「多重介護の始まりは母から」

私の介護の始まりはまーちゃんからですが

その時は介護をして居るとは思って居なかったのです。

ただ初めての子供のまーちゃんが「脳性麻痺」と言う病気だった

事に親としてどうして良いか分からなくておたおたして居る内に

まーちゃんとパパさんのお陰でなんとか乗り越えて来て居ました。

父方の伯母が隣で一人暮らしをして居りましたので

介護が必要となり仕事をしながら母が一人で見て居ました。

手が足りない時には私も少しだけまーちゃんを抱いて参加した事は

有りましたがこれも今、考えて見ると介護では無かったと思います。

平成3年1月下旬、老人施設にて老衰で亡くなってから

母の言動や体調が可笑しくなり、病院を出たり入ったりする様になり

なにもかも私一人で判断し行動を起こさないと介護が出来なくなって

パパさんに嘆いてばかり、そればかりかお金の問題でも衝突する様になって

小学生~中学生位になって居たまーちゃんにはその当時は

時にはおむつも取り換えて貰えない過激な家庭だったと思います。

そんな事が3~4年間続きとうとう大変な事が起きたのです。

16年前のある日、母がいくら呼んでも起きないのです・・・。

薬を間違えて飲んでしまったのです。それも睡眠薬を・・・・。

なぜそうなったかと言うと、母は和裁の先生をして居たのでプライドが高く

何事も自分でしなくては気が済まない人でしたから娘なんて

何も出来ないと思って居た様な人でした。

もちろん薬の管理なんて私にはさせてくれなかったし、

病院の先生とも話をさせてくれなかったのです。

その時、私は母の介護で疲れてぼろぼろ状態で福祉事務所に

駆け込んでその当時、出来たばかりの訪問介護センターを

紹介されてそのまま事務所に伺いました。

訪問介護センターの所長さんのMさんに優しく「大変でしたね。」

と言われてその場に泣き崩れた事を覚えて居ます。

それまでだれも私がして居た介護の事を認めた方は居なかったのです。

パパさんも若かったし、介護の理解が出来なかったし、仕事が忙しくてね・・・。

それでもまーちゃんの事をしっかり見て下さいましたから感謝して居ます。

そこからその所長さんのMさんに家に来て頂いて薬の管理の事をして頂いた上

ヘルパーさんなどをまーちゃんに入れる様に助言をして頂いたりと

沢山の事を教えて頂きそこから今の介護「自分の出来ない事は専門家に

そしてその専門家と共に楽しむ介護をする事」

を目指す様になるのです。(この当時は介護保険、支援費は御座いませんでした。)

今でこそヘルパーさんたちにも愛想が良いパパさんですが

その当時、一番の難題はパパさんでした。

その当時は家には人を「入れたくない」としか言わない人でしたからね。

「介護は一人では絶対出ないしする物ではないと私は思います。」

パパさんは看護師さんやヘルパーたちにお金が沢山掛ってしまい

持っているお金が減るのが心配だった様なのです。

いつまで続くか分からない介護でしたから・・・・・仕方なかったのです。

それから何年か経って父も母も行って亡くなってから

仕事場でなにか聞いて来たらしく「加歩は凄い事をして居るのだね。」

と褒めてくれた事が一番嬉しかったですよ。

実は忙しすぎて覚えて居ない事の方が多いのです。

加歩自身もヘルパーさんや看護師さんたちが入ってから1年後には

子宮の病気で入院、手術を致しましたのでヘルパーさんや看護師さん

が居て相談相手をして下さった事がとても良かったと思って居ります。

その当時、私が病院に入る為に行ったまーちゃんや母、

父の施設などへの手回しなどの事は又の機会に載せたいと思います。

その当時は、忙しくて覚えて居ない事が多く苦痛を伴いますので

今日はこの位で書きおさめと致します。