妄説荒行と自傷行為は紙一重、とまでは言わないものの、その境界は曖昧なのではないかと、ふと思った。 とくに仏教の燃指供養や焼身供養といった捨身行や、キリスト教の苦行としての鞭打ちには、自傷的意識から行なわれたものも少なかったのではないか? これは極論だけれども、たまにはこういう視点から宗教行為を考えてみるのも必要なんじゃないかと思う。 当然のことながら、写真と文章は関係ありません。 苦行する猫ではありませんので、念のため。