以下の記事は2020年の6月にアップされたものですが



日本航空123便の撃墜事件

悲しい記憶ですが、日本航空123便ジャンボ機が

1985年8月12日に墜落し、乗客520名が死亡、
4名が生存救出された事故はいつまでも忘れる事は出来ませんね。

様々な報道機関で特集を組んで放送されて来ましたが、後部圧力隔壁を修理する中で発生した作業ミスが本事故の主原因と結論づけられています。

それは本当でしょうか?




それはさて置いといて、翌一月後の
1985年9月22日にアメリカのプラザホテルでは、
G5、先進5ヶ国蔵相、中央銀行総裁会議が行われました。

それまでは日本経済は飛ぶ鳥を落とす勢いで、
躍進を続けてまして、ナンバー1のアメリカ経済もレーガン大統領のドル高政策もあり、大幅な貿易赤字と財政赤字で二位転落かとも予測される始末でありました。

三菱地所はロックフェラーセンタービルを買収して、アメリカのプライドをズタズタにした筈です。

しかし、このプラザ合意により、円ドルレートが250円から半値近くドル安となり、120円まで下がりました。

円安を背景に日本経済は輸出攻勢を仕掛けてましたが、それ以降は輸出企業は大苦戦となります。

この事と、日本航空墜落事故との関連です。

実はJAL機はアメリカ軍の戦闘機に尾翼にミサイル攻撃を受けて墜落したらしいのです。

マジかよ~!
なんて疑う人も多いかも知れませんが、
円高と米軍機のミサイル攻撃の時期が重なっていて、どちらも日本に対するアメリカの反撃となったとしても不思議では有りません。

自衛隊の救出が二時間近くも許可が出ない間に、
アメリカ軍のヘリコプターが何をやっていたのか?

それまでの時間に重要な証拠隠滅をアメリカが行っていたのか?

日航機が尾翼破損で近くの横田基地に着陸をしようとして、米軍横田基地から断られて息尽きて墜落した。

☆当日は機内に大量の放射線治療器具が搭載されていたから、放射能が機体に残っていたとか。

尾翼破損時にキノコ雲が機体周りに発生したとする目撃者がいた。


元日本航空パイロットで、事情を良く知るワールドフォーラムの代表、左宋 邦皇氏がその事情を講演してる最中に、ペットボトルのお茶を飲んでから倒れて即死した疑問!

彼が講演で述べたのはアメリカ軍による、空対空の中性子爆弾搭載のミサイル攻撃だった!

さて、興味のある方はYouTubeなんかで探して見てはいかがでしょうか。




撃墜したのは自衛隊であり、中曽根元総理の指令だった、とこが改訂すべき処ですが。

その記事に関して、あの当時、ヤフーの知恵袋にリンクされて、「確かですか?」との
返答に
【目立ちたいだけだろうね】
とうちの記事が評価されていた。



これぞヤフーにもはびこるネトウヨという奴で、政府から金を貰って不都合な記事を書くと、攻撃する連中の事である。

売国奴日本政権の、わずかなアルバイト料で動かされるアホな連中である。


今ではあの森本卓郎さんもはっきり本に書いているが