アラン・ドロンとマルコヴィッチ殺害事件 | アマルコルド ~音楽と映画のダンディズム~

アマルコルド ~音楽と映画のダンディズム~

“アマルコルド”とはフェリーニの映画タイトルであり、過ぎし遠い日々に想いを寄せるという意味です。

 歳を重ねればこそ、古き名曲や名画に触れる度に新たな発見をします。 
 思慮と分別を持つ紳士淑女に、今宵再びクールでアダルトな音楽と映画を!

 第2次世界大戦後のヨーロッパ各地では国土が焼失し、家族や恋人と死別して生きる気力さえ喪失した人々の数は知れない。そんな大戦末期から終戦直後にかけての社会的な大混乱の中で、殊にフランスとイタリアは怯むことなく映画を制作し続けた。それが結果的に経済と文化の復興の一助になり、疲弊した人心に活気を潤したのだ。だが実感としてはまだ貧しかった時代だ。おそらく50年代半ばまではフランスもイタリアも互いの国が単独で映画を制作していた。ボクが知る限り、この時代のフランス、イタリア映画には秀逸な作品が揃っている。
 処でフランスとイタリアは隣国同士である。映画産業が隆盛期に入ると、監督や脚本家、俳優同士の交流も自然に行われてくる。監督を含む製作者はこれまで切磋琢磨してきた互いの作風に刺激を受け、そのエッセンスを自国の作品に織り交ぜて完成度の高い作品に仕上げていったのだろう。やがて資本提携が結ばれ、映画を共同で制作するようになる。主役級の俳優達も自国のみならず、他国資本の映画に出演するようになった。
 60年代を入り、両国とも経済繁栄の真っ只中にいた。だがその繁栄が新しい世代の若者に精神的な歪みを生じさせ、価値観が大きく変わっていく。若者には過去の体験の痛さや悲惨さを伝える映画が通じなくなり、特定の俳優が発散する魅力に頼るようになる。

 先日、フランス、イタリア合作映画でアラン・ドロンとロミー・シュナイダーが共演した『太陽が知っている』を観た。二人の共演はさぞかし好奇な視線に晒されていたであろう。以前も触れたことがあるが、この二人はロミー主役の『恋ひとすじに』で初共演。当時のロミーは人気女優として絶頂期にあり、その相手役に無名のアラン・ドロンが抜擢されたのだ。二人はほどなく恋に落ち、婚約する。その後すぐアランは『太陽がいっぱい』のトム・リプリー役で世界的なスターに押し上がり、以降も続々とヒット作品に出演しては名声を勝ち得た。次第にロミーとはすれ違いが嵩じるようになり、そこへナタリー・バルテルミーが登場する。アランは彼女に鞍替えし、63年にロミーとの婚約を解消する。翌年、アランとナタリーが結婚。これを機にアランが活動の場をアメリカに求めた為、二人の仲は完全に終止符が打たれてしまう。
 一方、ロミーはアランへの思募を捨て切れずにいたが、66年にドイツの映画監督ハリー・マイエンと結婚する。アランは幾つかのアメリカ映画に出演したものの、当時の社会情勢でアンチ・ヒーロー物が脚光を浴びていた時代に受け入れられず、同年フランスに帰国する。

 息子ダヴィッドを授かったロミーは一時期家庭に比重を置き、女優業に空白期間があった。だが68年に『地獄のかけひき』で女優復帰する。ロミーは家庭や子供を大切にする信条の持ち主だが、再び女優として演じる歓喜に浸っていた。そこへ突然、アランから声が掛かったのだ。彼はジャック・ドレー監督『太陽が知っている』の相手役にロミーを指名する。それは若き日に無名だった自分を押し上げてくれたロミーへの恩返しという美麗な発想ではなく、かつて恋仲だったロミーと倦怠気味の夫婦役を演じれば、それだけでも話題を呼べると踏んでいた節があったのだ。
 熱心な映画ファンなら『太陽がいっぱい』の冒頭、カフェの場面でロミー・シュナイダーがカメオ出演しているのをご存知だと思うが、厳密にはこれは共演とは言えない。ロミーとアランは『恋ひとすじに』以来、約10年ぶりに共演を果たしたのだ。『太陽が知っている』ではいきなり二人の濃密な抱擁シーンから始まる。それは下世話な興味を持った観衆の心理を見透かした制作者側の意図が見える。
 それにしてもロミーはアランへの思いは完全に断ち切れたのだろうか? 子供が生まれたので“焼け木杭に火が付く”関係は望まなかっただろうが、少なからずの愛憎は抱いていたと思う。それが演技に及ぼす影響は...この辺りの心情は男性のボクには判らない。それに対し、ロミーは後に「もしも一緒に暮らしたことのある俳優同士は決して共演してはならないという決まりがあったら、すぐ映画なんか一本も作れなくなってしまう...。」と語ったそうだ。
 ロミーは私情を捨て、アランの思惑を知った上で女優としてプロに徹したのである。

 余談ながらロミーとアランは後にもう一度共演している。それが71年の『暗殺者のメロディ』である。この時ロミーは夫ハリー・マイエンに愛想を尽かし、アランもナタリーと離婚したばかりだった。だが彼は新しい恋人ミレーユ・ダルクと同棲を始め、遂に二人は縒りを取り戻すことはなかった。

 『太陽が知っている』は婚約までしながら破局した二人の共演だけでも充分興味を惹かれるが、そこに旧知の友人としてモーリス・ロネが登場することで目が離せない展開となる。この映画は存分に『太陽がいっぱい』を意識している。モーリスに劣等感と憎悪を抱くアランは、この映画でもモーリスを殺害するからだ。モーリス・ロネはまたもアラン・ドロンに殺害される役柄で起用されたのだ!
 この展開だけなら『太陽がいっぱい』と同じなのだが、それに感づいたロミーはアランを自分の傍に置きたい為に、敢えて刑事の尋問に余計なことは喋らず、真相を胸の内に収めるのだ。勿論、これは創られた脚本なのだが、当時の三者の立場や愛憎を考慮すると仲々意味深な内容である。

 太陽が目映いサントロペの豪華な別荘で、流行作家のジャン=ポールと妻でジャーナリストのマリアンヌは快適な休暇を過していた。但し二人の仲はやや冷えている。そこへ二人の旧知の友人ハリーが、ハイティーンの娘ペネロープを連れて訪ねて来た。ハリーとマリアンヌは昔の恋人同士であった。
 ハリーはジャン=ポールの前で「今でも彼女を自分に引き寄せる自信がある。」と言い放ち、優越感に浸る。何かにつけて挑発されるジャン=ポールはハリーへの憎悪が増す。その一方でジャン=ポールは若く初心なペネロープに興味を示す。それを知ったマリアンヌは彼を嫉妬させる為、わざとハリーに親しげな態度を見せる。
 ある夜、泥酔したモーリスはジャン=ポールと諍いを起こし、プールに突き落とされる。突然ジャン=ポールはそれまでの鬱憤を晴らすかのように、プールから上ろうとするハリーの頭を押さえつけて溺死させてしまう。
 翌日、刑事が来て執拗に尋問するが、ジャン=ポールは動じなかった。マリアンヌは彼が犯人であることを裏付ける証拠の品の隠し場所を知っていたが、供述しなかった。結局ジャン=ポールは証拠不十分で不起訴。ペネロープは母親の許へ帰ることになった。
 だがジャン=ポールとマリアンヌの仲は修復不能である。唯一二人を結びつけるものは、殺人者と真相を知りながら沈黙した共犯者という間柄である。今後、苦悩の人生を生きていくことになるだろう...。

 映画では輝く太陽の下、豪邸内のプールで4人の男女が所々で遊泳に興じる姿が描かれているが、この映画の原題は単純に『La Piscine:プール』である。制作側の『太陽がいっぱい』を意識した配役と内容と言い、邦題を『太陽が知っている』と名付けた日本の配給会社も仲々商魂逞しい! 第一、殺人事件が起きたのは夜なので、太陽は何も知らない筈なのだが...。


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 処でこの『太陽が知っている』の撮影の最中、アラン・ドロンはこの映画の内容を地で行くスキャンダラスな殺害事件に巻き込まれていたのである。それがアランの側近ステファン・マルコヴィッチが射殺され、遺体となって発見された事件である。すぐに被疑者は逮捕されたものの、証拠不充分で釈放。アランも重要参考人として何度も警察に召喚を受けたが、同じく証拠不充分で不起訴。捜査は未解決のまま打ち切りとなった。
 『太陽が知っている』の主人公ジャン=ポールもまた証拠不充分で起訴を逃れ、事件は迷宮入り必至となった。映画は現実に起こった「マルコヴィッチ殺害事件」と関連付けされて、中途半端な出来ながら大ヒットを放ったのである。まるでアラン・ドロンはこのスキャンダルですら逆利用したかのようだ。
 勿論、彼が直接手を出すような愚かな真似はしない。如何にも自分が事件の重要部分に関わっているいるような素振りを見せ、マスコミが騒ぎ立てるのをほくそ笑んでいたのではないだろうか? きっと観衆はこの事件の犯人像に役柄上の自分を重ねるだろう。映画は話題性が大きければヒットする。彼は強かな計算をする男だ。

 マルコヴィッチ殺害事件の概要を述べてみる。68年10月、この年の1月までアラン・ドロンの第一秘書兼ボディガードを務めたユーゴスラビア人ステファン・マルコヴィッチの射殺死体が、ヴェルサイユ近郊のエランクール町の公衆ゴミ捨て場で念入りに縛った大きな麻袋の中から発見された。彼は自分が消される可能性があることを認識していたようで、生前故郷に住む兄アレクサンダーに手紙を送っている。その手紙には「もし自分が殺されたならば、それは間違いなくアラン・ドロンとフランソワ・マルカントーニの仕業である。」と書かれていた。マルカントーニとはパリでナイト・クラブを経営するコルシカ・マフィアで、暗黒街の顔役であった。彼はアランとも知り合いの仲である。
 この事件を遡ること2年前、それまでアランのボディガードだった同じくユーゴスラビア人ミロス・ミロシェヴィッチがハリウッドで、俳優ミッキー・ルーニーの五番目の妻と変死していた。この事件は当初、情死事件として処理されたが、後の調査で痴情問題とは関係なく麻薬密売の犠牲となり消されたことが判明した。処がミロシェヴィッチの妹ゾリカは「兄はマルコヴィッチに殺された。」と主張した。ミロシェヴィッチは当時ハリウッドで『テキサス』を撮影中だったアランに同国人のマルコヴィッチを紹介している。
 妹ゾリカはマルコヴィッチが兄を殺して、ドロンの第一秘書兼ボディーガードの地位に就こうとしたと唱えたが、確たる証拠は無かった。しかし信憑性が高いのは彼女がマルコヴィッチの情婦だったからだ。非常にややこしい! 事実、マルコヴィッチは彼の死後、第一秘書兼ボディーガードの地位を獲得した。

 マルコヴィッチが兄に宛てた手紙から、警察はサントロペで『太陽が知っている』の撮影中だったアランを訪ね、尋問をした後、アランの邸宅を家宅捜査した。翌69年1月、フランソワ・マルカントーニ殺人共犯の疑いで逮捕され、告訴に至った。同月、アラン、ナタリーの夫婦、及び側近らが重要参考人として召喚された。但し妻ナリーはローマで『姉 妹』の撮影中だった為、召喚には応じていない。アランはこの時、35時間も拘置された上、3月にも再度召喚を受けている。
 一方、警察の捜査が進むにつれて、マルコヴィッチがエトワールに近いポール・ヴァレリー街(パリ16区)で高級娼家「マダム・クロードの家」を経営し、そこで夜な夜な政財界の要人、映画界の著名人を集めては秘密の乱交パーティーを繰り広げていたことが明らかになった。当然アラン・ドロンも出入りしていたものと思うのが自然だ。マルコヴィッチはその現場を写真に撮っては、大物著名人を強請っていたのだ。
 捜査状況が急変したのはマルコヴィッチが大切に持っていた住所録の中に、当時ド・ゴール大統領下で首相を務めていたポンピドゥー氏とその妻の名があったことから、事件は政界を巻き込んだ大スキャンダルに発展した。ポンピドゥー首相は次期大統領選に出馬表明していた為、このスキャンダルは政敵によるポンピドゥー氏追い落としの謀略とも囁かれた。
 その直後、政界から圧力がかかったのか、捜査は一旦中断となった。一説にはアランが乱交パーティーで自分と肉体関係があった政界(ポンピドゥー首相)、警察の大物に便宜を図ってもらい、捜査を打ち切らせたと言われている。結局、今一つ決め手となる証拠を欠き、アランは不起訴。マルカントーニは釈放された。そしてポンピドゥー氏は無事この年、大統領に就任したのである。

 その後、マルコヴィッチ殺害事件は何の進展もないまま時を重ねた。70年4月、アランはポンピドゥー大統領宛てに公開嘆願状を提出し、身の潔白を訴えると共に彼を何とか逮捕しようとする当局の陰謀を告発した。
 かくしてマルコヴィッチ殺害事件はポンピドゥー大統領就任と共に実質これ以上の追求が不可能になり、いつしか人々もこの事件への関心が薄れていったのである。

 ここからはボクの憶測も入る。そもそもナタリー・バルテルミーをアランに紹介したのは、彼女の情夫でもあったマルコヴィッチである。アランとナタリーは結婚し、マルコヴィッチは第一秘書兼ボディガードに収まる。ここでナタリーと再び愛人関係に戻ったと想像するのは容易だ。ひょっとしたら表向きは妻とボディガードと装いながら、裏では情事を重ねていたのかも知れない。事実二人が愛人関係にあったことは警察の捜査で明らかになっている。当然アランの耳にも届く。
 その後、アランとマルコヴィッチの間で折り合いが悪くなる。理由は暗黒街の話なので、女(ナタリー)と金(待遇面)しかない。やがてアランはマルコヴィッチを解雇した。マルコヴィッチはその怨恨からアランの痴態を盗撮した写真で恐喝行為を計画していた。しかし暗黒街の顔役フランソワ・マルカントーニがアランに事前に通報したことで、計画は未遂に終わる。マルカントーニは対戦中、レジスタンス運動に加わった経験を持つ肝の据わった男である。アランがマルカントーニに後始末を依頼したかは判らないが、暗黒街の掟でマルコヴィッチは暗殺部隊に追われるようになった。要は教唆したのがアランなのか、マルカントーニなのかが問題であるが、プロの仕業なので証拠は出て来ないだろう。
 また都合悪いことに所持していた住所録からポンピドゥー氏の名が書かれてあった。ポンピドゥー氏はサントロペで乱交パーティに耽っていた事実が関係者の証言で立証されている。同じ時期、サントロペでは『太陽が知っている』のロケが敢行されていた。想像したくないが、アラン・ドロンとポンピドゥー氏はそこで関係を持ったのであろう。このままでは政治家生命の危機に晒されると思ったポンピドゥー氏は警察上部に圧力をかけて捜査を中断させた。彼が大統領に在任している間にアランは捜査を完全に打ち切らせようと嘆願状を提出した。それはポンピドゥー大統領にとっても都合が良かったのだ。考え過ぎかも知れないが、ポンピドゥー大統領の方からアランに話を持ちかけた可能性もある...。

 アラン・ドロンは『太陽が知っている』の主人公を演じていた際に起こったマルコヴィッチ殺害事件の効果を計算していたと思う。並みの俳優ならば、何度も警察に召喚された上、連日新聞各紙がその内容をスキャンダラスに報道されれば、気が滅入って降板するであろう。彼は叩かれれば叩かれるほど、映画がヒットすることを知っていた。そして自分の俳優としての個性を確立させたのだ。
 この事件以降、観衆も映画制作者も彼の現実生活に暗黒街との繋がりを見い出そうとする。その影響で彼は暗黒街を舞台にした犯罪映画に多く出演し、何れも大成功を収める。『サムライ』『仁 義』『シシリアン』等はその一例である。アランのこの危険な匂いが、世界的俳優としての地位を固めていく。全ては彼の思惑通りに進んだ結果なのだろうか? 
 いつもボクはアラン・ドロンには偏狭な見解になってしまう。それはモンスター的な個性で世界を支配した彼への羨望や畏敬の念の歪んだ形なのだ...。何事にも優先して彼の映画を観ようとするのは、抑えられた私情の発露である。


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