「うう、寒い…」
「早く開けてくれないかな…」
1月、僕とサヤちゃんの目指す中学校の試験日。僕と同じ塾に来たサヤちゃんは、持ち前のコミュ力で塾友を増やし、成績もどんどん上げていった。追いつかれそうだったけれど、僕も負けじと頑張った。おかげで、塾内テストで1位を取ることもできた。
「たいちくんとサヤちゃんなら、きっと大丈夫!おちついて頑張っておいで!」
担任の先生にもそう勇気づけられて、僕とサヤちゃんはようやく開けられた中学校の中へ入る。まだ試験会場となる教室へは入れないので、控室となっている食堂でいったん待機。ここは高校生と共同で使っているようで、土足エリアだった。中学校内は土足禁止なので、受験生はみんな上履きが必要。サヤちゃんの荷物を見ると、さすがに上履きを持ってきているみたい。あれから塾では結局、一度も上履きを履いているところを見なかった。寒くなってきても、靴下だったり、タイツだったり、そのままで授業に参加していた。
「えっと、山梨県の農産物ランキングは…」
試験直前、難しいことはせず、暗記事項を確認していく。隣同士に座った僕とサヤちゃん。食堂はそんなに暖房が効いているわけでもなく、コートは着たままでちょうどいい。
「受験生の皆さん、それでは各教室へ移動してください」
試験開始の30分前、先生に連れられて僕たちはそれぞれの教室へ移動する。昇降口のところで、持ってきた洗いたての上履きに履き替えて、履いていたスニーカーは袋に入れて教室へ。今日のサヤちゃんはシックな黒のワンピースに黒タイツ、革靴に、暖かそうなコートを着ていた。寒さ対策のためマフラーもして、ツインテールがそのわきからぴょこんと出ているのがとてもかわいい。サヤちゃんと一緒にポストに出願書類を入れたおかげで、僕とサヤちゃんの受験番号はひとつ違いになっていた。そのため席も前後で並んで座ることができた。サヤちゃんが前で僕が後ろ。さすが私立の中学校とあって、広い廊下にも暖房が効いて、教室内はポッカポカだった。僕とサヤちゃんはコートを脱いで荷物と一緒に床に置く。机もまだ新しく、席同士はけっこうな空間が開いていた。そのため前後で並んで座ると、サヤちゃんの足元がよく見えた。緊張しているからか、姿勢正しく座って塾のテキストを見るサヤちゃん。今のところ、上履きを脱ぐそぶりは全くない。塾の先生は、
「いつもの通り、平常心でいくこと」
を何度も伝えてくれた。なので、昨日の夕ご飯も今日の朝ごはんもいつも通り、服装もかっちりせず、いつも通りで試験に臨む。これでサヤちゃんのシュープレイも見られたら、もっと落ち着くと思うのだけれど…。
時間が来て、担当の先生が3人入ってきた。不正防止かな、若い男の先生と、眼光鋭いおばさんの先生、やさしそうな若い女の先生。試験の説明はそのうち若い男の先生が担当していた。携帯電話の電源を切り、机の上は必要なものだけにする。カバンの口はしっかりとしめる。準備を進めるにつれて、さっきまで平常心だった気持ちがドキドキしだした。大丈夫、おちついて。この日のためにあれだけ勉強してきたんだから。
試験開始まであと10分、前のサヤちゃんを見てみると、途端に緊張のドキドキが収まってきた。さっきまでしっかりと履いていた上履きから、黒タイツのかかとが見えていた。両足ともかかとを出して、足先だけ上履きの中にいれている。外はとても寒かったけれど、教室内は先程から暖房がさらに強くなっているのか、ポカポカを通り越えて暑く感じ始めている。黒タイツで上履きを履いているとかなり暑いのだろう。いつもであればとっくに脱ぎ捨てて、足を机の棒においている頃だ。それをしないのはやはり試験会場でちょっと遠慮しているんだろう。やがて先生たちが手分けをして、一人一人に試験問題を配っていく。僕の列にも前の方から先生が問題を配っていき、サヤちゃんの近くに先生が来たとき、とっさに脱いでいた上履きに足をスポッと入れていた。けれど、試験開始までの数分ですぐにまたかかとがこんにちはしていた。
「はじめ」
短く緊張感のある声とともに、最初の教科である国語の試験が始まる。サヤちゃんのおかげで、緊張感はやわらいで順調に解き進めることができている。過去問で練習した通り、残り10分を残して最後の問題まで到達。見直しに入る。ちらっとサヤちゃんを見てみると、上履きから完全に足が離れてしまっていた。上履きは席の前の方に並べて脱ぎ置かれ、黒タイツの足は椅子の下で組まれている。足の裏が後ろの僕の席からばっちり見えている。肌色が透けるかかと、足先。蒸れるのか、床から浮いた方の足の指がもにもにと動く。床に置かれている方は、足指がグイッとなっていた。少し遅れてサヤちゃんもすべて解き終わったのか、椅子の下で組んでいた足を、床に両足ともペタッとつけた。そのままスライドさせて、黒タイツの足先で上履きをさーっと前方へ押しやってしまう。伸ばされた黒タイツの足。横の席だったら足先をもっと近くで見られたのにな。ほどなくして、国語の試験終了。鉛筆を置いて、解答用紙と問題用紙が回収されるのを待つ。サヤちゃんを見てみると、上履きは机の前方に置いたまま、椅子の下で再び足を組んで待っていた。回収が終わると、20分の休み時間に入る。サヤちゃんは黒タイツのまま席を立って机の前の方に行くと、上履きをそのまま履きなおしていた。どうやら足が届かなくなっていたらしい。気のせいか、頬がちょっと赤くなっている。
「お疲れさま!次は社会だね」
席に戻ったサヤちゃんが振り向いて話しかけてくれた。体は横を向いている。
「そうだね。国語のことは忘れて、社会に集中、だね」
「うん!テキスト見直ししとこうかな」
サヤちゃんは膝の上にテキストを開いて、まとめページを読んでいる。僕は自分の間違い直しノートの見直しをする。見直しを始めてすぐ、サヤちゃんはかかとを上履きから浮かせて、パカパカと脱いでしまった。黒タイツの足を上履きの上に乗せる。そしてそのまま見直しに集中していた。集中している時のクセなのか、足の指がくねくね、くねくねと動いている。ほどなくして先生がまた入ってくると、同じようにすべて片付けるように指示が出る。サヤちゃんは僕にがんばろうのウインクをとばして、上履きの上に足を置いたまま前を向いた。さっきのような失敗がないように、今度は足の裏に上履きを保持しておくようだった。
社会が終わって、算数、理科、と試験が続いていく。昼食前には終わるけれど、算数が終わった段階で時刻は12時近く。ちょっとおなかが空いてきた。お茶を飲んでのどを潤す。
「ちょっとトイレ行ってくるね!」
サヤちゃんはこそっとそう伝えて、ずっと脱いでいた上履きを履き、トイレに立つ。僕はさっきの時間で行っていたからこの時間は次の理科の見直しをして待つことにする。
サヤちゃんがトイレから戻ると、ほどなくして理科の問題が配られていった。再び足元は椅子の下で組まれて、床から浮いた方の上履きをパカパカとさせている。本当に不思議なことに、サヤちゃんのシュープレイを見ていると緊張は和らいで、テストにも集中できる気がした。始めの合図があって、名前を書く。するとすぐに、パコン、というかすかに乾いた音がした。ちらっと前を見ると、さっきまでパカパカさせていたサヤちゃんの上履きが床に落ちた音のようだった。落ちた位置が後ろだったせいか、履きなおそうとしても微妙に届かない位置にある。なんとか履きなおそうと黒タイツの足先を伸ばすけれど、逆にさらに後ろに行ってしまった。それから数分格闘していたけれど、諦めたのか、足の動きはぱったり止まった。片方は上履きを履いて、もう片方は黒タイツの足裏が見えている。その足を前に伸ばしたり、また後ろで組んだり。試験時間の真ん中あたりで、残ったもう片方の上履きも脱いで、そちらに両足をのせて問題を解き進めていた。足指がもにもに、もにもに、と動いていた。
「はい、そこまで。筆記用具を置きなさい」
先生の声が響いて、一斉にペンを置く。はーとかふーといった、弛緩の声があちこちから漏れていた。
「おわったねー」
少しいすを引いて、届かなかった上履きを履きながら、サヤちゃんがつぶやいた。
「うん、やっとおわったよ」
「よーし、きょうは思いっきりねる!」
先生から今後の予定について話があり、解散。ほかの教室も終わったのか、わいわいと受験生たちが廊下に出てきた。
「たいちくん、私たちも帰ろっか!」
「うん、そうだね」
席を立つサヤちゃん。するとその場で上履きを脱ぐと、革靴を取り出した袋に入れてしまった。黒タイツのままで教室の床に立つ。
「え、上履き片付けちゃうの?」
ここは校舎の2階。昇降口まで結構な距離を歩くことになるけれど…。
「うん、なんか混雑しそうだし!出口でわたわたしちゃうから、今のうちに準備しとこうかなーって!」
「そう、なんだ」
「あ、ちょっとすいたかも!いこっ」
そう言って黒タイツのままパタパタと廊下に出るサヤちゃん。みんな上履きを履いて移動する中、一人だけ履いていないサヤちゃん。ドキドキ。
昇降口はサヤちゃんの予想通り、靴の脱ぎ履きで結構な混雑具合だった。なんとかサヤちゃんとはぐれることなく、上履きをしまってスニーカーを履く。横にいるサヤちゃんは、段差をそのまま下りて、出口のところで革靴を履いていた。
「あ、お母さん!」
校門をくぐると、サヤちゃんのお母さんが待っていた。その隣には僕のお母さんもいる。塾の保護者会などを通して、お母さんたちも連絡先を交換していたらしい。
「どうだった?」
「うん、がんばったよ!」
ファッションリーダーのサヤちゃんは大人っぽいところがあるけれど、お母さんの前では普通の小学6年生だ。とても安心したように、お母さんにぎゅっと抱き付いていた。
「おつかれさま。どうだった?」
「うん、全力は出せたと思う」
サヤちゃんのおかげで、という言葉はのみこんで、僕とサヤちゃんはそのまま一緒にご飯を食べることになった。なんでも好きなものをということで、サヤちゃんの大好物、オムライスを食べることにする。サヤちゃんらしいなと、思った。
「あ、たいちくん、おはよ!」
サクラの花が舞う、家から最寄りの駅のホーム。ちょっとぶかぶかな制服に身を包んだ僕に向かって手を振る女の子。男子はそうでもないけれど、女子はとてもかわいいとウワサの制服に身を包んでいる。硬くて足が痛むのか、脱いでいたローファーに、白ソックスを履いた足を入れて、カバンを肩にかけてこちらに駆け寄る。胸ポケットには僕と同じ学校の校章。
「改めて、中学校でもよろしくね!」
髪をショートにした彼女は、これでもかというくらいに制服が似合って、これでもかというくらいに、かわいかった。
おわり