息子という一人の人間は、障害名が付く前も、ついた後も、変わらない。
でも、明らかに物事の、見方、見え方が違っていることに気づく。
車を並べて「じゅうたいしてる~」って遊んだのも、
くるくるまわって、おもしろいねって言ったのも、
つま先立ちでちょっとだけ歩いたのも、
障害じゃなければ、楽しい思い出。
障害なら、「特性が出てますね。」
言葉の真似が上手になったときも、
障害じゃなければ、上手上手!
障害なら、オウム返し。
ちょっと集中できることが見つかったときも、
障害じゃなければ集中、
障害なら過集中。
色々なものに興味が移るときも、
障害じゃなければ好奇心旺盛、
障害なら落ち着きがない。
注射で泣かなかったことも、
障害じゃなければ、強い!偉い!
障害なら感覚鈍麻。
活発に体を動かすことも、
障害じゃなければ、かっこいい!
障害なら、感覚刺激を好む。
息子は何も変わっていないのに。
息子は息子なのに。
障害名なんて、大した問題じゃないと言われるけれど、
障害名は物事の見方、見え方を変える。
それは確か。
障害名がついてしまった今、
障害名を意識せずに、
息子を一人の人間として見てくれる人は
いったいどのくらいいるのだろう?