ここ暫く、眺めていた騒動についての、個人的意見です

 

 

 

普段生活していて、特段意識はしなくても

日本という国に生きていると

自分は法律に守られている、自分には保証された権利がある

と思ってしまいがちだけれど

義務は一律に押し付けられるけれど

自分の権利を振りかざすときには、なかなかハードルが高いものです

 

 

例えそれが、公然の事実みたいになっていても

例えば不倫のような、一般的に他人に広く知られたくないような事実を

公衆の面前で指摘してしまうと

指摘したほうが罪に問われてしまったり

 

法的に訴えるということも

本当はする気は無いけれど、警告代わりに発した

となると発した側が罪に問われる可能性が出てきたりします

 

 

法律は、弱者の味方ではなく

理解してうまく利用できる者の味方ですし

そのための専門家は、依頼人の味方です

 

 

酷い言葉は使っていない

反論しただけだ、ツッコミを入れただけだ

 

それだけのつもりでも、それが長期間に渡ってだと

相手に与えたストレスが病気の原因と見なされ

不法行為の損害賠償の根拠になってしまったりも

十分あり得ることです

 

 

また、反論のつもりで言葉が過ぎてしまって

誹謗中傷に該当してしまったりも

よく見受けられることのように思います

 

 

思うことは自由ですし

書く権利も各々にありますが

 

根拠も提示できない不確定な推論を長期にわたって書けば

それも、誹謗中傷にあたってしまうことがあります

 

 

 

その依頼内容を受けるか受けないか

どの切り口で裁判を戦うのか

それは専門家の毎の判断によります

 

あちらの専門家は受諾しなくても

こちらの専門家は受諾することも十分にあり得ることです

 

あちらの警察署ではろくに話を聞いてくれなかったとしても

こちらの警察署では詳しい担当者がいて

熱心に聞いてもらえたりも

普通にあることです

 

 

どちらにしても

起承転結で収まるような、シンプルな構造の方が

理解されやすいのではないでしょうか

 

 

アレをされてコレをやり返した

コレをやったらアレをやり返された・・・

起承転々々・・・結なんて話

あなたは、一度に全部聞きたいですか?

 

 

出るところに出ることになった時

あなたの気持ちは、ほとんど重視されませんよ?

あなたが何をしたか

あなたが何をされたか

そこだけが注目されます

最終的に考慮されるのは、感情じゃなくて事情です

 

 

 

 

心の自由はともかく、行動の自由は、責任が伴うことを

今一度、いい大人の各々が

考えられてはいかがでしょうか

 

 

必要なのは、信念ではなく

その言葉を書いて、結果、金銭の支払いが生じても

辞さない覚悟なのではないでしょうか

 

耳障りのいい言葉に後押しされて

あなたが本来、行使できたはずの権利を

あなた自身の手によって損なってしまっていませんか?

 

 

 

 

改めて、青少年向けのネットリテラシーでも

学び直されてはいかがですか?

使いこなす能力が問われているのです