「ニセ医学」とは、医学のふりをしているが医学的な根拠のない、インチキ医学のことである。大雑把にくくれば、ニセ医学はニセ科学に含まれる。ニセ科学とは、科学のような見かけをしているが、科学的な根拠のないものだ。
これは「現代医学は絶対正しい」「現代医学は科学的根拠に基づいている」から、この医学からはずれたあらゆる医療(民間だろうが、代替療法だろうが、)はみんな「ニセ医学」だと言うのでしょうね。
なんか、笑ってしまいますが・・・・
おちょ狂わけじゃないですが、真実心からそう思っていらっしゃるのでしょうね。
だから、医の中のかわず・・・
おっと~~
世界医薬産業の犯罪 ハンスリーシュ著
医者はこうして嘘をつく ロバート・メンデルソン医博著
悪の製薬
新薬の罠
筆者はこういう本を読まないでしょうね。本の表紙くらいは見ても。
ひとは自己にとっての都合の良いものは見るが、都合の悪いものは見たがらない。
ひとつ、これは自分にも当てはまるのです。
ロバート・メンデルソン医博は医学は宗教だ、迷信が多すぎるとまで書いていますね。
一口に言うと、現代医学こそニセ医学という・・・詳しくは本にて。または「医者が患者をだますとき」(同じ内容)はネット上にあります。音声読み上げまであります(笑い
ひとは自分にとって都合の良い話だけを取り上げる(これはワシも同じ)
だから、読者は選択できるのです。
それを、一方の情報だけを流すのが「大本営発表」情報ですね。
マスメディアはほとんどがそちら側体勢ですから、洗濯できないのです。(洗うのか?)
ボクらは洗濯ジャブジャブして、情報の選択をしましょう。
「ニセ医学にだまされないために」ね(大笑い
(かといって医学以外のものにもチャンとニセ医学があるから、そこが問題だ! シェークスピア)
情報の選択とは両方の情報を見ることです。
片側だけでは分かりませんね。
どちらも「こちらの水は甘いぞ~~♪」 「あっちの水は苦いゾ~ 」
気に入った声に誘われて
蛍になって飛んでいったら、捕まえられたりして^~
追記
自分は正しい
と思っていても、それは自分は判断できないところがミソですね。
ただ、「嘘である」と分かっていて、それを「真実だ」と言うのはべつものです。
そのためにも、その時代で主流となっている情報とは異なった情報が必要だということです。
反対側の「クソ情報」「ニセ科学」「トンデモ論」「オカルト論」とレッテルを貼られた中に、「真実が含まれている場合がある」という事を忘れてはならないと思います。
それは世界の歴史を振り返れば、むしろ真実は嘘と言われたなかに沢山ありました。
体制側にあるものが「真実だ」というものが歴史が(時間を経て)ひっくり返すことがいかに多かったかを忘れずに。
ちょっとネットから引用
言論の自由には、故意に偽りを述べる自由が含まれているかもしれないが、同時に、その偽りを暴く自由も含まれている』
故意に嘘をついているのか、真剣に本当だと思って嘘をついているのか
が問題の本質では無く、
「結果がよくなるか、悪くなるのか」
の方が大切でしょうね。
善意であってもその結果が悪く出ているのなら、それを暴く自由と勇気が何時の時代でも必要です。
現代医学はどうでしょうか?
よい結果が出ているなら
ニセ医学など出る幕も無く、巷にあふれるインチキ療法などにも誰も振り向かないでしょう。
よい結果が出ているのならそれが本当の科学である。
悪い結果が出ているなら、いくら「科学的根拠という理屈」があっても、それはニセ科学である。
再びロバート・メンデルソン医博の本より
医学は科学では無い、宗教である。しかも病気を造り出すニセ科学である
しかし、双方とも「アチラがニセ医学だ」と主張するもので、それを選択する自由は貴女以外には出来ません。
決して他人に選択権を与えてはなりません。 多数決の原理は時代の移りかわりで逆転しますからね。
だからこそ、ここはトンデモ情報なのですよ。最初から信じてはいけません。
しかし、最初から嘘と決めつけてもいけませんよ~~~
真実の中に嘘が含まれ、嘘の中にも真実が含まれる
という奇っ怪な世界にドップリ浸かっていると思えばいいの鴨