昨日のMX。
面白かったな。
"洗脳"のリスクをよく理解して認知戦の現代を生き抜け Dr.苫米地 2022年8月22日
洗脳=brain washing
この言葉はジャーナリストが作った。しかしそのジャーナリストはCIAの要員であった。
1960年代 CIAが共産主義に対抗・研究したプロジェクト
MK-ウルトラ
LSDを使用
統一教会が登場。
洗脳力が高かった文鮮明に情報機関が洗脳技術供与か。
(当時から血分の儀式で成功していた)
アメリカ上院1978年のレポート
investigation of korean american relations (韓米関係調査)
5:55-
「1963年2月26日の報告では、61年6月の韓国情報院(KCIA)が作られているんですけども、kCIAの創設者であって初代長官のキムジョンビル氏が、文鮮明の統一教会を政治的ツールとして組織化した。
さらに64年12月の報告では、KCIAが統一教会を通じてアメリカでの反日活動をやったと出てます。KCIAが統一教会を組織化していく後ろ盾であり韓国政府の政治的目的のために創設されたとはっきりレポートに出てます。
もちろんKCIAはアメリカのCIAが協力し、ノウハウを提供して出来上がった組織ですから後ろにCIAがいた可能性もありえるがレポートしては出ていない。
CIAがMKウルトラの技術を統一教会に教えたかというのはどこのレポートにも出ていないが、その後の統一教会の洗脳手法の中にMKウルトラ起源のものが見られるから十分にありえる。
その統一教会の被害者だった人が78年に脱会して88年に出版した本
そこで初めて”マインドコントロール”という言葉が使われた。
combatthing cult mindcontrol
直訳ではマインドコントロールとの闘いになるが出版社が恐怖と置き換えた。
その後はオウムの時の話。
苫米地さんが警察庁から依頼を受けてオウム信者の脱洗脳を施しました。
サリン事件を起こすほど信者が洗脳されていた。
伝統的な確立された洗脳手法を使っていた。
統一教会では形跡のないLSDとか覚せい剤を使っていた。
動画の冒頭だったか、統一教会の勧誘は新聞欄の死亡者リストを見てその親族に連絡することだったと言われていました。
人の弱みや知識の薄い部分に入り込んで行く、これが入口。
オウムはヨガレッスンだしネットワークビジネスは金持ち父さんのキャッシュフローゲーム。
洗脳という”情報の書き換え”は日常に頻繁に起きてます。
罠にはまらないよう気をつけましょ。
CIAの活動を知ると相当情報操作してきたんやなと感じます。
CIA:戦争とフェイクニュース (1986)
CIA:世界最凶のテロリスト (2020)
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書籍「現代洗脳のカラクリ」の一部をご紹介します
特別章 オウム信者の証言 女性信者Sさんの場合 高校2年で入信
私がオウムに入ったのは高校2年の時です。 部活の人間関係で悩んでいたときに本屋さんで麻原彰晃『秘密の開発法「超能力」』とか、『 生死を超える』を見つけて、「私が求めている世界はこれだ。自分はここに一生を捧げるんだ」 って閃いてしまったんです。ちょうど家の近くにオウムの道場が出来たことことも運命敵だと思って、すぐに入信しました。道場でやっていたことはヨーガ ではなくて、バクティと 呼ば れる奉仕作業でチラシ折りとチラシ配りでした。 部活のあとや土日の学校が休みのときとかに 通って山積みのチラシをみんなでひたすら折って折って(笑)。それが功徳になるんだっていわれていたので、みんな喜んでやってまし た。道場には私のほかに5人ぐらいいまし た。やっぱり悩みがあって、 本がきっかけ でオウムを知った人もいたし、誘われて来た人もいましたけど、みんな「求めていたのはここだ」っていう感じで入ってきた人 ばかりでした。そういう仲間たちの中にいることもあって、オウムには何の疑いも持っていせ んでした。「早く出家したいね」とよく言い合っていました。
意識をチェンジさせるアーナンダ師
その後、オウムの石垣島のセミナーに参加してそのまま出家しました。19歳の時で高校を卒業して就職もしていたのですが、会社を辞めて最低限の着替えと自分の全財産を持って家出同然でサマナ(出家信者)になりました。出家直後、一時、東京の支部で師の運転手をしていましたが、その とき、死刑判決を受けたアーナンダ師の井上嘉浩さんに会っています。当時アーナンダ 師は導きに凄く長けた師だと言われていまし た。アーナダ 師は相手の心の状態が見えていて操作できるから、ここだというときに意識をチェンジさせると、その人はハマっちゃうと言われていました。私は チェンジの現場を見たことはありませんが、アーナンダ師は凄い早口で畳み掛けるようにしゃべる人なので、面談すると飲まれていくっていうのは 感じまし た。人の意識を変えちゃうぐらいの 勢いはあったとは思いす。 ただ、洗脳とは違います。もっと普通の勧誘だと思います。個室在家信者 死亡事件に入って一対一でお話しして、悩みを聞いたり、アドバイスしたりしながら導くやり方で特別何かをしたっていうのはないと思います。
オウムの修行
運転手のあとは上九一色村のサティアンで修行でした。ヴァヤヴィヤクンバカ・プラーナヤーマという激しい呼吸法と帰依マントラをひたすら唱える修行がメインです。あとは立位礼拝。頭の上に両手でレンゲを組んで立って「オウムグルとシヴァ大神に帰依奉ります、すみやかに解脱の道にお 導きください」と言って五体投地(両手受け身のようにマントラを唱えな
がら床に倒れる)をしていました。それを朝6時に起きて深夜まで休憩なしでひたすら繰り返すんです。あとは欲如意足と喜軽安覚支もよくやりました。欲如意足は「修行するぞ、修行するぞ」とグルが自ら唱えたカセットテープの声と一緒に合わせて唱えていく修行で、ワイドショーでもよく 紹介されていたものです。声のリズムもタイミングも抑揚 も、グルの声に すべて合わせ て、グルよりも早くても遅くてもダメ で、完全に同化し唱え方もマネしましょうっていう。これをひたすら何時間も唱えてました。 喜軽安覚支も「修行ができて嬉しいな、楽しいな」と延々とグルのカセットテープに合わせて唱えるものでした。でも、本当はつらいんです。ずっと蓮華座(=座禅)なので、おしりも足も痛いし、「帰りたい、辞めたい」と思うんですけど、笑顔で「嬉しいな」と言わないといけないんす。 修行そのものは単調なことが多いので、やっぱりつらかったですね。 ただ、それを口にしたらいけないんです。オウムでは潜在意識のことをアストラルって呼ぶんですけど、アストラルが穢れてる人は修行中に苦しい意識が出てくるので早く浄化しなさい、 グルを意識して修行しなさい」と 教えられます。そこで、修行に対して愚痴や不満、否定的なことを言うと「カルマが悪い。前生で悪業をなしたからいま苦しいんだよ」と普通に言われます。生前のカルマ、地獄のカルマが強い人は蓮華座が痛いっていう のが一般的な解釈で、いま苦しいのは前生でなした悪のせいで、いまそれが落ちているんだから、早く落としなさいと言われます。洗脳というこで言えば、帰依マントラをしているときは不思議な体験をすることが多かっ たです。「オームアーフームヴァジラ ~」というマントラを在家が最低10万回、出家したら30万回唱えろと言われてて、ひたすら唱え ます。 歩いてても何か用事をしてるときでも、普段から唱えるようにって教えられるんです。修行の空間にいるときは蓮華座を組んで金剛印を結んで、手 の間にカウンターを当ててカチカチ数を数えるんですけど、目を閉じてや
っ ているので、意識がドンドン深く深くなっていって、心がどっかに行っ ちゃいますね。凄い課になるわけじゃないですけど、本当に半分夢の中に
突っ込んでいるような意識状態になります。
イニシエーション
オウムといえばイニシエーションも有名で、上祐さんがグルの精子を飲ん だみたいな話をあとでマスコミに聞いたんですけど、一般のサマナにはそういう話はなかったと思います。ただ、麻原の血液は注射しました。祭典があって全サマナが上九に集まっていろいろイニシエーションとか与えられたりするんですけれども、そのときにみんなの前で麻原の血液を注射で取って、それを全員に行き渡るように 薄めて、それを全サマナのおでこに 注射しました。みんな額がポコッとなってました。普通の感覚であれば嫌 でしょうが、私たちサマナにしてみれば、とても嬉しいことなのです。「私の魂はグルに救済される存在である。自分たちは選ばれた魂である」とみんな本気で思っているので、その証を貰ったような誇らしい気持ちになっていました。こういうことに違和感を感じないのですから、この頃は 完全に洗脳されていたんだと思い ます。
強恐怖の支配
でも、こう話していると、これが洗脳状態という感じですね。しかし、誰かに「これは素晴らしいことだと思え」と言われたわけではないんです。入信する時点ですでに自分から突っ込んでいった部分のほうが大きいと思います。ほかの人たちも、やっぱりこの世の中が苦しいとか、行き詰まりとかを感じていて、そこでオウムを知って、ここしかないと思って入ってき人ばかりでしたから。同い年の人もいっぱいいましたし、17歳で一人 で出家してきた子や家族ぐるみで出家した人たちもいました。何の疑いもなくみんな入ってきて出家して、さらに深く自分で突っ込んでいく感じでした。ただ、恐怖の支配はありました。反抗したり、修行をさぼると教学用のビデオテープを見せられたりするんですけど、交通事故で足がちぎれ て救急車を待っている人とか、ひどい映像も多かったです。戦争の実験として動物たちがこんなふうに苦しめられたとか、これは動物と 地獄 の カルマ で ある とか、そういうのをいっぱい見させられ ます。そうすると修行して真理の実践を得ようとするよりも、怖いから地獄のカルマを落とさ なきゃって思うようになってしまうんです。信仰をやめたら、地獄に落ちると普通に思うようになってしまい ます。だから、信仰をやめることも恐ろしくてできなくなってしまうんです。 いま考えれば大の大人が地獄に落ちると言われただけでなぜ怖がるのかと思うのですが、上九にいたときも、オウムがサリン事件を起こしたあとも地獄への恐怖はずっと続きまし た。
がんを発病
サリン事件のあと私は脱会し、一人暮らしを始めました。ただ、グル への 信仰は捨てられませんでした。オウムが正しかったと 思っていたわけでは ありません。捨てたくても捨てられないのです。 信仰を捨てると地獄に落ちるという言葉が忘れられず、怖くて捨てられなかったのです。そんなときに乳がんになりました。西洋医学的な治療は受けず、民間療法だけで治療していたのですが、悪くなる一方で腫瘍が急激に大きくなってしまった のです。死ぬのは怖い。だけど、治療ももう手遅れだろう。私は凄い行き詰まっていました。信仰をやめて自由に考えられるようになりたいとも思ったのですが、 信仰をやめるのも怖いし、どうしたらいいんだろうと思っ ていました。そんなときにふっと「苫米地さんだったら何とかしてくれるかもしれない」と思ったんです。いろいろ調べていったら野田成人さん(元オウム幹部) のブログに苫米地さんの話が書いてあったので、野田 さんに連絡をして、苫米地さんに会ってみたいんですけどって言ったらOKという返事を頂いて、それでお会いするって話になったんですね。
最も印象的な洗脳は苫米地先生
私が上九にいたとき、「苫米地英人は怖い。目を見たら洗脳されるから目 を見たらダメだ。地獄の閻魔よりも怖い」って言われていました。それは サマナ中の噂になっていました。その頃、ウッパラヴァンナーさんが苫米地さんに洗脳されてオウムを辞めてしまったんです。ウッパラヴァンナー さんは正悟師で石井久子さんの次くらいの高い地位だった人ですが、その
人がいとも簡単にやめてしまったことでオウム信者の中で恐れられていた んです。警察よりも恐ろしいって言われていた人で、そんな人は苫米地さんだけでした。 そんな人だからこそ、私は苫米地さんにすがったんだと思います。麻原という存在が自分の意識をがんじがらめにして病気に立ち向かえないような、呪縛を受けるような感覚も感じていた私にとって、苫米地さんしか頼れる人がいませんでした。でも、会うまではやっぱり凄く怖くて「面談する日に事故に遭って死ぬかもしれない、尊師どうか見守ってください」ってお願いしてから家を出たことを覚えています。凄く混乱し ていました。苫米地さんにすがりたい気持ちもあれば、会うことによって 今日死ぬかもしれないってことも本気で思いながら、会いに行きました。 苫米地さんとの面談は野田さんが私のことをほとんどしゃべってくれたので、私は何も話していません。 苫米地さんも野田さんと仏教のお話をして いただけで、私はずっと下を向いて聞いていまし た。下を向いていたのは「苫米地英人の目を見てはいけない」というオウム時代の刷り込みもあっ たせいです。本当に怖くて見られないんです。そんなとき、 苫米地さんが「ちょっと待ってて」と言って部屋を出ようとしまし た。そのとき、苫米地さんが私の目を見たんです。「あ、目が合ってしまった!」そう思った 瞬間、何かがフッと変わった気が一瞬しました。苫米地さんとの面談 はそれだけで最後まで会話らしい会話はなかったと思い ます。
帰り道、「あれは何だったんだろう? 一瞬気持ち良くなったんだけど」 と目が合ったときのことを思い返していました。何か変わったかというと、何も変わっていません。家を出る前の自分と同じなので、そのまま寝 てしまったんです。ところが、朝起きて自分が変わっていることに気づき ました。オウムでは24時間 グルを意識することを教えられます。常に、 目の前に尊師の姿を思い浮かべるんです 観想というんですけど、翌朝、それをしようとしたらうまくできないんです。尊師の姿をイメージしてもぐ に砂のようにザーッと崩れてしまうんです。グルを忘れたわけじゃないん です。記憶 としてもわかっているんですけど、グルを観想しよう、思い出そうとしてもさらさらさらって溶けるように消えていくんです。何度繰り返してもダメでした。私は信仰を捨てる気はなかったんですが、苫米地さんに会って目を合わせたときからグルが消えてしまいました。本当の意味 でオウムを脱会したのはこのときでした。
洗脳とは私の思い込み
その後、苫米地さんにはがんの相談をするようになり まし た。懇意のお 医者さんを紹介してもらって がん細胞も取りました。腫瘍が皮膚を突き破るほど進行していたがんですが、いまは治っています。がん治療についても苫米地さんにはお世話になりまし た。抗がん剤治療を続けているとき、 ショッピング センターで急に気分が悪くなってしまったんです。店内のベンチで横になってても脂汗が止まらず、救急車を呼ぼうかと思ったほどですが、私は苫米地さんに「苦しくて動けません」ってメールをしました。 そしたら、「救急車をすぐに呼びなさい。いまから気を送る」って言われ て3分もしないうちに元気になったんです。苫米地さんの遠隔気功で 気持ち悪さが治ってしまったんです。たぶん、これを読んだ人は私が思い込み やすい人間だと思ったことでしょう。そうです、私はとても 思い込みやすいのです。ですから、私にとって洗脳とは何かといえば、「私の思いみ」 です。悩んでいる頃にオウムという答えを提示されて、自分から突っ込ん でいって、気づいたら完璧にハマり込んでいました。そして地獄のカルマ。私はそれを心の底から怖がって信仰を捨てることもできなかったのでした。でも、それは他人からされた部分もありましたが、私が私を縛った ものでも ありました。それが私の洗脳に対する偽らざる実感です。
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当時の苫米地さんのテレビ出演時の動画。
オウムの洗脳方法について説明してます。