安田純平さんの拘束事件についての現地取材・調査 | ジャーナリスト藤原亮司のブログ
2021-12-31 11:30:03

安田純平さんの拘束事件についての現地取材・調査

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私はこれまでネットでは、極力安田純平さんについては書きませんでした。また、彼の拘束について自分で紙面(誌面)の記事も書かないようにしてきました。

なにを書いてもネットでは、特にTwitterのようなところでは真実よりも、その人を中傷できると思った人間への中傷の材料として使われることのほうが多いと思っていましたので、だったらネット上に「安田純平」という文字を残したくない、と思っていたからです。

しかし、2021年12月31日にネットに掲載された「AERA.dot」の安田さんの記事を受けて、以下のことを書きます。

私は安田純平さんがシリアで2015年6月に拘束されてから、ずっと友人である彼の消息をたどり(2012年8月に私がシリア取材をしたことや、ジャパンプレスの同僚の山本美香がアレッポで殺害されたことなどから、シリア情報を得るための伝手があったことなどから)、2016年1月にはトルコに行き、彼の情報を探り、その後も解放まで彼の動向を調べ続けました。

※ 安田さんの記事(後編)ではアブ・ワエルらを私が「取材」とありますが、私は自身による記事にするつもりはまったくなかったので、「調査」というのがトルコに行ったときの私の意図でした。

いくつもの、何人もの「自分は安田を解放する交渉ができる」と言われていた「自称交渉人(あるいは仲介人)」と会って、それらの人物の素性を知人から探ってもらいました。怪しい人物はそこでダブルチェック、トリプルチェックをしていく中で消えていきました。
その中で、「もっとも交渉に関われる立場にいる人物」と思われる人物にたどり着いたのが、今日(2021年12月31日)掲載された「AERA.dot」の安田さんの記事にも出てくるシリア人「アブ・ワエル」(男の名前)とその仲間(アブ・ワエルのグループ)です。

 

彼らは、安田さんの前に「ヌスラ戦線に拘束」されたイタリア人人道支援家の女性2人の解放(当時、すでに解放されていた)にも関わったとされていて、「アブ・ワエル」は、その解放時の写真をスマホで私に見せました。

また、安田さん拘束の直後にシリアのアレッポ郊外で「ヌスラ戦線によって拘束」されたとされる、スペイン人ジャーナリスト3人(と、シリア人ガイド)の解放交渉の窓口になっているとも言いました。


では、アブ・ワエルがなぜスペイン人たちの解放交渉の窓口になっていると言ってることをお前は信用できたのか、という疑問がわくかと思いますので、それにお答えしたいと思います。

 

私と安田さんの共通の友人である、スペイン人ジャーナリスト「V」という人がいます。彼はシリア取材中に「イスラム国」に約6か月間拘束され、スペイン政府の交渉により解放されました。私は安田さんが拘束されて以来、「V」とも連絡を取り合っていました。彼(「V」)の拘束の経験と、新たに拘束されたジャーナリスト3人についてのスペイン政府の対応を知ることによって、安田さん解放の手掛かりが得られるのではないか、と思ったからです。
 

彼は自身の拘束経験により、スペイン政府でジャーナリスト3人の解放交渉に関わっている人たちとある程度の情報の共有ができる立場にいました。そこから得た情報によると、シリアで新たに拘束されたスペイン人3人の解放交渉と情報収集のため、スペイン政府は官民による「救出委員会」を立ち上げ、常駐の人員をトルコに送ったとの情報を得ました。そして、その「常駐の人員」が交渉をしているのが「アブ・ワエル」とそのグループだと、私はスペイン側の情報として「V」から聞きました。さらに、スペイン政府から派遣されてトルコに常駐してたその人物とも私は電話や文字チャット、メールにて情報交換をしました。


また、私はスペイン人ジャーナリスト3人のガイドをしてたシリア人をよく知る人を知っていたので、そのガイドがスペイン人より先に解放されたときに、彼からも話を聞くことができ、「アブ・ワエル」に対してスペイン政府が行なっている情報収集の一端も知ることができました。

 

※ちなみに、「アブ・ワエル」一味は「ヌール協会」(ヌールは「光」などを意味する)という人道支援団体を名乗っている、在トルコのシリア人グループ)でした。

 

話を戻します。私は2016年1月にトルコに行き、何人かの「自称交渉人」を名乗る人物に当たってそのバックグランドなどを、シリア人の複数かつ別々の筋から調べてもらったが、どれも「不確かな情報を小出しにし、それによって金を得ようとする『事件屋』だ」との確証をえたのち、たどり着いたのが「アブ・ワエル」でした。

「アブ・ワエル」が、どの程度「交渉人として信頼できるか」を考えた理由は、先に述べたとおりです。実際に、「アブ・ワエル」を交渉窓口としたスペインは、ジャーナリスト3人の解放を成功させいています。

2016年1月31日、私はトルコ東部のある町で、「アブ・ワエル」と会いました。そのとき彼が私を見て言った第一声が、「やっと日本人が連絡をしてきたな」でした。

その意味を問うと、「これまでおれたちは、日本大使館や領事館に散々、安田の解放について連絡を取ってきたが、まったく無視で反応もない」と言いました。「それに比べて、スペインはすぐに連絡がきた」。「日本政府ってのは安田に冷たいんだな。安田はかわいそうなやつだ」と、彼は言いました。

その言葉からも、日本政府、外務省は、安田さんの解放について自ら動くことはなかったのだと確認ができました。

 

私は日本政府の代理人でも、家族に頼まれた交渉人でもないので、安田さんの解放について「アブ・ワエル」と交渉することはできない。ただ、「解放してほしい」「身の安全と健康に気遣ってほしい」と頼むしかできません。例えば、「安田さんが無事であるという証拠の映像が観たい」と言ったとすれば、「では、その映像に何万ドル払え」と、そこから金の交渉になってしまうので、それもできません(実際、映像欲しいならいくら払え、と言われた)。


ただ、安田さん自身が書いた「本人であることを証明する、安田さんにしか答えられないことが書かれたメモ」の画像を、「アブ・ワエル」のスマホから見せられました。

私は、安田さんを捕まえているという「ヌスラ戦線」への、解放要請の手紙を渡すぐらいのことしかできませんでした。

※ 当時、イタリア人人道支援家2人やスペイン人ジャーナリスト3人の拘束は「ヌスラ戦線によるもの」、とされていた。安田さん拘束もそうである。しかし、安田さんの帰国後に話を聞くと、どうもヌスラ戦線でない可能性が高い。


それは、当時のシリア反体制側支配地におけるもっとも強大な組織がヌスラ戦線であったため、「身代金ビジネス」をする上で、ヌスラ戦線を名乗ることが、交渉のメリットになったためではないかと考える。同時に、その当時からヌスラ戦線自身は「自分たちは身代金ビジネスはやっていない」と否定もしていた。それも事実であると思うし、また「ヌスラが拘束していると言う」ことに対する「みかじめ料」的な上納金は取っていたのではないかと考えている。


その後も、「アブ・ワエル」との連絡は、トルコでの調査を行なった時に同行していた私のコーディネーターを通じてとっていました。「アブ・ワエル」は英語を話しませんが、在トルコのシリア難民であるコーディネーターを通じて、時折連絡がついていました。


のちに安田さんのビデオが日本のメディアを通じて公表されたのは、いくら連絡を取ろうとしても無視される日本政府との交渉を断念した「アブ・ワエル」グループが、安田さんのビデオを日本メディアに売ることで、身代金を断念した代わりに「ビデオ販売代」で小金を稼ごうとしたのだと考えています。実際、多くの日本メディアが安田さんの映像にそれなりに大きな金額を払ったと、メディア関係者から聞いています。


それらの映像がすべて、「アブ・ワエル」グループから出てきたことからも、彼らは自分たちが望む安田さんについての映像を撮る、あるいは「撮ってもらうように依頼する」ことができる立場にいたということです。それは、日本政府がその気になりさえすれば、彼を通じて解放交渉ができたということです(スペインやイタリアの政府がそうしたように)。
 

※ もちろん、「拘束されている側」である安田さん自身がビデオの中で話すことを選べるわけがなく、「アブ・ワエル」側、あるいはその同調者(拘束している者たち)の望むことを話すしかない。彼らが小金を儲けるために「言わせたいことを言わせた」にすぎない。

 

先に述べたように、安田さんが2018年に解放されるまで、私はずっと安田さんの情報を探り続けていました。その中で、日本の外務省が安田さん解放のために、イタリアやスペインの政府がやった「交渉できる窓口」と連絡を取っていた、という情報はまったくありません。


また、「アブ・ワエル」グループでなくとも、もうひとつシリア反体制派側で起きていることについて、情報を得られる重要な窓口があります。シリアの反体制派側に太いパイプを持つトルコ政府系の、IHH(イー・ハー・ハー)というトルコ最大の人道支援組織で、実質上はトルコの諜報機関としての側面もあるとされている団体です。この組織は、トルコ政府がシリアについて情報収集や交渉を行なう上で、非常に重要な組織です。


私はIHHで人質解放交渉などを行なう担当者を2012年以来知っていて、会ったこともあります。山本美香がシリアのアレッポで殺害されたあとに、その関連で情報交換をしたことがあったからです。

 

私は安田さんが拘束されてから、そのIHHの担当者とも連絡を取り合ってきました。安田さんの解放や情報収集に動いてくれと、依頼もしました。しかし、彼の答えはいつも、そして最後まで、「日本政府からの依頼があれば動く」とのことでした。


その答えの意味するところは、安田さんが解放される時点まで、トルコ政府の実質的情報機関に準ずるIHHには、安田さん解放のために動いたり、情報を集めたりする権限が与えられなかったということです。すなわち、日本政府が積極的に安田さん解放の助力をトルコ政府にも依頼さえしていなかったということです。


イタリア政府やスペイン政府の前例を日本政府や外務省は当然知っており、「どうすれば安田さんを解放できるか」の知識は持っていたはずです。それにもかかわらず安田さんが解放されず、最後まで外務省が何もしなかったのは、「少しでも自分たちが動けば交渉が始まってカネの話になるので『テロリスト』にはびた一文払うつもりはない」、という一貫した姿勢を貫いたからです。それはそれで、政府の姿勢としては筋が通っていたともいえます。

 

なお、安田さんが2018年10月に解放されたころ、イタリア人(前出のイタリア人人道支援家2人とは別)や南ア人など、拘束されていた人たちが何人か解放されている。その頃はシリア情勢も反体制派にとっては厳しくなり、身代金なしでの解放がされています。

そのことを併せて考えても、安田さんの解放について身代金が払われたことや、政府の尽力があったとはまったく考えられません。


これは推測ではなく、解放に関与できる立場にあったシリア人交渉人(アブ・ワエル)や、トルコ関係者、シリア人たち、自国民の解放に動いたスペイン政府関係者などと、現地取材後も安田さんの解放直前までずっと、私が接触を続け情報を得てきたうえで、それ以外の結論はないと考えるに至っています。

 

※ カタールが身代金を払った、という話も一部で回ったが、それはカタール政府自体が否定しているし、日本政府も否定しているので、改めて言う話ではない。