2016年4月2日、インドネシアの女性パンク/ハードコア企画の弾圧について | BRONZE FIST RECORDS・社長の訓辞

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2016年4月2日から3日にかけて行われる予定だった、インドネシアのパンク/ハードコアコミュニティーの女性たちのドキュメンタリー映画『Ini Scene Kami Juga!』(英訳:This is Our Scene Too!、監督:Hera Mary)の上映が予定されていた、インドネシア中のパンク/ハードコアコミュニティーにいる女性たちのための音楽・アートそしてディスカッションのフェスティバル・Lady Fast 2が警察とイスラム強硬派による弾圧で1日目で中止させられました。

 



この件から時間は経っておりますが日本にあまり伝わっていないと思われるので、インドネシアのパンク/ハードコアシーンと縁の深い人間として、関連サイトを和訳しここ掲載します。

まずアジア地域のパンク/ハードコア全般を取り扱うサイト・UNITE ASIA記事から。
https://uniteasia.org/shit-went-down-at-lady-fast-event-in-yogyakarta-indonesia-last-night/

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Kolektif Betina(今回のイベントを企画したグループ)は彼女らのフェイスブック上で昨夜のインドネシアでのイベント・Lady Fastで何が起こったかを、時系列で報告した。

 

このイベントでは、インドネシアのパンク/ハードコアシーンの女性に関するドキュメンタリー映画の上映が行われる予定だった。 ビデオの予告編は下記の通り。



このドキュメンタリー映画『Ini Scene Kami Juga!』(英訳:This is Our Scene Too!)の大まかな概要:

「インドネシアのパンク/ハードコアシーンでの、女性の役割は今も極めて少ない。なぜならば、パンク/ハードコアシーンは男社会だと考えられているからだ。インドネシアのパンク/ハードコアシーンのムーブメントに関わる女性たちは稀であるとされている。パンク/ハードコアシーンにいる女性たちのネガティブな汚名と問題は、広く拡がっている。

このドキュメンタリー映画『Ini Scene Kami Juga!』では、パンク/ハードコアシーンにいる女性たちの異なった面が見られる。この映画に登場する女性たちは、ミュージシャン、ジン製作者、写真家である。シーンには他にも多くの女性がいるがこの女性たちはまだアクティブに関わっている数少ない者たちの内の幾人かである。

この映画もまた、コミュニティ内の女性への適切な評判と露出の大切さを力説している。彼女らが産み出した音楽・ジン・写真そして他の仕事のほかにも、継続される相互間のサポートは、女性たち同士のスピリットを持続する秘訣である。

この映画はインドネシアのDIYパンクシーンにいる女性たち、特にジャワ島に住む彼女らのストーリーを語っている。これまで我々はジャワ島全域から、今日でもDIYパンクシーンに関わりのある14人の女性たちにインタビューを行っている。ジェンダーの問題、性差別、性欲そしてアクティビズムなどが全てこの映画の中で話し合われた。これらの女性たちがDIYパンクコミュニティーに貢献していること、そして今日の彼女らの日々の生活にいかに影響しているかが描写されている」

しかしながら今朝、起きたらソーシャルメディアは、大勢のFacebook/twitter/instagramのフィードで、警察どものおかげで上手くいかなかった事に関する書き込みで炎上していた。腹立たしい出来事が起こった事が分かる。

インドネシア語から英語へ翻訳されたKolektif Betinaの投稿をもとに概要を記した:

1. オープニング、そしてワークショップとシェアリングセッションが13:00から19:00まで続いた。
2. 音楽イベントが19:30からスタート。
3. 最後のバンドの演奏がスケジュール通りの順番に10時から始まる。
4. 10時頃になり、何の集団かはっきりしない15人が到着し、このイベントを一度、中止することを要求した。
5. 会場のオーナーとオーガナイザーはLady Fastの企画を説明しようとしたが、この集団から侮辱を受け、脅迫された。
6. その時、警察は既にそこに居た。企画者たちとLady Fastの間での議論が紛糾した時、私服警官による一発の銃声が響き渡った。
7. Lady Fastの代表と会場のオーナーはその集団との対話を試みる事を続けたが受け入れられず、やはり侮辱の言葉を投げかけられた。「風紀を乱した」そしてここが「道徳に反する場所」であると言う罪状になった。その集団は、この出来事に反発する500人もの人たちを脅した。彼らは、実際に暴力をふるおうとするジェスチャーを見せた。
8. Lady Fast委員会はイベントを終わらせることに同意し、設備を片付け始めた。そしてイベントの全ての後援者に整然としたマナーの元、解散するように求めた。
9. この混乱から逃れようとした我々の友達の女性の一人は「はぁ?お前たちは酔っぱらいか?酔っているのか?」と叫ぶ内に、その集団のメンバー達から暴力行為を受けた。他の後援者の女性もまた「うす汚い!」「女に権利などない!」「だらしない汚れ女め!」などの暴言を吐かれた。そしてベールを被っている後援者たちへは「懺悔しろ!懺悔しやがれ!」と喚いた。
10. 私たちが機材をほとんどきれいにし終え家の中にしまい込んだ時、その集団は扉を閉じて施錠した家に無理やり入って来て、許可なく家に入って来て動画を撮影し、写真を撮り、ゴミ箱を引っ掻き回した。
11. 彼らは建物に侵入すると同時に「アッラーフは偉大なり!アッラーフは偉大なり!」と叫んだ。
12. 建物の中には外から閉じ込められた男性3人、女性5人、子供2人の10人がいた。その鍵は、そこには居ず助けを求めに行っていた建物のオーナーが持っていた。
13. 集団は彼らのやり方を押し付けようとし続け、ドアのちょうつがいとノブを破壊した。私たちの友達は中に閉じ込められ、家のオーナーと連絡する手段がなかった。
14. 警察は私たちに、友達が怖がらず安心出来るよう、中から建物のドアをこじ開けさせるように言った。
15. 中にいる私たちの友達は、警察が捜査令状を持っているかどうかを尋ねた。警察は、もし我々がドアを開かなかったら、あの集団はドアを破壊して入ってしまうので、ドアを開けた方が良いと言った。最終的に、中にいる私たちの友達は鍵がなかったので無理やりドアをこじ開けた。集団は「燃やせ!燃やせ!」と叫んでいた。
16. ドアを開けるのに成功した後、警察とあの集団の内の15-20人くらいが家に入り、ビデオを撮影し、顔を撮った。ある友人の女性は、子供が怖がるから写真を撮らないように頼んだが、彼らは「ママ、討論や言い争いしたいの?何がしたい?君を殴る事は簡単だよ」と返した。
17. みんなはその時「安全確保のため」と言う理由を与えられ、警察によって警察署へ連れて行かれていた。そして何のイベントなのかについて質問され、そこで発見されたLGBTロゴが入った本について問われた。これらの本は我々の後援者の個人的な所有物で、イベントとは関係なかった。
18. AM1:33に、LBHジョグジャカルタの友達に付き添っていて、警察によって拘束されていた我々の友達の一部への尋問が終わった。

暴漢とチンピラ集団による言葉と身体両方での侮辱行為に対して無力であるという、そのような恐ろしい状況にいる企画者と、彼ら自身が見つけた後援者が気になった。

警察からかなりの支援を受けている暴漢とチンピラ集団の存在が、より馬鹿げていて恐ろしい環境を作っている。

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さらに下記、、事件の概要が客観的に分かりやすくまとめられた記事です。
https://www.iq-mag.net/2016/04/islamists-disrupt-indonesia-punk-gig-kolektif-betina-yogyakarta/

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イスラム原理主義者たちがインドネシアのフェミニストPUNKギグを妨害した

Kolektif Betinaは、一人の女性が攻撃された後、2度目のLady Fastイベントをキャンセルすることを余儀なくされた。主催者は、相応しくない服を着た共産主義者である、と誹謗中傷された。


インドネシアのフェミニストグループ「Kolektif Betina」(Female Collective)は、2016年4月2日土曜日に行った、ジョグジャカルタ市街での「Lady Fast」コンサートの第二弾をイスラム教のスローガンを叫ぶ『身元不明の集団』の妨害によって強引に中止させられた。

「Lady Fast」企画は、Survive! Garageという場所でライブ、ワークショップ、アートエキシビジョン、マーケット、そしてインドネシアの『パンク/ハードコアシーンは男社会なので、まだ全くの少数派である』女性の関わりについての映画『Ini Scene Kami Juga!』の上映などが行われる予定だった。

しかしながらPM10:00頃、最後のパフォーマーがステージに上がると同時に、男性の集団が「アッラーフは偉大なり!」と叫びながら会場を急襲し「相応しくない服装を着て道徳を堕落させる共産主義者だ」とオーガナイザーを糾弾した、とKolektif Betinaは彼女らのFacebookに書いた。

「私たちの女性の友人達もまた『汚らわしい!』『傷もの女どもめ!』『お前たちは不道徳だ!』というような暴言を吐かれた」

「この混乱から逃れようとした我々の友達の女性の一人はその集団のメンバー達から暴力行為を受けた」Kolektif Betinaは続ける。「彼女は掴まれて大声で『お前は酔っぱらいか?』と言われた。我々の他の友人たちもまた『汚らわしい!』『傷もの女どもめ!』『お前たちは不道徳だ!』というような言葉の暴力で侮辱された」

伝えられるところによると、Kolektif Betinaのメンバーが撤退させられたのと同じ頃に警察官によって威嚇射撃が空に放たれた。

世界で最もイスラム人口の多いインドネシアのパンク・サブカルチャーは世界で最も大きい一つで最も活気がある。しかし特にイスラム信仰が深く、イスラム法の影響力が強いアチェのような地域では、保守的な宗教の強制力を伴った反発は頻繁に見受けられる。

――――――――サイトの翻訳ここまで――――――――


そして下記は、実際にイベントに参加していたインドネシアの女性小説家・Eliza Vitri Handayani氏による記事です。
http://magdalene.co/news-751-before-we-were-attacked-my-experience-at-ladyfast.html

何のためにこのイベントが行われたのか、主旨も丁寧に書かれています。不審な人物が入ってきて騒動が起き、イベントが解散させられたことについても述べられています。

――――――――――サイトの翻訳ここから――――――――――

私たちが攻撃される前:Lady Fastでの私の経験。

(2016年)4月2日土曜日、PM1:00頃、イベントの会場となる、ジョグジャカルタ市街地の郊外にあるBugisan Roadの簡素な建物・Survive!に私は到着した。

Survive!は4月2日と3日、インドネシア中のパンク/ハードコアコミュニティーにいる女性たちのための音楽・アートそしてディスカッションのフェスティバル・Lady Fastのホストだった。

Lady Fastは、そのマニフェストが言う「差別を乗り越える最初のステップとして」自分の意見を自由に話すために女性にとって安全な場所を提供するため、様々なバックグラウンドから女性が集まったKolektif Betinaによって企画された。その夜の10時ごろ、ある集団がフェスティバルを攻撃した。Lady Fastの企画者が発表した記録によれば、その集団はSurvive!のプライベートスペースに押し入り、所有物を破壊した。警察は傍観していた。

私が午後の早い時間に到着した時、黒いTシャツと半ズボンを着て、変わったタトゥーで、ドレッドまたは非対称に剃った頭…パンク/ハードコアコミュニティーでは珍しくもない、数えるほどの人たちだけが集まっていた。麺のような髪の骸骨と壁を埋め尽くす紙のアカエイの群れの壁画が、テラスの壁を覆っていた。ドアの上に「In Survive We Trust」の文字が見られた。

テラスの周囲では幾人かがテーブルを設置していて、ジョグジャカルタやジャカルタその他からの様々なグループによってジンや不用品、ワッペン、バッジ、お菓子やアーティストによる絵画が販売されていた。

それらのジンは、ルール通りでないが責任を伴う子育て、女性のような見た目のために逮捕された経験のある男性、自分のナプキンの作り方、性的虐待・家庭内暴力を経験した女性たちに書かれたストーリーをまとめたものなど、様々な話題にあふれていた。私はそれらのジンを読んで、いくつもの新しい事を学んだ。

会場のガレージは、ピンクの水の中に覆い隠したオルガスムの表情(“Pleasure Seeking”)を展示したDinda Advenaによる写真や、Lidya Aventaによる、女性がかつて男性によって強制的に奪われた力を取り戻すタトゥースケッチ(“Soft Power”)を含むフェミニストのアートワーク展示スペースに一変していた。

会場の所有者は、Survive!はギャラリーで発表するに支障のあるアーティストのための新しい展示スペースとして設立された、と私に語った。Survive!は2009年にJalan Bugisanに設立され、最近ではクラフトマーケットそして77人の関連アーティストの展示会が開かれた。

所有者の彼女は、例えば午後11時には音楽の演奏を止めるコミュニティーの決まりを厳守する、など近隣との良好な関係を継続するために必死に動いていた、と私に語った。オーガナイザー達はたくさんの飲料水、バナナの葉に包まれた食事やクラッカーを提供した。あなたが支払うものを支払って下さい とのことだった。

アジェンダ上の最初のイベントは、コラージュメイキングのワークショップだった。これは建物のリビングで行われた。参加者はフロアに座り、二つの扇風機がブンブンとうなりながら苦労して涼しい風を送っていた。そのワークショップの指導をしたIka Vantianiはアーティストでもあり館長で、我々に古い雑誌・はさみ・糊を与え、私たちの「女性」という言葉の解釈を象徴するコラージュを作るように指示した。私たちはその授業で作品を提出した。



ジャワ、パレンバン、カリマンタンその他海外から参加者が来ていた。あるマレーシアから来た作家は、彼女のコラージュを「血」と呼んだ。なぜなら彼女は女性の人生の全ての段階が血にまつわっている…産まれた事、性的にアクティブになる事、生を与える事そして老齢に入る事…と考えたからである。

他の者は、多くの若い女性が結婚前は自分の父親に、結婚後は自分の夫に自分の全ての人生を捧げるように言われていた事から、自分の作品を「服従」と題した。他の女性は自分の作品を、世界がしばしば女性の発言を軽視し、ささいな単なるゴシップとしてまとめてしまう事を言うために「ゴシップ」と命名した。

その後、Kartika Jahja(ニックネーム・Tika)とShera Rindra Pringgodigdo…レイプサバイバーであり性的暴行の犠牲者に付き添う自主的なソーシャルワーカーである両名によるリードで、性別がベースになった暴力について語る授業が行われた。

彼らは「セックス」と「ジェンダー」の違い…前者は我々の性的な器官を含む生物学上の事実であり、後者は社会における我々の役割と見なされる構造である…と言う事について話し始めた。我々は産まれて以降、男性たちはリーダーとなり一家の稼ぎ手となりタフで強くなる事を、女性たちは従うかもしくはサポートする者となり家事のエキスパートとなり美しく女性らしくなる事を期待される制約をされてきた。女性たちはしばしば自身の身体と見た目を基に評価されている。

Tikaは「ミュージシャンとして、もし私が成功したければ曲を書いて出来る限り最高の楽器演奏をせねばならないと私は知っている。でも女性として自分の顔を可愛いくできるか、痩せられるかの心配もしなければ、作った音源は売れない」と言った。
 
これらの人々はパンク/ハードコアコミュニティーの一部であるという自分のアイデンティティーに誇りを持っている。彼らは自分の子供をこのイベントに連れてくる。
 
SheraとTikaは、大勢を巻き込んだギャング集団のレイプ、人身売買、近親相姦など過去に取り扱ったいくつかの事案を話した。彼らはまた、警察がしばしば、被害者がどんな服を着ていたか、なぜ夜に出歩いていたかを尋問してから非難したり、事件を捜査し立件する代わりに加害者と被害者の間で和解させようと試みたりする事に携わっている、と語った。

Tikaは、かつてある女性は耳を引っかかれ苦しめられたと語った。それをやった男性は「自分の耳を触っている女は、そうされる事を求めていた」と言った。被害は彼女の意に反する事であった。

「それが、私たちが女性達がレイプ被害を受け続ける負担を止めなければならない理由です。私たち全員、性的な目的に利用される肉の袋以上のものとして女性を見る事を共に学ぶべきです。これは、女性が自分の身体を隠す事や家の外での女性の活動を制限する事についてではなく、女性が性的な対象以上であるとすべての人に認識させる事についてなのです」

ほとんどの授業の参加者たちは女性だったが、幾人かの男性もちゃんと参加し多くの質問をしていた。

「プサントレン(※インドネシアにおける寄宿制のイスラム学校)における聖職者による性的虐待のドキュメンタリーを作ろう」一人の男性が提案した。

他の参加者は「もし平等を望むなら、何故『女性』というレッテルを捨てないのか?例えば何故、Komnas Perempuan(※女性に対する暴力国家委員会/National Commission Violence Against Women)があってKomnas Laki-laki(男性に対する暴力国家委員会)がないのか」と言う者もいた。

Sheraは、そのKomnas Perempuanが設立された歴史的な背景…’98年の暴動の際の大量のレイプ事件があった事を話した。そしてTikaは言った「何故、私たちがMan FastでなくLady Fastを開催するのか?理由は毎日がMan Fastだから」。彼女は、女性たちがそれらの事を発表するどころかステージ上で演奏する機会すらめったに与えられない事について話した。

イベント二日目の4月3日のLady Fastで上映されるはずだったドキュメンタリー映画『Ini Scene Kami Juga!』(英訳:This is Our Scene Too!、監督:Hera Mary)の中で、インドネシアのパンク/ハードコアコミュニティーの女性たちは表現の場を確保するために、男性たちに胸やおしりを揉まれて楽しまれる単なるシーンのファンとしてではなく、シーンの中で男性たちとの平等を認めさせるためにどうやって戦っていかねばならないかを話している。

夜が更けるにつれて、海外から来たブロンドヘアー・白い肌で典型的なパンク/ハードコアを象徴する格好の訪問客数名などを含め、どんどん人が来ていた。顔と首から汗が落ちた。その一団は、新鮮な空気を求めて会場から出た。

私たちが外部の人に見せている事を不思議に感じながら私は写真を撮った。私たちのタトゥーだらけで、Needle n' Bitch collectiveなどと言う名前の書かれた黒い服装で厳つく見える集団が、こういう外見を見慣れていない人達には恐いかも知れない事に私は気付いた。麻薬や売春?

マニフェストによれば、Needle n' Bitchは全ての性と性的志向の人たちに開かれた、性的な健全性を意識することをサポートする共同体である。「Needle」は縫ったり編んだりする事を表し、「bitch」はメンバーがしばしば、道徳的でなく罪であり恥ずべき事だというレッテル貼られて他の場所では話せなかった自分たちの経験を編んだり縫ったりしてみんなにどのように話すかを表している。

Needle n' Bitchは攻撃者から自分たちを守る事が出来る基本的な自己防衛テクニックのワークショップを指導していた。

「目を突け、これは効くぞ」彼らは言う。「でもしばしば自己防衛は賢明である事を意味する」。彼女らはメダンからジャカルタへヒッチハイクしていた時の事を話した。運転手は明らかに彼女らを人目のつかない場所へ引き込みたいという様子だったので、彼女らは彼から逃げるために本当に早くおしっこしたい、というふりをした。

これらの人たちはパンク/ハードコアコミュニティーの一部である、という彼らのアイデンティティーに誇りを持っていて、
自分たちの子供をイベントに連れて来ていた。そして私たちがすべき事は笑顔で握手を求める事であり、それはほとんどの人たちと会話をし始めるのを容易にする。

攻撃 (The Attack)

PM8:00頃、音楽パフォーマンスが始まった。女性がフロントのバンド・Agonyがその夜の口火を切った。私がその場にいた間、誰もヘッドバンギングやポゴダンスはしていなかった事に驚いた。全ての人が冷静に聞き入って拍手していた。

その時、攻撃が始まった。フェスティバルの企画者たちによれば、その攻撃者たちはアルコールと、参加者たちが着ている服を自分たちの不服の根拠として引き合いに出した。彼らはフェスティバルの参加者たちに対して、自らを名乗らない事を厭わず、そのきわどい名前の後ろにある意味を見い出そうとしなかったと思われる。もし彼らが、私のようにフェスティバルの本当の意味を見出そうとしていたら、そこにいたほとんどの人たちが良心的で、フェスティバルの名前に良い解釈が出来たはずである。

私のLady Fastでの経験は、とてもポジティブであった。私が記事を書いた理由は、多くの人たちが万が一、パンク/ハードコアのイベントを破壊的な活動に関連付けてしまう場合のためであった。

幾人かは飲酒していたがワークショップの間、的外れな質問をし迷惑をかけたり、うろうろしているだけだった。イベントの司会は後者の問題に気付き、全員に呼びかけた。「ゴミを一つ拾って、ゴミ箱に入れましょう」私が見た限り、大きな危険は、小さい子供たちの周りで喫煙している者たちによって起こった。

今もなお最近何度も起こったように偏狭・閉鎖的でディスカッションに反対するグループがイベントを攻撃した。暴力を振るい、迷惑をかけ、私的な所有物を損壊したのが攻撃者であるにも関わらず、そして1999年人権法が「国民」の表現の自由を守るためであるにも関わらず、警察は攻撃者たちの代わりに被害に遭った者たちを拘留したのであった。

スタンバイし、これを起こすのはいつになるのか。

――――――――――――サイトの翻訳ここまで――――――――――――

2010年1月にBRONZE FIST RECORDS企画にて、日本のスキンヘッド2バンド・東京CROPPED MENと大阪のBOOTed COCKSがインドネシアツアーを行った際に、最終日のバンドンでサポート出演してくれた女性Oi!バンド・D'PONIS(ディポニス)が、このイベントで上映予定だった『Ini Scene Kami Juga!』に出演しています。



今回、この事件を日本語訳したかったのはD'PONIS以外にも何人か、友人・知人が映画に登場していて、その上映が理不尽に妨害されたことに憤慨したのがきっかけでした。

 

なおこの後「Lady Fast 2」は、改めて2017年4月に場所をバンドンに変えて問題なく開催されました。

 


 


 

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