日常からデッドゾーンへの入口
●本書は、「竹の間掲示板」というところで温められた、約5年間の草稿の集大成です。
竹の間掲示板では、家族問題、時事問題、文化問題、精神世界問題と、かなり広範囲の
話題を取り上げて、いろいろな雑記をしましたが、本書では、その中から「悟り」という
ものを中心にして、それに「直接または間接的に関係する文章」だけを、抽出しました。
私は、本書を編集するにあたり、「切り口をどこにするか」ということを検討しました。
タイトルは「悟りなき悟り」なのであるから一般の人たちを視野に入れず、ストレートに、
いわゆる「求道者」向けの文言だけを並べてたてて「本題」に入るべきか、それとも、
一般的な社会問題や「日常の中」にある切り口から開始して、「悟り」を語ってゆくかです。
●何ヶ月かの考察の結果、私は、後者を選択しました。というのも、悟りというものは、
何も僧侶や、寺や、ごく一部の宗教や瞑想の中で扱われるほど狭い問題ではないからです。
ただし、「狭くない」というのは、それが「一般化」しているという意味ではありません。
また、悟った人が、世の中にゴロゴロしているという意味でもありません。
その「旅」が困難であることには、何一つも変わりはありません。
ただし、そこに至る「旅」の入り口というのは、決して、瞑想とか、座禅を、「売り」に
している宗教や、寺や、カルト教団や、そうした教義や本の中にあるのではなく、
ごく日常的に、私たちの感じる「現実世界」に対する「違和感」の中にあるのです。
つまり悟りへの、本当にリアルな「入り口」は、経典ではなく日常の中にあるということ
です。その「出口」の事は別問題となりますが、本書では「出口」についても語ります。
「悟りへの出口」のことは、さておいて、「旅」の「入口」となるのは、皆さんのごくごく
個人的な「世界に対する違和感」なのですから、宗教の助けなど何ひとつもありません。
実際には、その旅のプロセスでも、出口でも、一切の宗教教義など、必要ないのです。
●そこで、まず、「第一の切り口」として、社会問題となっている「虐待」や「ひきこもり」
「アダルトチルドレン」「現代人の脳疲労」といった問題の「原点」から始めましょう。
この問題は、結局は、座禅や瞑想をするためには、「前段階の基礎工事」が必要であり、
そのために、私たちは、自分の中にある余計な情報を捨てたり、または拒絶する必要が
あるという意味において、最終的には、「一人きりになる時間を持ちなさい」、神経を休息
させるために、「まず、情報の量を減らしなさい」という事を、述べているものです。
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