チンギスハン
百人隊長となる
トオリル ジャムカ チンギスの連合軍は長年の宿敵タタル族を攻めた。このときの戦勝記念碑の碑文によれば1196年の6-7月ごろとされ
この功績により金の完顔襄より「ジャウトタリ」と言う称号を受けた。これは百人隊長を意味する。つまりパオ集団はおそらく300人程度でありチンギス集団はまだ小規模の組織であったと想われる。「元朝秘史」にはこの頃数万の規模を要する軍事組織とかかれているが虚構の世界であったことが史跡等から推察される。
ケレイト族のトオリルもこのとき金からカンの称号を貰いモンゴル高原中部に勢力をもち最大の勢力でありチンギスの庇護者でもあった。
内モンゴルへの進出
ウルジヤ河の戦い以降、金との国境線近くでのチンギスの活動が活発化した。
チンギスのタタル族追討は容赦がなかった。彼の父はイエスゲイはタタル族に毒殺されている。
その後部族は離散してテムジンは母ホエルンと家族だけでタイチュート族の襲撃を受けながら苦難との時を得てようやくタタル族殲滅の機会を得た。
ヘルレン河を越えフルンブイル高原に流れ込むネムルゲス谷でタタル族の男を皆殺しにしそれ以外はことごとく奴隷にしたと「元朝秘史」に記録されている。
ウルクイ河流域は現在の内蒙古自治区東ウジュウムチン付近であり馬牧場の生産拠点でもあり
金の要衛のリンコウフまでわずかな距離にあり
このときチンギスは初めて金の豊かさと文化の高さを知ることになったのだろう。
金攻略はチンギス亡き後のことである。
白石典之著
チンギス・カン 蒼き狼の実像 中公新書 参照
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