こんにちは
むぅです!

愛知県では
昨日やっと桜が開花した🌸
春が来た〜って感じで嬉しい~

さて本題は
【看護師目線からみた安楽死について】です

この間、ふとYouTubeを見ていて
スイスで安楽死を選ぶ人の動画が流れてきた

安楽死を選んだ女性の表情は
すごく穏やかで
とても幸せそうに見えた



それを見ていて

色んなことを考え思い出した


まず私が看護師として経験した死についてのお話




病院で看護師として働いている時

たくさんの人の最期を看取ってきた


だからこそ

医療職じゃない人に比べると

【死】に対しての価値観が

少し違っているかもしれないと思う


看護師1年目の時、病院で

患者さんが亡くなるのを見た時

正直びっくりした


亡くなる前、人間は下顎呼吸といって

苦しそうな呼吸になりながら死んでいく


こんな風に死んでいくんだ、、そう思った

なんだか怖いなぁとも思ってしまった


亡くなる瞬間は遺族も立ち会うかもしれないけど

病院の看護師は24時間付き添っていて

亡くなるまでの経過をみていく

(亡くなった後、葬儀屋さんにいくまでに

体拭きやお化粧をするのも看護師の仕事)



色々と思い出すと

家族や本人が望む場所

望むタイミングで死を迎えた人は

中々居なかった


先が長くないので

「全部治療をやめて家に帰りたいです」


そういう患者も居たけれど

点滴を終了しても

すぐに帰れるかと行ったら違う


そして

点滴を終了したからといって

すぐに亡くなるかはわからない

人間の体だから個人差がある


家族側は家でみたいけど

「こんな状態で帰っていいのか不安です」

「オムツ交換どうしたらいいですか?」

「ベッドは電動のものがいですか?」とか


オムツ交換指導、おしもの洗い方の指導

携帯酸素ボンベの指導、

体のポジショニング指導など

色んな指導や家の環境を整えたり

患者さんによって色々と準備がある


「訪問看護があるからいいじゃない」

そういう人もいるかもしれない


だけど、訪問看護も単位数が決まっているわけで

もちろん訪問看護師が居ない時間は

家族が介護する必要がある


病院でやっていた介護を

いきなり家族がやるのも負担が大きいなと思う


これまで患者さんの

【もう死にたい】

【長くいきたくない】

【もうこんな治療したくない】

【辛い】【痛い】

【家に帰りたいけど迷惑かけるから】


こんな言葉を

病院で働いていた6年間で

数え切れないほど聞いてきた


話せる状態であれば

意思がわかるけれど

話せない状態の患者もいる


口から食べれなくなると

水分や栄養を入れるため

点滴を継続したり

胃瘻(胃に穴が空いていてそこから栄養を入れる)を

行う人もいる


痛い、辛いと言えない患者さん達も

オムツ交換や

体位変換(体の向きを変える)や

吸痰(痰や唾液を吸引する)をしたりすると

眉間にシワがよったり

体がぐっと緊張したり

手で払いのけられたりと


嫌だ!というのが伝わってくる


正直なところ

そんな姿を見ながら看護していると


早く死にたいって言ってるのに

いつまでこの治療をやるんだろう


こんなボロボロの手に

また点滴の針を入れ直すなんて可哀想

(血管が脆くなり手の甲や足の甲でしか

針をいれられなくなって内出血の痕がある人も多くいた)


こんな医療してて

患者さん達にとって幸せなの?

もう良くない?


患者さんが苦しそうにしているのを見ていると

胸が痛くなって

こんなことを思いながら看護してた


看護師1年目の時は

患者さんが亡くなった時

悲しかったけど


患者さんの側にいる時間が長くなると

患者さんが亡くなった時

遺族はもちろん悲しんでいるけど

私はほっとしていたとこもあった


医療者として

 病気のことを勉強している分

その先の経過が分かってしまう


例えば心不全や腎不全の患者さんの場合は

体がパンパンに浮腫んでしまい

肺に水がたまってしまって呼吸が

苦しくなるだろうなとか..



患者さんの側にずっと居たからそこ

患者さんが亡くなっても

【楽になってよかった

今まで本当に頑張りましたね】

そんな気持ちだつた



1人1人の死に向き合う時間が

長くあるといいけれど

急性期病院で働いてたのもあり

亡くなりそうな患者さんに

ずっと付き添うことも出来なかった


亡くなりそうな患者さんの傍ら

他の病室の患者さん達から

鳴り止まないナースコール



泣きたい気持ちはあっても

他の患者さんもいるから

ぐっと堪えて仕事していたことを思い出した


亡くなって遺族が悲しんでいても

救急外来には入院が必要な患者さんが

次々に救急車で運ばれてくる


亡くなった患者さんが

葬儀場に行ったあとの個室部屋に

入院させてほしいと外来から電話がかかってくる


まだ遺体が病室にあるのに


私の頭の中は

【 葬儀屋さんのお迎えが終わったら

入院患者さんを受けないとだから

葬儀屋さんのお迎えの時間が早く決まるといいな】


【葬儀屋さんがお迎えに来たら

部屋を掃除しないとだな

○○さんの点滴交換にいかなゃ

○○さんの痰を吸引しにいかなきゃ


常に多重課題って感じだった


多重課題のなかにいると

亡くなっている人がいても

そんな風に思う自分が

なんだか人として怖くなった




日本は自殺する人が

どんどん増えている現状で


日本の自殺した理由の半分が

【健康問題】とデータが出ている


要するに

亡くなる方法選べないから

自殺するしかなくなっている人が多いということ


自殺以外で死に方を選べない人が多くいると思うと

死ぬ方法を選べないのは

幸せじゃない気がする


自分の最後がどうありたいか

決めれる医療があると

自殺する人が少なくなると思う


もし私が病気で辛かったら

自分自身で死ぬ時は

どうゆう場所で

どんなタイミングで

どんな方法で死ぬか選べたら

本当に幸せだと思う


それが許されない日本の医療が現実


世界のなかでは

戦争をしている国もあって

生きたいとおもっている人が

なんの罪もなく死んでしまう国もある


だから自殺以外の死ぬ方法を

選べる医療があってほしいと思う私は

贅沢なのかもしれない


でも結局、

自分で自分の命をたってしまう人が多いのは

それもそれで不幸な国だと思う


人はみんな

幸せになる権利があるとかいうけど

本当に言葉だけだと思ったりする


その人にとっての

幸せが叶う

日本であってほしい


安楽死が許される日本になるには

かなり時間がかかりそうだけど...。



暗い話になってしまったもしれないけど


リアルなことを書くと

思いが多すぎて

長文になってしまった


穏やかに

最期を迎えれる日本になりますように...


おわり