私はパートですが、アパレルのshopで働いています。

もう4年半・・・早いなあ!少しは成長したのかなああせる


子どもが小さいうちはめいっぱい一緒にいたかったので、専業主婦。

やんちゃな子ども達に毎日振り回され、たまには一人になりたい~~ショック!とか思ってたけど、

一生懸命ママやって、今振り返ればいい思い出だ。


下の子が小学校に上がり家計の足しのためにもそろそろ社会復帰・・・

と思っていたときに今の店のオープニングスタッフ募集の広告を目にし、応募。

家からチャリで5分という近さ、なかなかの時給に惹かれた恋の矢


実は最初、面接で落とされている。

当然ながらそこで働く気満々だったので、今後の参考にと思い、意を決して電話で理由を聞いてみることにした。


すると、昼間の主婦枠が既に埋まっていただけなのに、そんなに熱意のある人なら是非雇え~との本部からの指示で採用が決まってしまった。


私の世間知らずに向こうの有り難い勘違いだったけど、きっとこういうのはタイミングで、意欲は伝わるってことかしら~チョキ


社員教育はかなり厳しく求められる基準が高いので、バイトでも覚えなきゃいけないことが山ほどある。

私にだけではないが、そんな言い方しなくても・・・というくらい日々の言い方がだいぶきついのでしょぼんそれで消えてく人もけっこういる。


それでも続けてこれたのは、何より近くて便利なのと、あれだけ言われてもめげずにやってきたのにという意地もある。


自分が子どもに怒るのと同じで、やっぱり怒られるのには自分に改めなきゃいけない理由があるわけで、誰も好きで怒るわけではないよな~と家に帰って反省する。


接客が好きなのもこの職種を選んだ理由音譜


いつも笑顔で「ありがとうございます」というのが仕事。

家でどんなことがあっても、店では笑顔でいなきゃいけない。


無理やりでも笑顔をつくろうとする、そのことに助けられることもある。


1秒も気を抜くなといつも時間に追われる、思うように振られた作業がはかどらなかったりミスをして凹む、

クレーム対応で嫌な思いをすることもある・・・ダウン


まあいろいろあっても 「明日があるさ」アップ


たまには褒められたり、お客様に「ありがとう」と言われることはやっぱり嬉しいし、達成感の得られる日もある。


明日もがんばろうニコニコ

 前回、父のことを書いたので、今度は不公平にならないよう母のことも少し書きます。


 母に感謝してることのひとつ・・・食いしん坊に育ててくれたこと音譜


うちは裕福ではないけど母は食にこだわる人で、子どものころは好き嫌いやお残しが許されず、

母を怒らせると相当恐いので姉と共同戦線張ったりしてました叫び


父が成人病になってからは今まで以上に栄養バランスやカロリー、薄味に気を遣っていました。

味の濃いものを好んでいると、素材の味も分からず味覚も鈍くなり、体にもよくないと。


今と違って食が細く、給食はいつも最後までかかっていた私達姉妹は、

おかげでゲテモノ以外は好き嫌いなく健康に育ち、よそで御馳走になるときにも困らず・・・

美味しそうに食べるってやっぱり喜ばれますよね合格


「出されたものは頂きなさい」

拒否せず受け入れればいつか平気に、逆に美味しく感じるときもきます。

嫌なことは避けて通るようになってほしくないので、いま私も子どもたちに同じことを言います。


口から入るもので体はつくられるので、育ち盛りの子をもつ母の使命と思っています。

私の料理のモットーは、「安くて簡単でお家にあるもので美味しい料理!」ニコニコ


「もったいない」「いただきます」「ごちそうさま」・・・これらは食育の美しい日本語です。

いのちを頂くことに、作ってくれた人に感謝すること。


食べることは生きること、自分を大事にすること。食べる人の笑顔のために作ること。

これからも私の子どもたちがこの食いしん坊精神を受け継いでくれたらいいなと思います。アップ



 ちなみにこれは・・・一昨日のお昼ごはん
こめちゃんのブログ

ラタトゥユ(夏野菜のトマト煮)添えオムライス
→作りすぎた残りで

 実家の父は私が高3のときに心臓病で亡くなりました。


父は仕事人間でほとんど家におらず、めったに見かけることもないくらい。

家庭人としては決して良い父でも夫でもなかったと思う。

 でも仕事をする父を私は人としては尊敬していました。


 勉強家で、私利私欲のない人で、脱サラして事務所を興し、その後

命に関わる病気を抱えながらも最後のときまで責任感をもって現場に立っていました。

 父の葬儀には、親戚が驚くほど仕事関係の弔問があり、

50歳になったばかりのその早すぎる死が惜しまれました。


 私はあまりのショックのせいか当時のあたりは記憶が真っ白です。

受験は無事合格したけど、何年もその喪失感はどうしても拭いきれなかった。


 大人になったら美味いもん食わせてやる、飲みに連れてってやるという約束、守ってほしかった。

子どもが生まれて、孫に会わせてあげたかった。かわいがってほしかった。


 接待や付き合いと称し、人付き合いよく陽気に飲み歩いていたカラオケ好きな父、梅田の東通りあたりに今も出没してたりするのでしょうか・・・


 パパ、生きてるときはあまり優しくできなくてごめんなさい。

それから、いつまでも心配かけてごめんなさい。


 亡くなる前、私の簡単な料理ですごく喜んでくれて嬉しかった。

娘としてもっと、いろいろしてあげたかった。

 娘は可愛いと、よその人には言ってくれてて嬉しかった。



 会うことはできないので、天国に感謝の気持ちだけ送ります。


         パパ、ありがとう。ブーケ1