8K高精細カラー映像凄い綺麗!
最近作った映画じゃん。
記録映画って、歴史的価値は分かるけど見てもよく分からないなと思っていたから、全部カラー化して欲しい。
映像だけでも絶対見て欲しい!

🍀1日目 午後1時頃
地震発生の瞬間の動画はないのかな?
「当時、耐震構造を備えた建物は殆どなかった」
これが不思議。
古代から延々と地震が発生してるんだから、もう少し何とかならない?
治水とかに比べて明らかに技術低いよね。
これまでは、映像はあってもどこの映像かキャプションが不明だった。
高精細になって解明出来た。
元住人「焼けて死ぬなんて夢にも思わないし、(避難中)お寿司屋さんへ寄ってね、チヨちゃんお寿司食べていこうよなんてね」
最初はそんなに危機感ないんだね。
幸田文のきものと言う小説で、地震直後からピリピリしてた描写があったけど、まあ後から書いた小説だからね。
情報がなく、同時多発的に火が広がっている事に気づかなかった。
ラジオ放送はまだ始まっていなかった。
ラジオがあったら、デマ被害が拡大していたと思う。
レンガや鉄骨を使った最新の建物でも、大部分は木で出来ていた。
地震の予言をしてホラ吹きと呼ばれた今村。
でも未だに地震予知できないんだから、科学とは言えないでしょ。
自腹で趣味でやれば?と思う。
昔は屋根瓦を固定しておらず、瓦が落ちて剥き出しになった屋根板が燃えてしまった。
関東大震災と同じ揺れを与えると、3分の1の瓦が落ちた。
逆に、半分以上落ちないんだ!と驚いた。
大正時代の人にとっては最新の耐震技術だったのかもなあ。
🍀午後4時
四方で煙が上がり火事は目の前で起きているだけではないと気づき始めた。
大八車で家財道具を運びながら避難するので道路が混雑して動けなくなった。
火が広がって橋しか逃げる所がなくなり、川に飛び込むしかなくなった。
橋は避難者もろとも焼け落ちた。
DJポリスの言う事聞きましょうね。👮♀️
黒沢明も惨状を見ていた。
「関東大震災と言う巨大災害の始まりに過ぎなかった」
ええ・・・。💦
🍀おまけ
父方は畑が水没したくらいなのですが。
母方の祖父が関東大震災の半年前に生まれていて、地震が来た時曾祖母は、祖父だけをなんとか背負い、近くの少し高台にある竹林に避難し、そこから自分の町が津波に飲まれていくのを見ていたそうです。
自分の家は無事だったと思う。
後年曾祖母は、孫達(私の母)から
「なんで背負って逃げたの!
そのまま置いて来りゃ良かったのに!」
とブーイングされたそうです。
酷い。
花札の曾祖母です。笑