコは世阿弥の呪縛から解放されたんだよ(^_-)-☆よかったね(^^)/」

 

そして、履歴書を見て、パーヴォが「国立能楽堂の文字を消して、代わりに・・・」

 

「賞罰  平成13年1月 演劇雑誌テアトロ700巻記念劇評 佳作入選」

 

と入れてくれました。「どうだい?君の心の傷がいえていくといいけれど(^_-)-☆」と優しく言ってくれました。

 

ほかにもいろいろ手を加えて、面接で言われたことを反映して、わかりやすくしたり、配慮事項も言い方を変えてみました。皆さん、一律におっしゃるのは「静かな環境で仕事をしたいです、と書いてありますが、うちはすごくうるさいから大丈夫かなぁ?」ということでした。私語をするので、うるさい環境というのはいやだったので、書いていたのですが、みなどこもそういうことはなかったので、その一文は削除しました。

 

「どう?気持ちよく履歴書が読めたかい? 自分に自信を持てるようになった?」パーヴォの心の声が優しく私の肩を抱き寄せてくれました。「うん、なかなかいい履歴書になったわ。どんどん手を加えていっていいのね。」

 

パーヴォがニコニコしながらいいました。「あのね、僕だって、『ここのオーケストラで指揮したことは言いたくないな』というのもあるんだよ。もう随分昔のことだけど。そういう時は、あえて、記憶からなくしてしまうの。オタクはどこまでもそういうことまで知ろうとするけど、触れてほしくない過去っていうのも、人間だれしもあるじゃない(^_-)-☆?だから、もう忘れていいんだよ。いいことだけ、想い出にしていけばいい。」

 

ありがとう、パーヴォ💕

涙がでてきちゃった、パーヴォ💕

 

どこまでも優しいパーヴォに感謝します。

 

ちゅ💑