Raptブログより
24 6月 日本が「核兵器」製造国であるという紛れもない現実。「核兵器」が開発・製造されている幾つもの国内施設について。
昨日は、1985年に起きた「JAL123便墜落事故」が、実は「教皇派」と「天皇派」との武力衝突によって引き起こされたものだったというお話をしました。
○JAL123便墜落事故の真相。すべては「天皇派」と「教皇派」との戦いに原因がありました。
「JAL123便墜落事故」の起きた原因については、ネット上にも様々な説が流布していて、私もどれが正しい情報なのかなかなか掴みにくかったのですが、今ここに来て、ようやく理路整然とした推論を導き出すことができました。
とにかく、日本政府は「JAL123便」のような民間の航空機を使って、「核弾頭」という危険なものを日頃から運搬していた(している)というわけです。本当にあり得ない話です。
しかも、「天皇派」が今でも「核兵器」を製造し、運搬している事実に「教皇派」は神経を尖らせている。なので、いつどこでまた「JAL123便」と同じような悲劇が起きるか分からない。
この日本にはそんな危険が常に潜在しています。
とはいえ、昨日の話だけでは、本当に日本国内で「核弾頭」のような危険なものが作られているのか確信が持てないという方もいらっしゃることでしょう。
しかしアメリカのCIAが、日本の「核兵器開発」について調査し、その事実を公表しているということは前にも記事を書いています。
○日本が世界一のプルトニウム保有国(45トン・核爆弾5000発分)であり、核兵器開発国であるという現実。
で、私はさらに調べを進めて、日本がこれまでどんな施設を使って「核兵器」の開発・製造を進めてきたのかを調べてみました。すると、出るわ出るわ。
テレビや新聞が報じないだけで、実は日本の「核兵器」開発はかなり古くから始まっていて、今でも行われていることが分かってきました。
先ずは以下の記事を御覧下さい。
----------------(以下、こちらから転載)
日本は第二次世界大戦以前から、実は「核」で成り立っていました。
1924年、東京帝大の長岡半太郎教授のチームは、原子核を破壊して転換する画期的な技術を開発しましたが、それはあまりにも早すぎて世界が受け入れることができず、認められませんでした。
その後、東北帝大の助手として原子核の研究に取り組んだ彦坂忠義氏もまた、1934年、ドイツ語で論文を出しましたが、やはり世界が認めることはありませんでした。しかし彦坂氏は、後継者を育てることには成功したようです。
日本の原爆研究は、陸軍と海軍が別々に行なっていました。
陸軍は理化学研究所で研究開発していましたが、1945年5月に中止され、海軍は京都大学との共同研究でしたがやはり同年7月に中止されました。
しかしその原爆研究は、思いもかけない地で引き継がれることになりました。1945年8月下旬、陸軍の登戸研究所に所属していた百数十名の日本人研究者は軍籍を離れ、当時のお金で2万円ほどの軍資金をズボンのポケットに突っ込み、中国大陸に渡りました。
もうおわかりだと思いますが、中国の核兵器は日本人研究者によって研究・開発されたものなのです。
現在の中国の地位は核を手に入れたことによる部分が大きいと思います。さらに、中国が国家ぐるみで力を入れる原子力発電所とその関連のプロジェクトは、日本の郵政民営化の資金によるものであり、現在、中国全土の実に158ヶ所で建設中です。
日本の核技術は、実は世界最先端を走っていました。
現在でもトップクラスです。つまり日本が開発した原爆や水爆の技術は、敗戦前にドイツへと渡り、ドイツの敗戦とともにアメリカへ渡りました。
ちなみにドイツは1938年12月、初めて核分裂に成功し、アメリカは1942年8月にマンハッタン計画を始め、広島と長崎に原爆を投下しました。
アメリカが日本に原爆を投下した理由は諸説あるようですが、理由は「日本の研究レベルが世界レベルのはるか上を行っていた」というのが本当の理由です。
世界支配を目指す欧米勢にとって、黙殺できる範囲をはるかに超えてしまったからです。日本が欧米を圧倒し、世界を統治することは許せなかったのです。
----------------(転載ここまで)
果たしてこの話がどこまで本当なのか、と思う方もいらっしゃることでしょう。
しかしながら、ウキペディアにも「日本の原子爆弾開発」という記事があって、そこにも全く似たようなことが書かれてありました。
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
第二次世界大戦(太平洋戦争)中、軍部には二つの原子爆弾開発計画が存在していた。大日本帝国陸軍の「ニ号研究」(仁科の頭文字より)と大日本帝国海軍のF研究(核分裂を意味するFissionの頭文字より)である。
日本では1938年からウラン鉱山の開発が行われ、1940年に理化学研究所の仁科芳雄博士が安田武雄陸軍航空技術研究所長に対して「ウラン爆弾」の研究を進言したといわれている。研究には理化学研究所の他に東京帝国大学、大阪帝国大学、東北帝国大学の研究者が参加した。
1941年4月に陸軍航空本部は理化学研究所に原子爆弾の開発を委託、アメリカ合衆国によるマンハッタン計画が開始された翌年の1943年1月に、同研究所の仁科博士を中心にニ号研究(仁科の頭文字から)が開始された。
この計画は天然ウラン中のウラン235を熱拡散法で濃縮するもので、1944年3月に理研構内に熱拡散塔が完成し、濃縮実験が始まった。
他方、日本海軍のF研究も1941年5月に京都帝国大学理学部教授の荒勝文策に原子核反応による爆弾の開発を依頼したのを皮切りに、1942年には核物理応用研究委員会を設けて京都帝大と共同で原子爆弾の可能性を検討した。こちらは遠心分離法による濃縮を検討していた。
----------------(転載ここまで)
この日本では1924年の時点ですでに「核兵器」の開発が最終段階まで進んでいたということです。しかも、そこからさらに「陸軍」と「海軍」とがそれぞれ「核兵器」の開発を進めていった……。
「陸軍」と「海軍」が別々に開発を進めていた、という話もかなり信憑性の高い話です。実際、「陸軍」と「海軍」は犬猿の仲であり、戦闘機もそれぞれ別の会社から納入していたことが分かっているからです。
○第二次大戦で日本が負けたのは、やはり天皇 (大和族) に対する出雲族の裏切りが原因でした。
○坂本龍馬を暗殺した犯人は「三菱」関係者である可能性大。
○三菱製「ゼロ戦」とジブリ映画「風立ちぬ」と普天間基地の辺野古移設をめぐる日本の闇。
「陸軍」は「大和族」であり、「海軍」は「出雲族」。彼らは同じ日本人でありながら、敵同士のような存在だったと言っても過言ではありません。だからこそ、彼らは別々に「核兵器開発」を行わざるを得なかったのです。
で、第二次大戦で日本が負けた際、日本の「核兵器開発」はアメリカによって中止させられた、ということになっているわけですが、それはあくまで表向きの話で、実際のところ、アメリカは日本に再び核兵器開発を認めています。
その経緯については、以下のリンクに詳しく書かれてあります。記事は①から⑩まであって、かなり具体的に書かれてあります。
○台灣東亞?史資源交流協會: アメリカ合衆国、法を曲げて日本のプルトニウム蓄積を援助①
その結果、日本には幾つもの「核兵器開発」の施設が作られました。もちろん、「発電」「宇宙開発」のための施設と偽りながら。
----------------(以下、こちらから転載)
長野県の某所でプルトニウムが取り出されていると、先に述べました。
その長野県には、一体何があるのでしょうか?
秘密を教えてくれたのは、社会的にも高い立場にある事情通の方です。彼が教えてくれた情報によると、長野県の某所にある揚水ダムの一帯が、巨大な核施設になっているそうです。
揚水ダムというのは、固有のダムの名称ではなく、揚水発電方式によって稼動するダムのことです。
揚水発電方式とは、上ダムと下ダムのセットからなる二層ダムです。日中は上から下へと自然に流れ落ちる水流を利用して発電し、夜間になると、下ダムに貯まった水を上ダムにくみ上げることで、水を循環させて繰り返し発電する方式です。
・・・。要するに揚水ダムは、夜間の余剰電力の有効利用と昼間の電力不足を調整する目的で使われます。
さらに、夜間に下ダムから上ダムに水をくみ上げるための電力は、火力発電所か原子力発電所の余剰電力を利用することから、揚水ダムだけあっても用をなさないので、他の発電施設とペアで作らなければ意味がないのです。
ところがその施設の周辺には、揚水ダムはありながら、火力発電所や原子力発電所はないことになっています。それが、地下に原子力発電所が隠されているとされるゆえんです。
長野県にはこうした秘密の原子力発電所だけではなく、ある一帯が、いわゆる軍需施設の密集地となっています。
当時のレーガンアメリカ大統領がプラズマ兵器を開発したときに、あまりのコストに途中で投げてしまい、当時の中曽根康弘首相に買ってくれるように持ち掛けました。
その時に買ったプラズマ兵器の設備一式が、長野県の南佐久に持ち込まれたと言われています。
ちなみにその一帯は、「臼田(うすだ)宇宙空間観測所」という宇宙航空研究開発機構(JAXA)が管理する施設があります。
つまり表向きは惑星探査機との通信用観測所ということになっていますが、実際は「電磁波兵器の施設」であるという話です。
----------------(転載ここまで)
このように日本では「ダム」とか「宇宙空間観測所」とかいった名前で「核兵器開発」の施設がいくつも作られています。これがこの日本の現状です。
そんなバカな話があるわけがない、と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、それではどうして日本には以下のような「議員連盟」が存在しているのでしょうか。
○地下式原子力発電所政策推進議員連盟 ? Wikipedia
この「議員連盟」はただ単に形だけ存在していて、実際の活動は何もしていないのでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。「地下核施設」が存在しているのは、何も「長野県」だけではないからです。実は東京や茨城にもあります。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。
○東大の地下に眠る秘密の核施設。首都直下型の大地震を起こすには申し分ないものです。
この上のリンク記事を書いた時点では、私はこの「核施設」がいずれ関東で大地震を起こすために作られたのではないかと推測していましたが、やはりこの「地下核施設」は「核兵器開発」のための施設と考えた方がよさそうです。
この記事を書いた時点では、まさか日本が「核兵器」など開発するわけがないと思っていたのですが、今ではすっかり考えが変わってしまいました。こうして調べれば調べるほど、日本が「核兵器開発」をしてきたという証拠がいくつも挙がってきたからです。
しかし、「核兵器」などそんなに簡単に作れるものなのだろうか、という疑う方もいらっしゃるかも知れません。
しかしながら、「核兵器」を作るのはそれほど難しいことでもないようです。特にこの日本においては。
なぜなら、この日本にはもう既に「核兵器」を開発、製造できる施設があちこちに建設されているからです。
----------------(以下、こちらから転載)
ところでこのプルトニウム爆弾は、技術のある国では簡単に作れます。
まず、濃縮度の高いプルトニウムを使えばよいのです。
軍用プルトニウムの濃縮度は94%以上ですが、高速炉で作ったプルトニウムは、『もんじゅ』の場合濃縮度は97.6%で、『常陽』では99.4%です。
○もんじゅ ? Wikipedia
○常陽 ? Wikipedia
高速炉を持っているフランスと日本は簡単に核兵器が作れる国なのです。
だから先程フランスの核実験が、白人国家の連合としておこなわれたのです。
この高速炉で発電もすると、熱を媒介する物質としてナトリウムのほかに水も使うことになるので、『もんじゅ』のように事故多発が悩みの種です。
しかし、発電しないというのであれば、水を使う必要がなく、『常陽』のようにほとんど事故を起こさず、軍用プルトニウムを生産できます。
さきほども述べましたが、『常陽』は今は軍用プルトニウムは作っていませんが、いつでも復元改造すれば軍用プルトニウムを作ることができます。
----------------(転載ここまで)
さらに、今では「中性子爆弾」や「水爆」まで作ることも可能のようです。
----------------(以下、こちらから転載)
【中性子爆弾と水爆】
中性子爆弾や水爆はこのプルトニウム原爆で得られる1億度という高温を利用して核融合させる爆弾です。
中性子爆弾は原爆を爆発させて中性子と高温を得、これによりトリチウムと重水素を核融合させ、大量の中性子を発生させる爆弾です。
大きさは直径16センチ、長さ40センチ程度で、兵隊が持ち運ぶこともできて大砲で使えるきわめて小さい核兵器です。
これに用いるプルトニウムは2キロ、トリチウムは数10グラムです。
通常の水爆の核弾頭は、円錐形で高さが1メートル、底辺の直径が30センチ程度、その最下部に球形のプルトニウム爆弾が入っています。
これを爆発させて、中性子と高温を得て、その上にある重水素化リチウムを核融合させます。
そこで得られる大量の中性子を最頂部にある濃縮ウランに当てて、核分裂反応させるというものです。
つまり、原爆一水爆一原爆という3重の爆弾です。
トリチウムも必要ですが、その量は3グラム程度とごく少量です。
日本は、軍用プルトニウムを生産できる『もんじゅ』と『