めちゃくちゃ眠くなって、倒れそうになるぐらい眠かったので早い時間に寝てしまった。

そうしたら夢を見た。

 

印象的な夢だったので記録

 

夢の中では亡父が出てきた。父は6畳ぐらいの部屋に座っていた。

布団がたたんでおいてあった。

 

私は父と話をしていたような気がするけれど、よくわからない。

父の部屋には布で少し隠したような隅のほうに、沢山のノートや何かが置いてあった。

紙的なものが沢山あって、それらは私のものだった。

 

私は父に「ここにある要るものと要らないものを分けて処分するね」と言ってた。

 

誰か知らない人(若い普通のお店にいるような男性のウエイター)がやってきて、私は父と一緒に食事をすることになっていた。

 

6畳の部屋の横はすぐにレストランになっていた。

よくあるファミレスのような雰囲気だった。

 

横長のテーブルのところに知らない人たちが座っていて、(誰だかわからない)

でも子供もいたような気がする

ソファーの長椅子には5,6人の子供がいたような親子だったのかもしれない

 

その中のこちらサイドの椅子に父の席と、その左隣に私の席があった。

 

テーブルには空の白いお皿が置かれていて、父の皿は大きくて、その左側に置かれた皿は小さくて、子供用(私の皿)だというのがわかった。親子ってことなのかな?

 

実は前日に、父の夢をみていて、その夢の中では私は父におびえていた。

この父が怖いという子供の時の夢を何度も観て、夢の中ではいつも弟とともに怯えて絶望とともにドキドキしていた。

あまりにリアルで、私は父が亡くなってもまだ怯えなければならないのかと・・

 

なぜ私はこのような世界に、このような親の下に生まれたのか?と

生まれたこと自体に怒りと失望と呪いに近い思いさえもっていたし

 

生前の父は、というか特に子供のころの父は悪魔のように怖くていわゆる虐待者、DV者、モラハラ親、の最上位にいるような人間だったので、私は一時たりとも安心をしてあの家にいたことがなかった。

弟と私は毎日怯えていて、父の顔色を窺い、

父の条件つきの愛?愛だったのだろうか?

あれが愛だというなら世界は腐っているだろう

 

ただのサンドバック替わりだったんじゃないのかな?

私ら子供は、父の私怨を晴らすためのただの道具

 

なんで生んだんだろう?私は生まれたくなかったのに

なんで生んだんだ?って

 

私が泣くと、父はいつも「俺のせいか?俺が悪いのか!?」と悪魔のような真っ赤な目をして怒鳴りつけ、

椅子を私の頭上にかかげて、いつでも振り下ろしてやる!といった状態で私を土間の隅まで追い詰めて、何度も何度も、振り下ろすふりをして怯えさせた。

 

私は何も悪くない、何もしていないのに!!

裸足で冷たい土間に立ったまま、父に謝れと強要され

「ごめんなさい」と何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返し謝らされた。

 

すると父は「許さん!絶対に許さん!」「謝れ!」という。

 

この繰り返しが拷問のように続く

 

父は、私が泣き始めると近所に聞こえるので「泣くな!!」と怒鳴り、

凍り付いたように声を抑えて固まると、、

今度は私が泣くまで怒鳴り続け、椅子を振り下ろすフリをして脅し続けた。

 

なぁこんな非人間的なことをしてくれたよな。お父さんよ

あんたは人間だったのか?違うよな

人生の後半に罪悪感にさいなまれて辛いと私に許しを乞うたよな?

誰が許すかよ!

 

あんたが亡くなってもなお、なんで私らをいじめ続けるんだよ??

地獄に落ちてないんか?って

弟は父は地獄にいるという

 

このいたぶりが不定期に、父の気分で連日続く日々が私の子供のころ

私にとって生きることは地獄で

いわゆる私は「搾取子」というやつだった。

家の家事やらなにやらやらされてたけど、お小遣いも何ももらったこともない。

おまけに父の怒りやうっぷんのはけ口にされる

 

狂わないほうがおかしいだろう?

 

父は自分の学歴コンプレックスのため弟を医者にしたがり、

勉強だけしていればいいというかんじで、成績さえよければ優遇され小遣いも毎月もらっていた。

お布団もフカフカの新しいいいやつ。

 

私は使い古したザラザラの固い布団だった。完璧な差別

男尊女卑というのかな??私はまさに奴隷だったんだ

 

だから一定の時期まで私は男性のほうがえらい女性は下だと思い込んでいた。

だって日本の社会は今でもそういうところがあるよね

トップダウンなんだよね

 

まだ小学生だった私に、こんなことが耐えられたのだろうか?と今も思う。

子供は強いんだなぁと思う。いや私が強かったのか?

いや、子供だから完全にこの状況に慣らされるしかなかったんだと思う。

 

ある程度になってからいきなりこんな待遇になったら、狂うと思う

 

友達の家は平和そうで、怒鳴らない暴力をしないおとうさんがいてお母さんがいて、

それだけのことが心底うらやましかった

 

母は父のDVに耐えかねてとっくに失踪していた

当たり前だ、あのままいたら殺されてた

 

私らは誰にも守られることもなく、父の私怨やうっぷんを晴らすために存在しているようなものだったんだ

親戚や知り合いに訴えても、親のことを悪く言うんじゃないと言われ。

育ててもらってるんだから、そんなことを言っちゃいけないと言われて、私らは口をつぐんだ。

だって告げ口すると、父の暴力がさらに私らに向かってエスカレートするから

私らは何も言えないまま、いい家にいる、普通の家庭にいるふりをして育った。

 

今でもそのくせが続いているんだろうな、、

前向きで明るい普通の人、普通の言葉、普通の態度、、

を周りから学んで真似をしていただけ

 

本当の自分との乖離が激しくて疲れるんだよ、生きてるだけで

だから一人がいい

一人ならだれも私を責めない、期待しない、

自由に自分のためだけに存在できる

人は本来そうであるべき

 

虐待なんてされてたとはとても思えないと言われる

 

子供にとって自分が生きるためには親が必要だし、

どんな親であっても本能で親を慕い愛されたいと願うし、

必死に父のご機嫌を取ろうとして勉強にも家事もこなしていた。

けれどいつも暴力と罵倒がいつ降りかかるか分からない日々の中で、

安心して眠ることもできない長い長い日々

 

そんな子供が伸び伸びと才能や何かを発揮することができるだろうか?

出来るわけがない、人は愛情というエネルギー源が無ければ何事も成し遂げることはできない

だから何をやってもやろうとしても、仕事にいってもまともな人間関係を築くこともできず、委縮していびつになった精神で行くものだから、周りになじめず仕事も続かない。

 

だから自分はだめだと、ダメな人間なんだと思っていた。

そう思わされてたんだ

そのために色んな神経症にもなったり精神を病んでいた、

というか今でも病んでいるといえばそうかも

 

今思えばだけれど、その症状がどうして起こっているのかわからなかったし、父におびえるあまり、色んな神経症が起こっていたことをさらに父に咎められ叱られていたので、今思えば理不尽の上の理不尽だったのに。

 

子供だった私はただ、ただ自分が悪いのだと思って、毎日、どうやったら楽に死ねるか?という思いで生きていた。

自ら命を絶つことのできる人は本当に勇気がある人だと尊敬さえもしていた。

 

生きることが地獄、体験したことのない人にはわからないかもしれないけれど、守ってくれるはずの親が虐待する、今も事件は起こり続けているし、きっと世界中のどこかでは今もおびえて暮らしている子供がいると思うと悲しくて本当にこの世界の闇を思う。

こんな人間を生み出す、この世界はおかしいんだよ

 

と、思いだしはここまでにして、、夢の話に戻ると

 

レストランで私の席が小さなお皿のところなんだと思って、私は意外にも少し安心して明るい気持ちでそこに座ればいいんだな?と思って眺めていたところ、、、後方から弟が入ってきた。

 

弟は父が亡くなったときに涙一つ流さず、フンと少し投げやりなかんじで

「やっとくたばったか」と言ってた

弟も自分の行きたい方向が許されず、父のいう医者になることだけを強要されてきた恨みと怒りでいっぱいだったから

少しでも成績が下がると父にスリッパでバンバン叩かれていたのを今でも胸の痛みとともに記憶している。

自分が叩かれるより大事な弟が傷つけられることのほうがつらかった

 

私はそれでも父が亡くなったときは泣いたんだけど

弟は気分が晴れたというかんじだった

 

でもいまだに夢の中には冷酷で恐ろしい悪魔のような父が出てきて苦しむ

死んでも私は苦しまされるのか?って、いい加減にしてくれって思う

亡くなって何年も経つのに、まだ父の亡霊に悩まされるのかって、、

書いても書いても、父への怒りと恨みは消えないんだなぁって、思う

今は父がいないので怒りを感じることができるけれど、

それが夢の中では恐怖にまだ父に蹴落とされる

あまりに理不尽じゃないか?って、、もういい加減にしてくれよって

 

おそらくは子供のころの私がまだ私の中にいて、消化されてなく、怯えているんだろう

 

レストランにやってきた弟は、少し離れた席に座っていた。

少しうれしそうだったけれど、

こんなことでは自分は懐柔されない!簡単には(父を)許さないぞという雰囲気が漂っていた。

 

私らよりも、数メートル離れた席にいるのは

それが弟が彼の気持ちを代弁していたのだろう

 

父には絶対に寄り添いたくはないのだ

でも、ファミリーレストランには来たんだ

 

 

私の皿は父の隣にあった。

 

これから食事をしようとしていた。

私の気持ちは暖かくて安心していた。

 

さぁこれから食事をしようかな、、ってところで目が覚めた。

すると涙が流れていた

 

ファミリーレストランだから、家族が来る、来れるところだから

そんなところで一度も私らは一緒に食事をしたことは無かった。

 

だけど、自分の中でなんとか折り合いをつけようとしたのだろうか?

安心できるところで家族?(弟と父、私の3人で)

家族??なんだろうか??家族って何なんだろうか??

 

でも、安心して一緒に食事ができる気持ちがそこにあったことに涙が出た。

私が欲しかったのは、そんな何でもないことだったんだと思って

 

子供のころに果たせなかった、父の生前、一度もなかった。

ただ安心して食事をする。家族でレストランに行って食事をするって。

 

それだけだったのになぁって思って

子供のころの私に

 

回答は無く、ただ涙が流れて、なつかしい弟も思いだした

 

近々、田舎に帰省して弟と一緒に食事をしたいなぁと思っている。