女優・淡島千景 |                と ん で マ ス ブログ                   気になるコトバを更新しています
2008-10-15 21:00:00

女優・淡島千景

テーマ:ブログ
日経【夕刊文化】44086号

あわしまドキドキちかげ

東京生まれ。宝塚歌劇団で娘役トップスターとして活躍、11年間在籍後、映画界へ転じた。「夫婦善哉」でブルーリボン主演女優賞受賞。その後、舞台やテレビなどで幅広く活動。演劇

1964年10月23日は、東京オリンピックで日本の女子バレーボールが金メダルを獲得した日だ。このバレーボール(写真は省略)は、競技に出たニチボウ貝塚の選手が勝利を記念し、サインしてくれたものだ。新月
東京オリンピックの時、新聞社から記者同行での観戦記を依頼された。何が見たいかと尋ねられ、私はバレーボールのことはよくしらなかったが、鬼の大松といわれる監督のもとで女性ばかりで猛訓練している、と有名だったので、バレーボールを希望した。クローバー
それが勝ってしまった。DASH!うれしくて控室に連れて行ってもらい「おめでとう」とお祝いを言った。選手は林のように背が高い。でも、皆、美人なのである。長い髪をアップにスプレーで固めて顔がよく見え、手もすらっとしていて爪が長く、マニキュアをしている。富士山もそうだけど、日本一にいるものは「きれい」なんだと思った。新月
祝賀会で、行事が一通り済んだら家に遊びにきてちょうだいと言ったら、「くる」と言い、「何人でもいいか」というので、「かまわない」と言ったら河西昌枝らニチボウの選手が大挙して東京・上野毛にあった私の家を訪ねてきた。家走る人走る人走る人
大松監督は「お嫁に行け」と言うが、お婿さん探しに東京に出てくるのは大変だから我が家を拠点にしたらということで、家には河西、松村好子、谷田絹子、半田百合子、五十嵐留美子の五人が合宿することになった。寝るところもないので応接間で寝ていた。ぐぅぐぅ
私が大阪で公演をしていると、大勢で楽屋にやってくる。どこにも行ったことがないというので、京都の都ホテルに部屋をとり、京都見物をしてもらった。カバン
彼女たちは「国体に出たことがない」ので国体に出たいと言いだした。最小限の人数をそろえ、私がオーナー、私のマネージャーである垣内たづが監督になり、「富士クラブ」の名前で65年9月の岐阜国体に出場した。選手の一人が妊娠し実際は試合にでられないとかハプニングはあったが、国体優勝を果たした。王冠2
そのうち、河西が佐藤栄作夫人の紹介で自衛官とお見合いし「日本の国のために立派な子孫を残したい」と結婚したのを皮切りに、ぼつぼつ相手が見つかっていった。皆、今でも元気でやっているのが何よりもうれしく、このバレーボール(写真は省略)を見ると励まされる。新月

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