重度障害の息子ではありますが、かつてたった一度だけ恋をしたことがあります。
それは普通の人のそれと違うのかもしれないけど、誰かを想ってその人の姿が見られると嬉しくて・・・
彼の中でそれは恋と言う感情に結晶しているかどうかわからないけど、こう言う子でもそんな感情を持つんだ、て私も驚きました。
しかし自閉症の悲しさかな、アウトプットは非常に苦手。
記憶力が異常に良い自閉症の長所は、何事も忘れることができないと言うことと表裏一体なのです。
学校を卒業した頃、彼が何を思い煩ってうつ病を発症したのかわからず私も混乱しました。
ですが、会話だけでなく文盲のはずの彼が一生懸命漢字を書いていました。
その形から誰かの名前ではないかと推察した私は、元の学校の先生にこう言う名前の子がいなかったかと問い合わせてみたら案の定いたのです。
私は藁をもつかむ気持ちでその子のお母さんに連絡し、どうか息子に娘さんを会わせてやってくれないか、と頼んでみました。
それが叶い、しばらくは一月か二月に一度一緒に親同伴で食事をするようになりました。
しかし息子より障害の軽い彼女にとってこの会食に何の意味があるのかわからず・・・
負担をかけているような気がしてそれもいつしかなくなりました。
それでも息子は最悪の状態から立ち直りました。
私は彼女に感謝しなくてはなりません。
でも悲しいのは、息子は卒業してもう6年もたつのに今もその子一人を想い続けているのです。
今年も母校の学園祭に行ってきました。
その日を息子は一年楽しみにしています。
でもそこへ行ってももう彼女はいないのです。
そのことが息子には理解できない。
何故自分は大好きだった学校にもう行けないのか。
何故大好きなあの子はいないのか。
そのことを理解することもできず、忘れることもできない。
息子の心はきっと楽しかったあの頃の時間に立ち止まったままなのだ。
話ができるものならしてあげたい。
状況は移り変わっていく。
もう24歳になったお前もあの子も学校には行けないんだよ、だからもう会えないんだよ、と。
息子が彼女の名前を呟くたびに胸がしめつけられる。
忘れると言うのは大切なことなんだと思う。
嫌な事も悲しいこともすべてがずっと蓄積された人生などどれほど辛いものか。
きっと明日に向かって生きるために人間は忘れるのだと思う。
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