みなさま、夜分に失礼いたします。桂木里紗です。
きょうは通院日なのですが、なぜかあまり眠れなくて・・。
 
今は亡き母や、前の夫のことがしきりと懐かしく思われて、シクシク泣いていたら、
パーヴォの心の声が、「チコ、どうした?なにか困ったことがあったの?」と聞いてくれて、
「ごめんなさい、パーヴォ。なんだかね、ママやはるくん(前の夫ですね)が懐かしく思われて仕方ないの。
私、この二人だけではないけど、いろいろ不義理をしてしまったので、
どう詫びたらいいかわからなくて・・・。」
 
パーヴォの心の声は、「離ればなれになってしまった人たちのことを思うと、胸が痛むのは僕もよくわかるよ。チコはとても優しいから、自分の責任のように思ってるんだね。でも、それだけ、新しい出会いが、チコを励まして勇気づけ、チコの新しい可能性を切り開いてくれるんだよ。ママやはるくんは、もう過去の人だけど、どこかで必ず応援してくれるから、それに毎日感謝のお祈りをしていれば、ママも天国で安らかに眠れるし、はるくんも新しい環境で張り切ってお仕事してると思うよ(^_-)-☆」と、慰めてくれました。
 
「ブログで沢山の人に見てもらうことになるけど、チコの大切にしている写真をブログにアップしてみたら?なにか励ましてもらいたいときは、この写真たちを見て、改めてがんばろう!と思えるようになると思うよ」
 
パーヴォの提案に、始めはちょっと迷いましたが、思い切ってアップしてみることにしました。
 
 
まず、両親です。父が傘寿のお祝いで、スタジオアリスさんで撮影した、父と母のツーショットです(^_-)-☆
 

 
はるくんのお母さん(義母)と行った、横浜の港の見える丘公園のバラです。
義母の写真もアップしたかったのですが、「私は、写真撮らないで~💦」と恥ずかしがるので、写真がほとんどないのです。
 
 
私が世界でいちばん愛している男性(ひと)____パーヴォです。
 
 
本当に優しくて美しくて渋いパーヴォ。
 
 
亡くなる数か月前の母と、嬉しそうな父。
 
 
母が「ちょっとお化粧したいわ」と言って、私がメイクをしてあげました。
亡くなる1か月前くらいの母です。
 
 
これは、パーヴォがヨーロッパで公演したときのショット。
マーラー交響曲第8番「一千人の交響曲」です💛
N響の演奏でもDVDを出していただきたいくらい、カッコいいパーヴォです!
 
 
私の運命が180度変わった、運命の写真です。
パーヴォの優しい人柄がよく表れていて大事にしています。
 
 
ベルリンフィルを聴きに行ったときの、ブルーのドレスです。
ベルリンのデパートに入っている、マイケル・コースで買いました。
 
 
 
パーヴォにサインしてもらった、大事な一枚。
「ツァラトゥストラはかく語りき/メタモルフォーゼン」のCDです。
 
 
これは、マカオに行ったときのショット。はるくんが撮ってくれました。
(はるくん、つらかっただろうな・・・ほんとにごめんなさい)
 
 
 
病院に通院して、診察が終わって親子3人でランチです。
 
 
2016年9月に、吉右衛門さんと玉三郎さんの畢生の名舞台
「吉野川」を、はるくん(前の夫)と見に行ったときの写真です。
はるくんは「僕、子供を殺す(吉右衛門さんの)芝居は苦手なんだよ~」といいながらも、
私が「傑作だから!」といって付き合ってもらいました。
涙もろいはるくんが、さかんに「かわいそうだよ~子供たちが」と涙ぐんでいたのを思い出します。
根はとても優しいひとなのです。
いまおもえば、もっとはるくんに、どんどん歌舞伎座に一緒に行ってもらえばよかったかも、と
反省しています。
 
 
 

はるくん、ほんとにごめんなさい。

いつもブログ見てるよ、って言ってくれてうれしいです。もともとブログを始めたのは、はるくん、あなたに私の気持ちや好きなことを伝えたかったからなの。私は、はるくんのことが今でも大好きだし、一緒に歌舞伎座に来てくれて、すごくうれしったの。この一枚は大切な想い出となっています。

 

今思えば、わたし、すごくはるくんに気を遣っていたんだね。でも、うまくそのことが言い表せなくて、ほんとうは、焼き鳥屋さん好きじゃないのに、あなたと一緒に行ったの。カラオケスナックなんて大嫌いなのに、あなたが行くのが好きだから、一緒に付き合ってたのだけど、パーヴォのコンサートを聴いたら、私、はるくんの住む世界にいるのがいたたまれなくなって、それで飛び出してきてしまったの。

 

パーヴォの心の声はね、「はるくんに遠慮しないで、自分の好きな世界のこと、きちんとわかってもらえるように話せばよかったね。でも、はるくんは僕の見たところ、君の好きな世界とは対極にある男性だと思ったよ。君がオーケストラの奏でる音にうっとりしているのに、はるくんときたら、苦虫つぶしたような顔をして、僕のことをにらみつけていたんだもの(笑)。でも、チコはカラオケスナックに行くのを嫌がる自分は、とてもわがままだと思い込んでいたね。もうかわいそうでかわいそうで、なんとかチコを救い出したかったんだ、僕は。」というの。

 

「はるくんが何と言おうと、チコは芸術の審美眼が傑出しているし、その視点の鋭さを、歌舞伎界もクラシック音楽界も注目していたんだ。もっと早くにはるくんと別れるべきだったと僕は思う。でも、君にとって、はるくんは旦那様というよりも、同士、友人、親友みたいな存在だったんだね。」

 

「チコが病気になったのは、会社(東宝)での激務もあるかもしれないけれど、チコの本質を理解しなかった、はるくんやはるくんのお母さん、パパ、ママにも押しつぶされた結果だと思ってるよ、僕は。あと、横浜の人は冷たいね。チコが大変な病気になって、薬の副作用に苦しんでいるのに、誰も助けようとはしなかった。僕は横浜の家を出て、東京に戻ってきて、本当に正解だったと思ってる。東京の、いま君が住んでいるところは、誰しもがあこがれる街だけど、実際暮らしてみたら、みんな堅実に生きているし、社会のルールをきちんと守るし、近所づきあいもきちんとしているし、古き良き時代の日本の象徴のようなところで、チコにはぴったりだったと思うよ。この街に住んでみたら、チコが暮らしに必要だと思っている人間関係の良さが、ここには残っていたんだね。リハビリも兼ねて、チコがもうこれ以上、人間不信に陥らないようになってほしいなと僕は思ってる。」

 

「はるくんのことを、もう忘れなさい、とは僕は言わない。24年も連れ添ってきたのだからね。でも、24年経っても、チコの美質を見抜けなかったはるくんのことを、僕はとてもじゃないけど許せない。『海外旅行は、定年退職になるまで行く必要がない』なんて言ってたんだって?日本が鎖国をまたしたらどうするんだ、と思うよね!事実、今はコロナ禍で、お互いにどこにも行けない状況に世界中がなってしまった。はるくんの定年退職までにコロナ禍が終結すればいいよ?でも、もうかつてのような自由さはなくなっていくだろうと僕は思ってる。チコがはるくんの慰謝料で、僕のベルリン・フィルのコンサートやエストニアの音楽祭に来られたのは、本当にラッキーだったと思う。事実、海外にいけばいくほど、チコはとても元気になっていくんだもの!夫が果たす役割は、妻が元気になるために、あらゆる手段を尽くすことだと、僕は思ってる。だから音楽療法も申し出たんだ。」

 

パーヴォは随分あなたのことを怒っていたけれど、でも、私は、はるくんのおかげで、世間を知ることができたし、映画・芝居のことばかり考えていたけど、仕事を実際に進めるために、パソコンを買って、はるくんに教えてもらいながら、仕事の濃度をあげていくことができたし、とても感謝しています。

でも、カラオケスナックだけは本当に嫌だった。みんなたばこをスパスパ吸うし、なんだかこう・・だらしのない男性が多かったし、歌は確かにうまいんだけど、ド演歌ばかりで、私の好きなJ-POPやミュージカルの歌なんて、とても歌える雰囲気じゃなかったし、とても嫌だったわ。焼き鳥屋さんも嫌いではないけど、同じ値段を払うなら、ビストロとかイタリアンのほうが絶対嬉しいのに、はるくんは「そんな気取った料理は、僕は嫌だ」というのが残念だった。24年間も連れ添って、このまま進歩のない生活を送るのかと思ったら・・・・。

 

こうして考えてみると、私とはるくんって、「夫婦」じゃなかったね。「友達」だったんだね。大原麗子さんじゃないけど、一つの屋根の下に、男が二人でくらしてたようなものだったのね。

 

でも、はるくんを大切に思う気持ちは変わりません。

だから、あなたの価値観と合う女性と、早く結婚して、元気を出してくださいね。はるくんのお母さんのことも、大切にしてあげてくださいね。

 

おやすみなさい。