


※†八咫鏡†※「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」 |KO KO RO
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日猶懇話会(にちゆこんわかい)の席上で
昭和二七年頃のこと、
元海軍大佐の犬塚惟重を会長として、
「日猶懇話会」という団体が結成された。
これは、日本とユダヤの関係を研究し、
その親善を目指す団体である。
ホーリネス教会に属する尾崎喬一牧師も、しばしばこの例会に顔を出していた。
昭和二八年一月二五日の例会は、
港区のミハイル・コーガンというユダヤ人の邸宅で開かれた。
この例会には、皇族の三笠宮殿下も臨席した。
この席上で、尾崎牧師が、
宮中の八咫鏡にまつわる話をした。
すると、三笠宮殿下が、
真相を調査してみようと語った。
これがまた当時、
一つの波紋を投げかけることになった。
というのは、
やはりこのとき同席していた東京イブニングニュースの支局長が、
「神鏡のヘブライ(ヘブル)出所説を三笠宮氏が調査!」
と題して、
翌日付の同紙にスッパぬいたからである。
この記事は、当時たいへん話題になった。
この新聞記事の内容は、
外国にも伝わったらしい。
フランスの有名な東洋学者で、
日本神道研究家のジャン・エルベール博士は、
日本の八咫鏡のうしろには
「我は在りて有る者」を意味するヘブル語が記されているだろう、と述べた。
彼は新聞記事の内容を聞き及んだようである。
新聞記事によると、
三笠宮殿下はこう語った。
「・・・・自分で問題の鏡を見ることはできない。
なぜならば今日でも、
鏡と玉と剣の三種の神器は、
皇居内の奥深い聖所から取り出すにはあまりに恐れおおいと考えられており、
天皇すらも鏡を見たことがあるとは思われぬので、
宮内庁の記述か、口述か、
いずれかの報告を基礎にして、
自分が調査書を作成することになろう・・・・」。
しかし、その後、
三笠宮殿下が調査結果を発表したという話は聞かない。
一説には、三笠宮殿下は
タブーを破って深夜こっそりと八咫鏡の裏を見たところ、
噂が本当だったので、恐れおののいて公表をはばかった。
だが、殿下は探求心やみがたく、
皇室の起源を探るためにあの
「オリエント学会」を組織したのではないか、と想像する。
これについて、
『日本のキリスト伝説』(大陸書房刊)の著者・武内裕氏は、
「確かに、噂がウソならウソと断言し、
不明なら不明というはずだが、
そののち宮(三笠宮)がダンマリを決めているところを察すると、
『あるいは?』と思われる。
実際、オリエント学会の会員でもあり、
三笠宮殿下の知遇を得ている大阪のH氏は、
『宮様自身から直接、
八咫鏡の噂は本当であると聞いたことがある』
と筆者に語ったことがある」(一八三頁)
と述べている。

八咫鏡の実物は伊勢神宮にある。
三笠宮殿下と八咫鏡ヘブル文字説
実際、三笠宮殿下は考古学者でもあり、
そのオリエント研究やイスラエル研究には、並々ならぬものがある。
その研究の背景には、やはり
皇室の起源に対する強い探求心が働いているからではないか、とさえ思える。
三笠宮殿下はヘブル語を自在に話せる方である、という一点をとっても、
余程の探求心が働いたのではないか、と思えてくる。
「大阪のH氏」は三笠宮殿下の口から、
八咫鏡の裏にヘブル文字が書かれているという噂は本当だと聞いたというのだが、
一方で、ラビ・マーヴィン・トケイヤー氏の著書には、次のように記されている。
ユダヤ人であるトケイヤー氏は、
八咫鏡にまつわる噂について、
ヘブル語で三笠宮殿下自身に尋ねてみたことがあるという。
「はじめ私が三笠宮に会ったとき、
伊勢の大神宮に保存されているという八咫鏡のうしろに、
ヘブル語の文字が書かれているといううわさは本当かどうか、
ということを尋ねてみた。・・・・
三笠宮がそのとき答えたのは、
彼自身それを報道した新聞記事の内容をよく知っているということであった。
しかし、伊勢の大神宮に現在保存されている神器については、
非常に厚い秘密の壁に取り囲まれており、
非常に神聖なものであり、
非常に神秘的なものであって、
三笠宮自身その八咫鏡を見たことはないということであった。
また、三笠宮が自分の目で
八咫鏡を見ることも許されていない、ということであった。
彼の兄である天皇陛下も、また
八咫鏡を実際に見たことはないということであった。
現在生きている誰もが、
八咫鏡を見ることは不可能なのである、ということであった。
だから、現在生存している人間であれば、
その鏡のうしろにヘブル語が書かれているかどうか確認できるはずはない、ということであった。
三笠宮は彼自身、
その報道について非常に疑いを抱いている、ということであった。
しかし、この問題は、
通常の会話の内容にすべきではない、ということであった。
この三種の神器に関するすべてのことは、
日本民族の厚いタブーによって囲まれている。
だから宮廷においても、皇族のだれもが、
そのことについては話し合うことはないという答えであったのである。
伊勢の大神宮の鏡は、おおいをかけられて、箱の中に納められている。
だから、この箱は誰もあけることはできないのである。
伊勢の大神宮の遷宮式(せんぐうしき)のとき、
それを運ぶ人は、
うしろ向きになってその箱を持つ、ということであった。
そしてその八咫鏡を納めた箱は、
船の形をしている『御船代』であるということであった。
つまりその神器は、
船によって遠くから運ばれてきた、ということを意味しているのかも知れない」
(トケイヤー著『ユダヤと日本――謎の古代史』産能大学出版部刊、一二六~一二八頁)。

(上) ユダヤのダビデの星
(中) 伊勢神宮の石燈にも"ダビデの星"
(下) 元伊勢の真名井(まない)神社石碑


『日月の幡(にちげつのばん)』
【イサナギの祈り】
池水に
左(た)の目を洗ひ
日霊(ひる)に祈(の)り
右(か)の目を洗ひ
月に祈(の)り
イシコリドメが
真澄鏡(ますかがみ)
鋳造(いつく)りすゝむ
イサナギは
天(あめ)を治(しら)する
うつの子を
生まん思ひの
真澄鏡
左右(まて)に日月(ひるつき)
なづらえて
神成り出(い)でん
ことを請ひ
首巡る間(ま)に
天茲請(あぐりこ)ふ
かく日を積みて
御霊(みたま)入(い)る




