神は無から有を呼び出して存在させるお方。
神ご自身が自存の神である。
自分自身を存在させることができるのだ。
実に見える世界というのは小さな世界。
目に見えない世界は大きな世界。
見える世界への入り口は広い。
目に見えない世界への入り口は狭い。
日本人ならば誰でも広い門を通りたいのだ。
和を大切にする国民だから。
相手に合わすことが義になっている民族。
律儀が心を支配してしまっている日本人は多い。
その律儀は自分がないのだ。
だから海外の人は日本人は何を考えているのかわからないと言う。
それは自分がないのだからしょうがない。
自分を隠して覆っているのだからしょうがない。
旧約聖書で罪とは・・・包み隠す・覆い隠す。
新約聖書でいうところの罪とは・・・的外れ。
的とは・・・?
神。
神から外れたことが罪です。
私も罪人のかしら。
でも神様の命の中にいるので愛されています。
神様の愛が伝わって染み込んで来るのです。
それは・・・正しい場所に自分自身を置いているからです。
正しい悟りの霊が注がれる。
偽りの霊を見分ける力が与えられる。
主の恵みの中で主に向かって生きる。
神に対して生きていく。
そして主の夢を見せていただく。
知恵のことばが注がれる。
感謝ですね。
主は生きておられます。
そしてみいつをまとっておられます。
主はご自身の羽で私たちを覆われる。
岩だぬきは岩に隠れます。
クリスチャンは主の中に身を隠します。
私はいつも私の前に主を置いた。
主の仰せを愛します。
仰せとは・・・?
戒め。
神の法則がある。
目に見える世界を動かしているのは目に見えない世界だ。
相手の考え方に合わして合わしいていくように教育されてきた日本人。
それが・・・律儀になってしまった。
本来は人間は人ではなく神に合わせていくべき。
人の考えが基準ではなくキリストが基準です。
そして・・・人は砂。
この世も・・・砂。
砂浜は柔らかいので自分という塔を合わせられるのです。
砂を自分に合わすのです。
自然を神とすると言いながら実は自分が神になりたいのです。
アダムからそうですね。
人の上に塔を建てても崩れ去るのです。
この世の上に家を建てても倒れてしまうのです。
キリストは岩です。
岩に私たちを合わすことは難しいのです。
岩は真理なので変わらないからです。
なので私たちの塔が岩に合わせるしか塔は建たないのです。
それには私たち自身が削られて削られていく。
変えられて変えられていく必要があるのです。
岩によって整えられて整えられていく必要があります。
自然が神になってしまった日本。
自然を崇拝していると見せかけて自分を神として建たせている国民に希望はあるのか?
あるのですね~
背信の子らよ帰れ!
わたしがあなたがたの背信を癒そう!
主はそのように叫んでおられるからです。
わたしが主であることを知るであろう。
救いは主のもの。
救いの主に希望があるからです。
私たちは主の器です。
整えていただきましょう。
アーメン・・・主よ!
復活の主にありて
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