http://d.hatena.ne.jp/samepa/20160313/1457822454
この記事を見て、前にJ君と話していたときに私はまったく逆に近いことを話していたことを思い出した。
私に悪意はないのだが、偏見だと怒られてしまいそうなので日記には書かなかった内容である。
その時私は、J君がためしにメンサにを受けてみたら受かったとかで、一緒に食事をしていた。
メンサというのはいわゆる高知能試験である。
J君は昔から格闘ゲームが好きでやっているのだが、強い弱いでいったらハッキリ言って弱い。
これについて、J君は自身で「長考が許される分野のが得意なんだよね」と言っていた。
あとJ君に限らず、私の周囲の格闘ゲーム仲間できわめて高い知能を持つ人はもれなく格闘ゲームが弱いという事実があった。
受験では、ほぼ満点のような点数を取りどんな一流大学でも楽々入れてしまうようなO君。
数か国語を流暢に操り、専門分野の通訳、翻訳もこなすN君。
語学も数学も得意で一流大学から一流企業という典型的エリートのI君。
普通に考えたら頭が良いほうがゲームは強そうなのに、みんなもれなく格闘ゲームは弱いのである。
私はこれを低学歴格闘ゲーム強い理論
と呼んでいた。
もちろん例外等はあるだろうが、基本的に低学歴の人間のほうが格闘ゲームは強い傾向にある。
ここで誤解してほしくないのは、だから格闘ゲームが強い奴は低能だとか、劣等種だとか言うつもりはサラサラ無いということである。
コンピューターにしても、複雑な作業をさせれば時間がかかる。
つまり脳の構造が、複雑な思考を長時間かけてやるタイプか、単純な判断を短時間でやるタイプかの違いなのではないかということである。
知能に関して低いと言われている黒人が運動の分野では圧倒的に強いように、基本的に人間の能力というのはたいして差が無く、何に向いているかの違いなのではないか。
これが「低学歴格闘ゲーム強い理論」で、この理論が正しければ、おそらく早指しが苦手な将棋指しや、一流大学の中でもトップクラスの成績を残しエリートとよばれるような人間は天才にもかかわらず、格闘ゲームをやらせたら弱いのではないかという仮説である。
しかし、この仮説は実は検証するのはいささか難しい。
そもそも勉強に費やす時間が必要な人間は格闘ゲームに費やす時間は少なくなってしまうし、頭が良い人間が格闘ゲームで時間を浪費する可能性は低いからである。