一度脱サラしてもうかれこれ27年たつ。

33の時だ。

僕は、そのころもSEで通信系や金融系のソフトウェアを開発していた。

仕事はそれなりに充実していたが結婚で悩んでいた。

今でこそソフトウエアというものが認知され、

最近ではITを使って莫大な富を築いている者もいる。

しかし、僕が悩んでいた頃は、重厚長大な産業が絶頂期の頃で

コンピューターと言えばハードウエアを指し、

ソフトウエアはまだ格下の存在だった。

バブル景気が萎み、Microsoft Windows 95が登場したころ、

ソフトウエアというものがクローズアップされていったと記憶する。

ただ、そんなことも察知できず、会社をやめ映画産業に飛び込んだのである。

コンピュータのソフトウェアを作るより、映画製作の方に魅力を感じたのである。

会社は、12月で辞め、撮影所の仕事は4月からだった。

空いた1月から3月も装飾美術の会社のアルバイトで燃えていた。

(3か月などあっと過ぎ、いよいよ撮影所の仕事だ。バンザイ!)

しかし、勤めはじめた撮影所の映画会社が倒産。なんと。

もう僕の人生お先真っ暗。ここはどこ、私は誰という感じだった。

そもそも脱サラした時、結婚の出逢いを求めていたのに

今や結婚どころか生きるために必死である。(涙)

CMの仕事は倒産の後もあったのでとりあえず続けた。

私の仕事はスタジオマンと言ってADのような仕事であった。

2年は、映画を作りたいという夢を追いかけた。

スタジオマンをやりながら、芸能のレッスンを受けた。

スタジオマンの他にエキストラをやりながらチャンスが掴めないかと祈るよな気持ちだった。

しかし、生活が苦しくなり、時間だけが過ぎるだけで哀れだった。

結局、コンピュータの仕事に戻った。好きなだけでは駄目なこともある。

そういえばスタジオマン仲間にのび太くんに似た友人がいたのだ今どうしているだろう。

彼はシナリオライターの卵だったのですが、故郷名古屋に帰ってしまった。

僕も地元で再就職すれば良かったかな。

昨今、コロナ禍後をどう生きるかが話題になっていると思う。

リモートで仕事ができれば東京でなくともいいいわけである。

今、不況なので本業とは違うアルバイトをしている。

アルバイト仲間の1人は、下の子どもが大学卒業したら、

東京の家を売り払って故郷で暮らそうと考えているらしい。

もしあなたもコロナ禍の後の余生は故郷でとお考えなら、とりあえず、

現在お住まいの家の価値を査定してもらってはいかがだろうか。
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