何だ、「ゲンダイ」の記事なんだ・・・残念。
(ちなみに大手新聞では毎日のみ。何だか臭う??)
「真実」を謳うならノンフィクションであって欲しかったですね。
これはこの題名をつけた記者さんの問題で200億円の「裏話」程度でよかったものを。
政治的な問題には触れたくないという作家さんの思いもあり真実ではなく結局はフィクションの小説になっちゃったわけで。
「真実」は義捐金のほとんどは日本とビジネス関係のある企業家が億単位で出したものや、芸能人などが大金を快く出してくれたもの。一般の台湾人も勿論多く寄付して下さいましたが、そこに「在台支那人」である外省人やあまり日本に関心のない戦後の一部世代は含まれません。
ただ、台湾人は損得勘定無しに人助けができるアジアでも稀な人々であることは事実であり、日本人として台湾からの義捐金には心から感謝していますし、感動もしました。
1元の寄付でもありがたいことで、気持ちの問題。
そんな気持ちの部分「だけ」を切り取って美談に仕上げた「小説」ということなのか。読んでいない(読む気もおきない)ので明確には断言できませんが。
その後の福島に関する日本食品の「核災5地区」やら風評被害で日本食ボイコット問題には触れないのかな??政治的な問題になっちゃいますが、一般人もかなり否定的ですよ。
おまけに尖閣や沖ノ鳥島問題などが勃発すると「日本は義捐金の恩を忘れたのか!?」と逆に恩着せがましくいう政治家や一般人もいる「事実」はスルーなのか。日本で報道されなくても台湾在住者なら少なからず耳に入るはずなんですが。
日本人は詰めが甘すぎて、私はこういうの苦手です。なので読むとしたら日本に帰国した時に図書館で借ります★
いつまでもいつまでもいつまでも「感謝」することに酔いしているような「日本人は良い人である」アピールにお腹いっぱい・・・
台湾で1999年の地震への日本の援助が大きくとも、それを小説にするような台湾人はいませんし、ただ語り継がれるだけなんですから。その他にも、日本は公私に渡って台湾には長年援助し続けている・・・それを声を大にして言わないだけ。
ただ1つ言える良かった事は、この義捐金によって今まで台湾に関心の無かった多くの日本人の目が台湾に向いたということ。これは双方にとって「災い転じて福となす」ことで、大震災は辛いけれど日台の関係向上には一役買ったことです。
台湾は良い国です。おしまい。
もう後ろを振り向かず前進しましょうよ。
台湾の一部は既に日本じゃなく南朝鮮の方が「カッコいい!」と勘違いして意識が向いてるんですから。
【日本人が知らない、3.11で台湾から届いた義援金200億円の真実 日台をつなぐ名も無き人々の感動秘話】
http://news.livedoor.com/article/detail/12804172/
(ちなみに大手新聞では毎日のみ。何だか臭う??)
「真実」を謳うならノンフィクションであって欲しかったですね。
これはこの題名をつけた記者さんの問題で200億円の「裏話」程度でよかったものを。
政治的な問題には触れたくないという作家さんの思いもあり真実ではなく結局はフィクションの小説になっちゃったわけで。
「真実」は義捐金のほとんどは日本とビジネス関係のある企業家が億単位で出したものや、芸能人などが大金を快く出してくれたもの。一般の台湾人も勿論多く寄付して下さいましたが、そこに「在台支那人」である外省人やあまり日本に関心のない戦後の一部世代は含まれません。
ただ、台湾人は損得勘定無しに人助けができるアジアでも稀な人々であることは事実であり、日本人として台湾からの義捐金には心から感謝していますし、感動もしました。
1元の寄付でもありがたいことで、気持ちの問題。
そんな気持ちの部分「だけ」を切り取って美談に仕上げた「小説」ということなのか。読んでいない(読む気もおきない)ので明確には断言できませんが。
その後の福島に関する日本食品の「核災5地区」やら風評被害で日本食ボイコット問題には触れないのかな??政治的な問題になっちゃいますが、一般人もかなり否定的ですよ。
おまけに尖閣や沖ノ鳥島問題などが勃発すると「日本は義捐金の恩を忘れたのか!?」と逆に恩着せがましくいう政治家や一般人もいる「事実」はスルーなのか。日本で報道されなくても台湾在住者なら少なからず耳に入るはずなんですが。
日本人は詰めが甘すぎて、私はこういうの苦手です。なので読むとしたら日本に帰国した時に図書館で借ります★
いつまでもいつまでもいつまでも「感謝」することに酔いしているような「日本人は良い人である」アピールにお腹いっぱい・・・
台湾で1999年の地震への日本の援助が大きくとも、それを小説にするような台湾人はいませんし、ただ語り継がれるだけなんですから。その他にも、日本は公私に渡って台湾には長年援助し続けている・・・それを声を大にして言わないだけ。
ただ1つ言える良かった事は、この義捐金によって今まで台湾に関心の無かった多くの日本人の目が台湾に向いたということ。これは双方にとって「災い転じて福となす」ことで、大震災は辛いけれど日台の関係向上には一役買ったことです。
台湾は良い国です。おしまい。
もう後ろを振り向かず前進しましょうよ。
台湾の一部は既に日本じゃなく南朝鮮の方が「カッコいい!」と勘違いして意識が向いてるんですから。
【日本人が知らない、3.11で台湾から届いた義援金200億円の真実 日台をつなぐ名も無き人々の感動秘話】
http://news.livedoor.com/article/detail/12804172/
2017年3月16日 6時0分
今から6年前、未曾有の震災に見舞われた日本に、世界各国から温かなコメントと多くの義援金が寄せられた。その中で台湾からの義援金は総額200億円にものぼる。なぜ、これほどのお金を集めることができたのか。あのとき、台湾では何が起きていたのか。
台湾在住30年の作家・木下諄一は綿密な取材から、日本人が知らない真実を浮かび上がらせ、それを小説として書き上げた。『アリガト謝謝』。発売前に重版が決定した話題の一冊は、どのようにして産み出されたのか? 執筆の舞台裏を聞いた。
■あまりにも多岐にわたっていた寄付金の出どころ
――木下さんは台湾ではすでに台北文学賞を取られていますが、日本の読者には「はじめまして」の方が多いと思います。まずは簡単な経歴を教えていただけますか?
初めて台湾に行ったのは僕が学生だった1980年です。言葉を勉強するのが目的で、1年半ほど台湾にいました。
その後、日本で商社に就職したのですが、もう一度海外に行こうと昔のつてを頼って台湾に移り、大学の語学センターで日本語講師として働きました。さらには、観光雑誌の編集長を8年務め、独立して編集プロダクションを立ち上げたところ、うまく軌道に乗りまして。
ビジネス的にはよかったんですけど、自分の業務がどんどん社長業に傾いていくわけですよね。それにスポンサーや政府の意向で書けないこともたくさんあって、ストレスを感じていたんです。
その経験からぐっと気持ちが小説の方に向かいまして、2008年には日本に帰って小説に専念しようと。そのタイミングで知人から「こんな文学賞があるよ」と勧められて、一念発起して小説を一本書きあげたんです。
木下諄一氏
――それが台北文学賞を取られた『蒲公英之絮』ですね。では『アリガト謝謝』の企画の経緯を教えていただけますか?
ちょうど2013年の夏から秋にかけて、友達から「3・11の被災地の方が台湾について知りたがっている」と聞いたんです。子供を修学旅行で台湾に行かせたいとおっしゃっている親御さんや自ら台湾に行った方……やはり義援金のことが大きかったのだと思います。
――そこから企画を?
そうですね。被災地の方々に台湾のことをお伝えするのは私にも出来ることだと思ったのですが、私は東北の人間でもないし、軽々しく書ける題材ではありません。
では、被災地の方が知りたがっている台湾の情報ってなんだろう? と考えたとき、義援金がどのようにして集まったかというのは、みなさんの知りたいことでもあるのではないかと思ったのがきっかけです。
――本作は代表処(外交の窓口機関)の職員・真奈を中心にした1章、台湾の人々がそれぞれの形で義援金を集める2章、デザイナーの愛子が有志で台湾の新聞に感謝広告を打つまでの3章からなっています。木下さんのお話ですと、本作は2章からスタートしたということになりますね。
はい、芽が出たのは2章からです。
――2章は5つの単独の物語で構成されています。どうやってこの5つを選ばれたのでしょう?
まずはじめに台湾の外交部のデータを見たのですが、寄付金の出どころがものすごく細かく多岐にわたっていたんですね。そこでまず最初の壁にぶちあたりました。これは単独の人の話にはなりえないし、どの話を抽出しよう? と。
そこで考えたのが、象徴的な5つのカテゴリーのなかで、それぞれの物語を作るということ。
1つ目は日本統治時代に日本語教育を受けたおじいさん、おばあさん世代の話。2つ目はそれとは逆の今の若い人たちの話。3つ目は将来を担う子供たちの話。4つ目はボランティアの人たちの話。5つ目は921大地震(注・1999年に台湾中部で起きた大地震)の被災者の方が日本から大きな援助を受けているのでその話にしようと。
■フィクションとノンフィクションの境界について
――5つのカテゴリーのなかでも子供たちの話から始まっていますよね。
そこは2つ目にぶつかった大きな壁と関係しています。というのも、「台湾」というとどうしても政治的な問題と結び付ける人が出てきますが、僕のスタンスとしては政治的な考えをいれたくなかったんですね。
そこで、物語の進行上、触れなければならない場合を除いて政治の話には触れないでおこうと考えたんです。日本統治時代の話は政治色が濃いですし、台湾でも反応はさまざまです。ですから、どうしても今の人達の話とくっつけたかったんですね。そこで、先に小学生の話を持ってきたんです。
――そういう意図だったんですね。募金運動はあらゆる小学校で行われていたのでしょうか?
取材した限り1元ずつ集めたというのは1校だけですが、他にもバザーをやったり、募金を集めたという学校はありました。大学ではもっと積極的に募金活動が行われていましたし。ですから、作品内では台湾各地で起きていた運動を幾つか組みあわせてフィクションを構築しています。
実はこの本を書くに当たり、3つの壁がありました。2つは先にお話しした通りですが、3つ目がフィクションとノンフィクションの境界をどこに置くかということだったんです。
――そこまでフィクションにこだわられた理由というのは?
出版されるかどうかも分からない状態で書きだしたワケですが、仮に日本で出版できたとき、僕の家族や友人を除けば木下諄一の小説を読みたいという人はいないと思うんですよ。手に取る方は、台湾のことが知りたい方だと思うんですね。
その時、これが有名な作家が書いたものであれば、読者は自然に「これは取材に基づいて書かれたフィクションだ」と捉えると思うんです。
しかし、名前の知られていない台湾在住の作家が書いたものだというと、ノンフィクションだと捉えられる可能性が高い。その頭で読んで、実際の話と少しでも違った時に「ここは事実と違う!」と、だまされた気分になるようなことがあってはならない、そう思ったんですね。
ですから、フィクションとして読みながら、ノンフィクションを感じていただけるような小説にしようと。
――なるほど。ちなみにどのようなルールで境界を設けたのでしょう?
基本的に物語の中枢部分は事実で、周辺部分はフィクションです。その比率はどれぐらいかというと、パーツの70%はノンフィクションですが、それらを組み合わせているので、それをフィクションだといわれれば、フィクションの比率はぐっと上がるという感じです。
――当時の台湾で多発的に起きていたことが並列されていることで、台湾という「場」が描かれていると感じました。食文化、生活習慣、常識、思想といったディテールの描写も「台湾ってこういう国なんだ」という思いに繋がっていきましたし。
そこは一番書きたかった部分なので、そう感じていただけたのは嬉しいです。最終的にいきつくところは「日本の方に台湾のことをもっと知ってもらいたい」ということなので、この本がその役に立てばいいなぁと思っています。
■勇気ある個人の行動が、国よりも大きな力になる
――3章に「台湾の新聞に感謝広告を打とう」と動いた愛子が、匿名サイトで「売名行為」と叩かれるくだりがあります。日本のボランティアが海外に比べて活発化していかないのは、一部からこういう声があがってしまうからなのかなと思うのですが。
そういう部分もありますよね。日本人はいろんなことにうるさくて細かい。そして綿密な気がします。
――たしかに、3章にはSNS上で多くの人の意見をまとめていく難しさも書かれていました。
今は何も決まっていませんが、いずれこの本が台湾で出版されたら3章は台湾の人に読んでもらいたいなと思って書きました。こんな大変な過程を経て、あの新聞広告は出たんだよと。
台湾主要二紙に掲載された感謝広告「ありがとう、台湾」
――決して綺麗事だけではなく、その時何が起きたかが包み隠さず描かれていたと思います。
そこはなるべく見せたいと思った部分です。基本はフィクションですから細かなところはいじっていますが、骨の部分をいじりすぎてはいけないというのがあったので。
――調理はしていますが、素材を楽しんでほしい料理なんですというところが伝わってきました。それに、個人が「多くの人に感謝の気持ちを伝えたい」と思った時、どのような行動を起こせばいいかが具体的に記されているなとも。そこは意識なさって?
伝えたいことは幾つかあって、そのうちのひとつであることは確かです。個人が勇気を持って一歩踏み出せば、国が動くより大きな力になる場合があると。
――「謝謝台湾計画」は実際にあった話ですが、発起人の方を取り上げようと思ったのは、どのタイミングだったんですか?
本格的な取材をはじめる前の章立てを考えている段階です。この人が実際にSNSで運動を呼び掛けている時は知らなかったのですが、後から知ってすぐに連絡を取りました。結果的に1章と3章で2章をサンドイッチにするような形になり、うまくまとまったのかなと思います。
――先ほどもちらりと触れましたが、食べ物の描写が多いですよね。
そこはサービス精神でもあるんです。というのも台湾で書いた小説に日本料理の描写を入れたんですが、出版後わりとすぐに「小説の中に登場する日本の食べ物」という講演会の話を頂きまして。取材先で聞いた「手のひらサイズの魚の内臓を取る時は割り箸を使う」なんて話をしたら、皆さん反応がいいわけですよ。
――食べ物の話は楽しいですよね。暮らしぶりも伝わってきますし。
それらが日本円で幾らなのかという感覚を摑んでもらえれば、募金の感覚も摑んでもらえるかなという狙いもありました。そういうところを書いておかないと、人って勝手に計算しますから(笑)。
――たしかに人はすぐに計算してしまいますよね(笑)。作品中にも感謝広告を打つためのお金がいくら集まるかを勝手に計算する人が出てきました。そういうおかしみもありつつ、的確な場面で政治の話も織り込まれていて「政治色を強く出さない」というスタンスとの折り合いが難しかったのでは? と感じたのですが。
意図的に排除するのもおかしな話ですしね。原稿が出来あがったとき、何人かに読んでもらったのですが、ほとんど全員から「政治色は感じない」と言ってもらえたので大丈夫かなと。
――代表処の真奈宛に愛子から「台湾の新聞社の連絡先を教えてほしい」という連絡が入った時、上司の小笠原がいったんはそれを断るじゃないですか。その後、小笠原と部下の柳田が飲みながらその件について話をするシーンが出てきます。
ひとつは、代表処のようにひとつの見解で動いているように見える場所でも、中に居る人の意見は多様であるということが描きたかったんです。
また、最初は代表処の方針に忠実な人でも、義援金が集まっていく過程を目の当たりにすると考え方が変わってきますよね。その変化を描きたいという思いもありました。
――なるほど。それが伝わる印象的なシーンでした。原稿を書き終えていかがですか?
構想から完成までの2年3ヵ月は本が出るという確約がないままの前進だったんですね。ところが不思議とそれが理由で後退しようとは思わなかったし、そんなことを考えている間に少しでも手直ししようと思っていたんです。
ですから、書き終えたばかりの頃は「とりあえず終わった!」というのと同時に「どうやって本にしよう」という思いがありました。
――その後、講談社で本が出ることになったわけですが。
作品をいろんな人に読んでもらえること、日本で小説を出せること、全部素直に嬉しいです。と同時に、売らなきゃいかんぞと。
――先ほど、「もし台湾の人に読んでもらえたら」という話が出ました。台湾でも出版の話が進んでいるのでしょうか?
親しい編集者何人かには話していますが、彼らは物がないと動かないので、具体的にはこれからです。
――日本人だとそこは察して動くというか。
すごいですよね、日本人のフォアキャスティング力は。日本人は初めての人と話をしてもイメージを共有することができます。しかし、海外では日本の感覚で話をしていて相手も同じものを共有していると思ったら、まるで共有できていなかったということがあるんです。これは日本人のすごいところだと思います。
■「この小説を書くことは、僕の使命かもしれない」
――タイトルの『アリガト謝謝』に込めた思いを教えていただけますか?
内容に合致しているものをというのもありますが、黄春明の『さよなら・再見』(注・現代台湾を描いた1974年の作品。初めて日本で翻訳された台湾の小説でもある)という小説があって、そのオマージュでもあるんです。
――では、これから本書を手に取るであろう読者に向けてメッセージをお願いします。
この本の中には僕が台湾で何十年と生活する中で感じたいいことも悪いことも全て入っています。どんなに洞察力の深い作家でもそこまで到達するのは難しいと思いますし、義援金を送った側の台湾の作家がこれを書くのもちょっと違う気がします。ですから、この小説を書くのは僕しかいない、これが僕の使命なのかもしれないと思いながら書きました。
そう思ったのは、取材時に「このお話はフィクションとして処理させていただきます」「ベストは尽くしますが、現時点では本になるかどうかはわかりません」という2つの条件を出させていただいたとき、ほぼ100%の人が気持ちよく取材に応じてくださったというのもあります。
――おぉ! そうだったんですね。
みなさん話しながら「こんなこともあったよ」「あんなこともあったよ」と色んな話を思い出してくださったので、記憶が風化する前に取材できたのは本当に良かったと思います。
「自分達がやったことを伝えてほしい」「本になったら嬉しい」という彼らの気持ちも伝わってきましたし、条件付きであったにもかかわらず快く取材に応じてくれた台湾の人達にはとても感謝しています。
――そこまで思い、何十年も住んでいらっしゃる台湾という国は、木下さんにとってどんな国なんでしょう?
海外に住むと、「日本ではどうだ」「台湾ではどうだ」と何かにつけ比較しがちになるんですね。そうすると「あっち」と「こっち」ができてしまい、別個の思い入れができてきます。
ところが20年、30年海外に住むと、それぞれのいいイメージが溶けあって大理石の模様みたいになるんです。個人的にはそれが海外に住む理想形だと思っていて。
ですから僕は、「台湾ありがとう!」と声高らかなところからは少し違う温度感で台湾を見ているのかもしれません。そこまで日本と台湾を分けて考えていないというか……もし、明日から日本に住めといわれても躊躇はないですし。
――最初に2008年には日本に帰ろうと思っていたとおっしゃってましたもんね。
そうなんです。ところが文学賞を取って、台湾に居ることになって。そこは街と人の縁ですよね。僕の1冊目の小説も、人は街に呼ばれ、縁が尽きればその街を離れていくというのがテーマでしたし。
――今後は「あっち」と「こっち」という感覚がないまま海外に出る若い人も増えそうです。
確かに増えそうですね。ただ長く住めばいいということではなく、イヤな思いばかりしていたらそうはならないでしょうし、現地に根付かないとでてこない感覚だとは思います。だけど、いい環境で長く住めば大理石の模様がでてきますよ。
(インタビュー・構成/山脇麻生)
木下諄一『アリガト謝謝』日本と台湾をつないだ、名も無き人々の国をも超える力。台湾在住30年の著者が圧倒的取材で綴る、日本人が知らない感動ストーリー。
木下諄一(きのした・じゅんいち) 1961年愛知県生まれ。東京経済大学卒業。商社勤務、会社経営を経て台湾に渡り、台湾観光協会発行の「台湾観光月刊」編集長を8年間つとめる。2011年、中国語で執筆した小説『蒲公英之絮』(印刻文学出版社)で外国人として初めて、第11回台北文学賞を受賞。著書にエッセイ『随筆台湾日子』(木馬文化出版社)など。
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どうせなら台湾人の家族を持ち台湾のしがらみにどっぷり浸かっている人だったらもっと説得力があったかも、ですね。。
台湾は日本じゃない、外国です。
個々の国にそれぞれ良いも悪いも特色があるから素晴らしいのだし魅力になる。
海外という垣根を取っ払ったらつまらないだけ。
イヤな思いを沢山しつつ現地に根付くこともできる。
根付かざるを得ない人間の気持ちなどわからないでしょう。
台湾は日本じゃない、外国です。
個々の国にそれぞれ良いも悪いも特色があるから素晴らしいのだし魅力になる。
海外という垣根を取っ払ったらつまらないだけ。
イヤな思いを沢山しつつ現地に根付くこともできる。
根付かざるを得ない人間の気持ちなどわからないでしょう。