当時、冤罪を受けた高野山釈尊会社長の時に次世代の
発電会社を日本国の為のガイアサポート(株)を設立した。
現在に至る経緯の中学生の私の生い立ちを説明します。
冒頭に、
日本の終戦後に生まれた当時の私は(他界した母の実家)神奈川県は農家の莫大な土地がある畑・田んぼ・アパートの経営の資産家であり、戦時中は母の実の父(お爺さん)は町長の経験をしていました。
又、そのお爺さんの兄弟・親戚全ては町会議員と県会議員の親戚が多く、その親戚の家族の多数は商売をし、その町の生活を繁栄に必要とする商売、ガソリンスタンド、魚屋・肉屋・八百屋・金物屋等・多数の生活必需品のお店を持つ、裕福な親戚で富豪の資産家で実家の次女・母の・長男で産まれました。
実家は、生活に困らないお金持ちの家の孫の私がお小遣い稼ぎの新聞配達のアルバイトを始めました。
これが、私の人生が変わる(ガイア)女神の様な心に代わる
人のフンドシで相撲をとる、ビジネスを身体で覚えたのです。
その当時の自分は中学1年生であり、父親の給与が12000円でしたが、長期の肺病の「結核」で仕事を休み、その原因で他界しました。
自分は新聞配達のアルバイで稼ぐ1ケ月のバイト代が4000円で有り、母親のパート代金は9000円でした。
従い、
自分の食事の生活費と学費を自分で補うことを子供の中学一年で学び、少ない収入をアルバイトで稼ぎ、全ては自分の必要な学費は自分で稼ぎ、両親からの義務教育の資金援助も高校・大学の援助も有りませんでした。
当時の母は、!
富豪のお爺さんの実家からの生活援助を受けることも無く、借金することも無く 毎日パートとして父の代りに働きました。
私は、人のフンドシで相撲を取るということを学んだのは!
次の流れからでした。
自分が新聞配達で毎日・朝刊と夕刊を配る新聞紙が、町の全体の膨大なゴミとして家の玄関先に山積みになり、減るどころか毎月に増え続ける膨大な新聞紙を減らす為に、
各家庭では、畑や土地に穴を掘り、新聞紙を大量に捨てて毎日朝から晩まで火をつけて燃やした煙公害で毎日が息苦しい町でした。
その古新聞の膨大なゴミと公害を一石2鳥で町から無くし 古新聞のゴミを綺麗にする方法を、中学一年の時に考え PTAの人気者のお喋りの叔母さんを宣伝に利用する事を考えました。
その方法は月・水・金曜日と火・木・土曜日に 僕が全部の町の古新聞紙を 決められた週に、ゴミを取に来るから集められますか、と?
例え話しで、問いましたところ、PTAの叔母さんは、私に本当にボランテイアの様に ゴミ(古新聞)の引き取りを、お金を支払わないで古新聞のゴミを無料で綺麗に運ぶ事が出来ますか?の問いに自分は自信があり、ハイ、簡単に出来ますと豪語しました。
自信がある根拠は日本の製紙は、戦後に輸出だけを頼る、膨大に値段の高いパルプの事を知り、パルプの木材を製紙にするには、甚大な手間と時間も掛り、設備投資に莫大の
お金が掛り、従い2トン以上の新聞のロール巻きが、1つ完成する人間の手間が掛り、その後、新聞社等に販売される為である。
その豪語した直後に、私は自転車で斎藤さんのクズやさんに行き、古新聞紙の引き取りを、トラツク10台分お願いしたところ、空いている土地に、古新聞紙を運ぶならば沢山現金で
購入するとの話から嬉しくなり、運びますと豪語しました。
次に、自家用の白ナンバートラックの鈴木さんの叔父さんに相談したところ、白トラの自家用トラックの仲間が全国に沢山いるから古新聞紙の引き取りは、トラックで、全国の何処でも全部、古新聞を運ぶのを引き受けるとして承諾しました。
従い、斎藤さんから、運賃の支払のお金は現金であり、古新聞を載せた儘の車両を計り、空の車両の計りで差し引きした重量計算の代金を、その場で斎藤商店さんが現金で運賃を支払う約束だから、直接に、トラツクの運賃交渉を互いに話して決めてください。と、お願いしました。
又、斎藤さんの電話番号と鈴木さんの電話番号をPTAの叔母さんに簡単に話した事が本当になり、
全国は北海動から九州までの古新聞のゴミを鈴木さんの
トラツクの全国グループが古新聞の何十万トン以上を運ん
だ事が、1ケ月の短期間で有言実行された事実の認識は、斎藤商店から金3億1千万円以上のお金が、私の名義の郵便局口座に振り込まれて、認識し驚きました。
これが中学1年で覚えて現在に至る、人の(力)フンドシで
相撲を取り、又、良い話は、短期間に全国に口コミで拡散するボランテイア精神の(無料で綺麗に成る)美化運動ビジネスの始まりに成るのでした。
要約すると、当時は、PTAの叔母さんの1名のお喋りの口コミから始まり、1ケ月で、全国の県・市町村からの8万人以上のPTA主婦連に噂が広がり、(古新聞の)ゴミを無料で運び、奇麗に成ります。
最後には、(奇麗な桜紙)と、交換)する美化運動です。!!
との噂が短期間に口コミの紹介で全国に広がりました。
それは、私が中学の義務教育を受けて、アルバイト代4000円の時に、高いパルプの材料代の代りに、斎藤商店から莫大な古新聞紙の何千万トンの紙の原料代金3億1千万円以上が
中学で勉強中の私の郵便局の口座に入り、金額の金3億1千万円以上の口座の入金を知りましたが、お金の価値観の 感覚も欲も無く、単に数字の記載だけで知りました。
当時の私は、お金が欲しくて古新聞を集めたのでは無く!
当たり前であり、中学生の私は金3億円以上の郵便局に入金された、そのお金は他人の如し自分には何等の欲が無く、
母や親戚に内緒で神奈川県の社会福祉に電話で相談し
金3億円のお金を全部寄付したいと私は申告しました。
暫くしたら!
神奈川県庁の社会福祉児童相談所職員が、自宅に訪れて、
私の事情の説明で 例えば、金3億円を寄付したならば!?嬉しいですか!?・・私は、両親の居ない養護施設の建設資金に寄付をしたいと、話したところ、私との意思を確認した上、で、母親や親籍と立ち合いの合法的手続きで金3億円を寄付したのでした。
ところが中学生の私が多額の寄付をした情報を聞きつけた神奈川新聞社や多数のマスコミ取材に追われた母が息子は中学生であり、有名になると狙われて困るので、と取材を避け、テレビ・新聞・ラジオ等で名前や匿名で騒がれ外に出るならば、神奈川県側の社会福祉の児童相談所には、二度と多額の寄付をしないし感謝状もいらないと息子に言われ怒られていると、母は拒否をしたのである。
その後マスコミ側は、誰にも言わず 私の顔を隠して秘密に
取材をする条件で約束し収まりました。
その後も全国から大量に集まる古新聞の売買代金として
全国から毎月莫大に集めた古新聞の原料代金3億円以上を暫くは、社会福祉施設・養護施設の建設資金等のに貢献し
寄付をしていたのが、昭和38年当時、人のフンドシで相撲をとる哲学ビジネスを学んだ原因の当時は、両親が居ない養護施設の建設資金等の寄付をした社会福祉法人との!
施設名はエリザベスサンダースホーム・箱根・恵明学園・ ゆりかご園、鎌倉学園・水上学園等の多数の神奈川県の
社会福祉事務所を通じて、擁護施設の鉄筋コンクリートビル建設の寄付に貢献していたのでした。
その後も暫く、毎月、膨大に入金される多数の金3億円以上の寄付金を、神奈川県社会福祉相談所の予算や説明にて
赤い羽根共同募金の基金等や、部落民差別や同和地区の差別等の資金の寄付や交通事故等で両親を無くした養護施設等に寄付を毎月と当たり前の様に続けていました。
ところが、
その約1年過ぎた頃からは、郵便局に入るお金が段々と縮小したので、神奈川県側に依頼して調査をすると、全国各地で古新聞を集める個人のちり紙交換車の小型宣伝カーのライバルの引き取り車が、各県の各家庭に回り、全国で古新聞を集め出したちり紙交換のビジネスの原因の為や、各県のPTA等の学校での教材費に成るとして独自に古新聞を集める運動が起きました。
従い、人のフンドシで相撲を取る清掃ビジネスの古新聞と、ちり紙を交換する古新聞の資源を製紙会社に届けるトラツクの台数が減り,段々と郵便局に入るお金が少なくなりました。
その為に、多額の寄付をする続行は不可能と認識した
私は、社会福祉の寄付の貢献を限界とし中止したのです。
従い、
郵便局にある残金の資金を投資PTAの主婦等からの懇願からは寄付ではなく、お金を貸して欲しいと要求から、これも人のフンドシで相撲をとるビジネスとして、会社員の専用の主婦の信用だけで会社員として働いている証拠の、社会保険証だけを信用しサラリーマンだけの在籍確認を採り、信用とする
会社員の証明で、毎月の給与と、ボーナス年2回入る事を
会社員だけの金融の優遇として、毎月の給与を支払いの
目的のサラ―リーマン専用の金融ビジネス(サラ金)を日本で第1号に考案したのでした。
当時の、私は、中学3年の時に人のフンドシで相撲をとる
哲学で当時の会社のサラリーマン金融のスポンサー的に
名を隠し陰のオーナーとして資本金を投資するリファイナンス金融のビジネスを全国に匿名オーナーで資金援助して、
日本で初めて考案のサラリーマン専用金融業(サラ金)を考案しました。
人のフンドシで相撲を取る、全国からの口コミの信用だけで、社会保険証書があれば、簡単にお金を貸借し、保証人も家族にも知られないで、その簡単で便利なビジネスを考案し、書面に記載をする借用書だけで!
その場で、現金を即に貸す、便利なビジネスを全国展開したのがリファイナンスした当時・ほのぼのレイク等の濱田武雄氏から始まり、資金の投資スポンサーと成り、て
元本から利息は、年利10%の契約のスポンサーになり、
名前を伏せ陰で隠れて解らない資金投資オーナーとなり、
その後は、チリ紙交換の様に、口コミにて全国では次々に
物真似されたサラ金ビジネスの武富士・アコム・プロミス等の多数の(サラ金)時代のライバル会社が続々と設立されて
サラリーマン金融ビジネスの物真似が全国に膨大し増えたのでした。
ところが、銀行ATMと同様の会員カード方式で便利になり、50万円を借りても、利息を何年間も払い続ける(カード)方式の原因により、元金50万円が何年しても減らない、高額利息40・05%の法的利息で莫大な利息が儲かる(サラ金)脱法行為のビジネスが暴かれる時代に突入し、過払い請求を裁判所に
請求する時代に突入し
私の経営哲学を物真似でスタートしたサラ金の多数の会社は脱法行為40・05%の高額ビジネスが崩壊したのです。
その後は、リファイナンス、総合信販の裏の投資家でもあり、数あるベンチャー企業の裏の有名な陰のスポンサーを経営していました。
又、高野山の某組織の妨害・整理の仲介金で金400億円を
葉山敏夫氏に貸し付けた形で、私は高野山社長として就任し
陰に隠れていた私は、初めて表舞台に出るように成りました、
その直後の、平成11年に佐々木詳元と岡部幸次の詐欺師に嵌り、高野山事件として毎日新聞に虚偽の記載で!
ガイアサポート発電会社の法人は、高野山事件の濡れ衣で破壊され、平成12年11月17日に毎日新聞記載の冤罪で潰れたのでした。
詳細は、前回のアメバブログのノンフイクションに記載です。
発電会社を日本国の為のガイアサポート(株)を設立した。
現在に至る経緯の中学生の私の生い立ちを説明します。
冒頭に、
日本の終戦後に生まれた当時の私は(他界した母の実家)神奈川県は農家の莫大な土地がある畑・田んぼ・アパートの経営の資産家であり、戦時中は母の実の父(お爺さん)は町長の経験をしていました。
又、そのお爺さんの兄弟・親戚全ては町会議員と県会議員の親戚が多く、その親戚の家族の多数は商売をし、その町の生活を繁栄に必要とする商売、ガソリンスタンド、魚屋・肉屋・八百屋・金物屋等・多数の生活必需品のお店を持つ、裕福な親戚で富豪の資産家で実家の次女・母の・長男で産まれました。
実家は、生活に困らないお金持ちの家の孫の私がお小遣い稼ぎの新聞配達のアルバイトを始めました。
これが、私の人生が変わる(ガイア)女神の様な心に代わる
人のフンドシで相撲をとる、ビジネスを身体で覚えたのです。
その当時の自分は中学1年生であり、父親の給与が12000円でしたが、長期の肺病の「結核」で仕事を休み、その原因で他界しました。
自分は新聞配達のアルバイで稼ぐ1ケ月のバイト代が4000円で有り、母親のパート代金は9000円でした。
従い、
自分の食事の生活費と学費を自分で補うことを子供の中学一年で学び、少ない収入をアルバイトで稼ぎ、全ては自分の必要な学費は自分で稼ぎ、両親からの義務教育の資金援助も高校・大学の援助も有りませんでした。
当時の母は、!
富豪のお爺さんの実家からの生活援助を受けることも無く、借金することも無く 毎日パートとして父の代りに働きました。
私は、人のフンドシで相撲を取るということを学んだのは!
次の流れからでした。
自分が新聞配達で毎日・朝刊と夕刊を配る新聞紙が、町の全体の膨大なゴミとして家の玄関先に山積みになり、減るどころか毎月に増え続ける膨大な新聞紙を減らす為に、
各家庭では、畑や土地に穴を掘り、新聞紙を大量に捨てて毎日朝から晩まで火をつけて燃やした煙公害で毎日が息苦しい町でした。
その古新聞の膨大なゴミと公害を一石2鳥で町から無くし 古新聞のゴミを綺麗にする方法を、中学一年の時に考え PTAの人気者のお喋りの叔母さんを宣伝に利用する事を考えました。
その方法は月・水・金曜日と火・木・土曜日に 僕が全部の町の古新聞紙を 決められた週に、ゴミを取に来るから集められますか、と?
例え話しで、問いましたところ、PTAの叔母さんは、私に本当にボランテイアの様に ゴミ(古新聞)の引き取りを、お金を支払わないで古新聞のゴミを無料で綺麗に運ぶ事が出来ますか?の問いに自分は自信があり、ハイ、簡単に出来ますと豪語しました。
自信がある根拠は日本の製紙は、戦後に輸出だけを頼る、膨大に値段の高いパルプの事を知り、パルプの木材を製紙にするには、甚大な手間と時間も掛り、設備投資に莫大の
お金が掛り、従い2トン以上の新聞のロール巻きが、1つ完成する人間の手間が掛り、その後、新聞社等に販売される為である。
その豪語した直後に、私は自転車で斎藤さんのクズやさんに行き、古新聞紙の引き取りを、トラツク10台分お願いしたところ、空いている土地に、古新聞紙を運ぶならば沢山現金で
購入するとの話から嬉しくなり、運びますと豪語しました。
次に、自家用の白ナンバートラックの鈴木さんの叔父さんに相談したところ、白トラの自家用トラックの仲間が全国に沢山いるから古新聞紙の引き取りは、トラックで、全国の何処でも全部、古新聞を運ぶのを引き受けるとして承諾しました。
従い、斎藤さんから、運賃の支払のお金は現金であり、古新聞を載せた儘の車両を計り、空の車両の計りで差し引きした重量計算の代金を、その場で斎藤商店さんが現金で運賃を支払う約束だから、直接に、トラツクの運賃交渉を互いに話して決めてください。と、お願いしました。
又、斎藤さんの電話番号と鈴木さんの電話番号をPTAの叔母さんに簡単に話した事が本当になり、
全国は北海動から九州までの古新聞のゴミを鈴木さんの
トラツクの全国グループが古新聞の何十万トン以上を運ん
だ事が、1ケ月の短期間で有言実行された事実の認識は、斎藤商店から金3億1千万円以上のお金が、私の名義の郵便局口座に振り込まれて、認識し驚きました。
これが中学1年で覚えて現在に至る、人の(力)フンドシで
相撲を取り、又、良い話は、短期間に全国に口コミで拡散するボランテイア精神の(無料で綺麗に成る)美化運動ビジネスの始まりに成るのでした。
要約すると、当時は、PTAの叔母さんの1名のお喋りの口コミから始まり、1ケ月で、全国の県・市町村からの8万人以上のPTA主婦連に噂が広がり、(古新聞の)ゴミを無料で運び、奇麗に成ります。
最後には、(奇麗な桜紙)と、交換)する美化運動です。!!
との噂が短期間に口コミの紹介で全国に広がりました。
それは、私が中学の義務教育を受けて、アルバイト代4000円の時に、高いパルプの材料代の代りに、斎藤商店から莫大な古新聞紙の何千万トンの紙の原料代金3億1千万円以上が
中学で勉強中の私の郵便局の口座に入り、金額の金3億1千万円以上の口座の入金を知りましたが、お金の価値観の 感覚も欲も無く、単に数字の記載だけで知りました。
当時の私は、お金が欲しくて古新聞を集めたのでは無く!
当たり前であり、中学生の私は金3億円以上の郵便局に入金された、そのお金は他人の如し自分には何等の欲が無く、
母や親戚に内緒で神奈川県の社会福祉に電話で相談し
金3億円のお金を全部寄付したいと私は申告しました。
暫くしたら!
神奈川県庁の社会福祉児童相談所職員が、自宅に訪れて、
私の事情の説明で 例えば、金3億円を寄付したならば!?嬉しいですか!?・・私は、両親の居ない養護施設の建設資金に寄付をしたいと、話したところ、私との意思を確認した上、で、母親や親籍と立ち合いの合法的手続きで金3億円を寄付したのでした。
ところが中学生の私が多額の寄付をした情報を聞きつけた神奈川新聞社や多数のマスコミ取材に追われた母が息子は中学生であり、有名になると狙われて困るので、と取材を避け、テレビ・新聞・ラジオ等で名前や匿名で騒がれ外に出るならば、神奈川県側の社会福祉の児童相談所には、二度と多額の寄付をしないし感謝状もいらないと息子に言われ怒られていると、母は拒否をしたのである。
その後マスコミ側は、誰にも言わず 私の顔を隠して秘密に
取材をする条件で約束し収まりました。
その後も全国から大量に集まる古新聞の売買代金として
全国から毎月莫大に集めた古新聞の原料代金3億円以上を暫くは、社会福祉施設・養護施設の建設資金等のに貢献し
寄付をしていたのが、昭和38年当時、人のフンドシで相撲をとる哲学ビジネスを学んだ原因の当時は、両親が居ない養護施設の建設資金等の寄付をした社会福祉法人との!
施設名はエリザベスサンダースホーム・箱根・恵明学園・ ゆりかご園、鎌倉学園・水上学園等の多数の神奈川県の
社会福祉事務所を通じて、擁護施設の鉄筋コンクリートビル建設の寄付に貢献していたのでした。
その後も暫く、毎月、膨大に入金される多数の金3億円以上の寄付金を、神奈川県社会福祉相談所の予算や説明にて
赤い羽根共同募金の基金等や、部落民差別や同和地区の差別等の資金の寄付や交通事故等で両親を無くした養護施設等に寄付を毎月と当たり前の様に続けていました。
ところが、
その約1年過ぎた頃からは、郵便局に入るお金が段々と縮小したので、神奈川県側に依頼して調査をすると、全国各地で古新聞を集める個人のちり紙交換車の小型宣伝カーのライバルの引き取り車が、各県の各家庭に回り、全国で古新聞を集め出したちり紙交換のビジネスの原因の為や、各県のPTA等の学校での教材費に成るとして独自に古新聞を集める運動が起きました。
従い、人のフンドシで相撲を取る清掃ビジネスの古新聞と、ちり紙を交換する古新聞の資源を製紙会社に届けるトラツクの台数が減り,段々と郵便局に入るお金が少なくなりました。
その為に、多額の寄付をする続行は不可能と認識した
私は、社会福祉の寄付の貢献を限界とし中止したのです。
従い、
郵便局にある残金の資金を投資PTAの主婦等からの懇願からは寄付ではなく、お金を貸して欲しいと要求から、これも人のフンドシで相撲をとるビジネスとして、会社員の専用の主婦の信用だけで会社員として働いている証拠の、社会保険証だけを信用しサラリーマンだけの在籍確認を採り、信用とする
会社員の証明で、毎月の給与と、ボーナス年2回入る事を
会社員だけの金融の優遇として、毎月の給与を支払いの
目的のサラ―リーマン専用の金融ビジネス(サラ金)を日本で第1号に考案したのでした。
当時の、私は、中学3年の時に人のフンドシで相撲をとる
哲学で当時の会社のサラリーマン金融のスポンサー的に
名を隠し陰のオーナーとして資本金を投資するリファイナンス金融のビジネスを全国に匿名オーナーで資金援助して、
日本で初めて考案のサラリーマン専用金融業(サラ金)を考案しました。
人のフンドシで相撲を取る、全国からの口コミの信用だけで、社会保険証書があれば、簡単にお金を貸借し、保証人も家族にも知られないで、その簡単で便利なビジネスを考案し、書面に記載をする借用書だけで!
その場で、現金を即に貸す、便利なビジネスを全国展開したのがリファイナンスした当時・ほのぼのレイク等の濱田武雄氏から始まり、資金の投資スポンサーと成り、て
元本から利息は、年利10%の契約のスポンサーになり、
名前を伏せ陰で隠れて解らない資金投資オーナーとなり、
その後は、チリ紙交換の様に、口コミにて全国では次々に
物真似されたサラ金ビジネスの武富士・アコム・プロミス等の多数の(サラ金)時代のライバル会社が続々と設立されて
サラリーマン金融ビジネスの物真似が全国に膨大し増えたのでした。
ところが、銀行ATMと同様の会員カード方式で便利になり、50万円を借りても、利息を何年間も払い続ける(カード)方式の原因により、元金50万円が何年しても減らない、高額利息40・05%の法的利息で莫大な利息が儲かる(サラ金)脱法行為のビジネスが暴かれる時代に突入し、過払い請求を裁判所に
請求する時代に突入し
私の経営哲学を物真似でスタートしたサラ金の多数の会社は脱法行為40・05%の高額ビジネスが崩壊したのです。
その後は、リファイナンス、総合信販の裏の投資家でもあり、数あるベンチャー企業の裏の有名な陰のスポンサーを経営していました。
又、高野山の某組織の妨害・整理の仲介金で金400億円を
葉山敏夫氏に貸し付けた形で、私は高野山社長として就任し
陰に隠れていた私は、初めて表舞台に出るように成りました、
その直後の、平成11年に佐々木詳元と岡部幸次の詐欺師に嵌り、高野山事件として毎日新聞に虚偽の記載で!
ガイアサポート発電会社の法人は、高野山事件の濡れ衣で破壊され、平成12年11月17日に毎日新聞記載の冤罪で潰れたのでした。
詳細は、前回のアメバブログのノンフイクションに記載です。