今年の連休は
神社、お寺、霊山へと出向き

沢山の癒しを頂いて来ました🌿✨




ここ最近は何だか心が晴れず

悲しいニュースからも
ネットからも離れていたのですが

大好きな寺社や山の神様の所へ行けば
何かが分かるかも知れない

そんな思いで出かけて来ました。




志賀海神社


私にとって
他の崇敬神社とはまた違う意味を持つ
故郷のような神社。


『龍の都』

本当に素敵な響き…


参拝のあとは島を一周するのが毎回のお決まりで

潮風に当たって、ぼんやりと海を眺める時間は至福のひとときです✨




羅漢寺


麓からの石段を登った先にある仁王門。

この門が境界とは思わずに
何気なく潜ったのですが…

まるで巨大なジェルの塊に押されるような
何とも形容し難い圧に
押し潰されそうになりました。

それほど空気が濃密に違うのです。


そして
ここから先は参拝者も修行僧と同じ立場

『自分自身の五感で羅漢寺を感じ
 静かに手を合わせて下さい』

と記されていました。

写真撮影も禁止でしたので
ここから下の4枚の写真は、観光協会等のホームページよりお借りしています。

羅漢山の断崖絶壁に立つ羅漢寺

実際に行ってみると、その迫力は写真以上でした。

標高210メートルの本堂境内から見下ろす景色も素晴らしかったです。

 

 

 

 

石仏の数は3700体にも及び

その仏様の中から自分に似ているものを探し
悩みを取り除いて頂くのだそう。

私は、戦火で亡くなった魂と
今も尚、戦火の中にいる人々への祈りを捧げて来ました。



古羅漢(飛来峰)


羅漢寺の手前にある岩山

左上部の空洞の箇所は天人橋と呼ばれ
そこまで徒歩で行くことが出来ました。


それほど険しくもない
整えられた道を登って行くのですが


幅の狭い急な階段もあるため
膝などを悪くされている方は、登るのが厳しいかも知れません。


緑に癒やされながら
あっと言う間に天人橋まで到達。


狭い木組みの隙間を抜けて


空を見上げると


太陽がすぐそこにあるような錯覚に…✨


空洞から見下ろした町。



周囲の山々にも神仏は居られるのかも知れないなぁ…

なんて思いながら
この美しい景気を堪能しました✨


こちらの岩壁にも仏様がいらっしゃいましたが

撮影は憚られる様な気がして、近影は控えさせて頂きました。




井原山


漸く登山再開🌿


以前に登った雷山から縦走も出来る山🌿

霊山である脊振山系のひとつでもあります。


脊振山(せふりさん)の名前の由来は幾つかあるのですが

天竺から弁財天を乗せてきた龍が
山の上の空で背を振ったから

という説が私は好きです。

空を舞う美しい龍の姿を在々と想像してしまいます✨


この井原山の登山道は
ず〜っと沢の音が聞こえていて

清々しい気持ちで登ることが出来ました✨


葉っぱ越しの空🌿…


木漏れ日と水の音
野鳥の鳴き声



時折吹く風で
木々の葉がサワサワと揺れる音も心地良かったです…✨


精霊がいそうな森だな〜
なんて思いながら歩いていましたが…

やはり、、


いらっしゃいました、ここに…。

精霊が宿りたくなるほどの木は
群を抜いて、圧倒的な存在感でした…🌿✨


日に透ける紅葉


足元に咲く花チューリップ紫
何ていう花なのかな…


同じような景色でも

見上げるたびにその表情は少しずつ違って見えます🌿✨




新緑に彩りを添えるミツバツツジ


一気に空が開けて


山頂に到着です✨



空が広くて気持ちいい…✨


山の上まで来ると
頭と体が空っぽになります。


神仏に近づくって
こういうことだ…と再認識。。


自分の中の要らないものを
少しずつクリアにして

まっさらな自分に戻ろうとすること



まっさらな自分に戻れば
神様というものを感じられるようになる。

神様の住む山は
そんな不思議なことを体感させてくれます



辺春八幡宮


新緑のトンネルを潜り


異世界へと続くような石段を登って行きます🌿


やっぱり、ここの神様は優しい…


私たちのいる世界は

懸命に生きていても
どうにもならない現実があって


避けられない不幸も起きるし

他人を痛めつける事を厭わない人間によって
傷つけられることもある


だけど

神仏に近づくことで、その曇った心が少しずつ晴れてくる

そのことを魂が理解しているから

神仏のそばへ行きたい
と思うのだろうし

数千年の時を経ても
神仏は存在し続けるのでしょうね…


神仏の袂へ行き
神仏の優しさに触れることで

残酷で悲しい現実から目を背けることなく


弱くても強く…

穢れても清らかに…


そんな風に生きていこう
と思えるのでした…✨