「あ、たいちくんだーおはよう!」
朝の昇降口、僕が上履きに履き替えていると、横から声をかけられた。サヤちゃんだった。
「おはよう。今日も決まってるね」
「えへへー。この前動画であげたやつだよ!」
「金曜日のコーデだったっけ?」
「そうそう!さすがたいちくん、ちゃんと観てくれてて、嬉しいな」
サヤちゃんは本当に嬉しそうな表情で、履いていたスニーカーを脱いだ。確かブランドは、コンバースだったかな。スニーカーから出てきたのは、白色の、いわゆるフットカバーだった。甲の部分は素足がのぞいているけれど、足の指と足裏はカバーされているソックス。スニーカーからは靴下が見えなかったから、もしかしてと思ったけれど、じれったいものを見つけちゃったのかな…。
そのまま上履きに足を入れるサヤちゃん。ぱっと見は素足履きだけれど、よくよく見ると白いフットカバーのフチがチラッと見えている。素足履きに見えるけれど素足じゃない。うう、すごく、じれったい。けれど、素足かなという期待をしていて、後で素足じゃないのが判明してガッカリするよりはショックは小さかったかな…。
「どうしたの、たいちくん?元気ない?」
上履きのかかとに指を入れて整えながら、サヤちゃんが聞く。
「あ、ううん、元気だよ!元気!」
僕はガッカリを悟られないように気をつけながら教室に向かう。季節はすっかり夏で、みんなもうすぐやってくる夏休みを楽しみにしていた。僕は塾の夏期講習があるからあまり変わらないんだけれど…。
「おはようサヤちゃん!」
「おはよう!あ、それ前にあたしが着てたやつじゃない!」
「うん、同じの見つけたから買っちゃった!」
今日もサヤちゃんはクラスのファッションリーダーで、教室に入ると自然と周りに人が集まってくる。7月に入ってまた席替えをして、僕とサヤちゃんはいちばん後ろで隣同士になっていた。横を向くと、すぐそこにサヤちゃんがいる。しかもサヤちゃんは廊下側の端っこで僕がその隣だから、話しかけられる頻度が増えていた。
今日も暑くて、けれどプールの授業はない日だった。教室にはエアコンがついているけれど、家ほどガンガン効いているわけではない。じっとしていても、服の下にじんわりと汗をかきはじめていた。
1時間目の国語の授業では、そんな暑さのせいか、早くもサヤちゃんの足元に動きがあった。始まりのあいさつではフットカバーを身につけた足をきっちり上履きに入れていたが、授業が始まって5分後、椅子の下で足を揃えたかと思うと、パカパカと両足のかかとを上履きから浮かせた。そして上履きのかかとを床につけると、ぐいっと一気に足から離す。上履きが床に倒れるときの、パカン、というやや大きめの音が、隣の僕の席まで届いてきた。周りのみんなはそんな音が聞こえていないようで、先生の話を静かに聞いている。僕はというと、サヤちゃんのシュープレイが気になって仕方がない。横目でちらちらと、サヤちゃんの足下を伺う。脱ぎ置かれた上履きは、机の下で横向きに倒れて、サヤちゃんのフットカバーを履いた足は、机の前の棒に置かれている。解放感からか、足指がぐねぐねと盛んに動いていた。
1時間目の授業が終わっても、サヤちゃんは上履きを履き直すことはなく、足は横の棒に置いたまま、友達とおしゃべりをしていた。2時間目は算数で、今日は円の面積を勉強する。公式はすぐに覚えられるんだけれど、3.14を掛けなければいけないので計算がとても大変だ。みんながその計算に苦戦する中、サヤちゃんを見てみると、足は椅子の下で組んで、上履きはいつのまにか横の方に並べて寄せられていた。自分でそこに移したのか、並んで待機しているみたいだ。そこではっとしたのは、右足のフットカバーがかかとの方から脱げて、だらんと床の方に垂れ下がっていたからだ。足をあちこち動かしていたせいで脱げてしまったのだろうか。赤くほてったかかとがかわいらしい。サヤちゃんはそんな状況に気付いているのかいないのか、がんばって計算をしているようだった。しばらくしてようやく答えが出たのか、再び足を前に伸ばした。そこで違和感に気づいたのか、右足を曲げて、手でフットカバーをかかとに引っ掛けていた。白いフットカバーの足裏は、直接床を歩いたわけではないけれど、やはりうっすら灰色に汚れているように見えた。
3、4時間目は図工室に移動して、ここ1ヶ月くらい続けている版画作りの続きをする。すでにデザインは終わって、木に写しがきも終わっている人が多く、彫刻刀を使ってその線の通りに彫るところをやっている。隣に座ったサヤちゃんも同じように彫刻刀で彫る作業に入っていた。
ここでも初めはしっかりと上履きを履いていたサヤちゃんだったけれど、不意に上履きからフットカバーのかかとが見えると、かぽかぽと両足ともに脱いでしまった。脱いだ上履きの上に足を置き、作業を続けるサヤちゃん。机の上ではガシガシと彫刻刀で削ると同時に、机の下ではモニモニと足の指が動いている。やがて、イスの上に正座をして、前屈みになりながら、彫り始めた。小柄なサヤちゃんなので、普通に座ったままではちょっと彫りづらかったのだろう。僕もちょっと後ろのほうに姿勢を変えると、サヤちゃんのフットカバーの足裏が見えた。薄い灰色の汚れがばっちり見えている。フチの部分が痒いのか、時折手の指を挟んだり、カキカキしたりしていた。
連続での図工なので、休み時間も図工室でそのまま過ごす。サヤちゃんは正座をしていて足が疲れたのか、ぐいっと伸ばしてリラックスしている。床には後で掃除するものの多くの木屑が落ちていて、サヤちゃんはフットカバーを履いた足でそれを集めたり散らしたりしていた。横に脱ぎ置かれた上履きを見ると、その中にも多くの木屑が入っていた。
「はい、そろそろ時間なので、キリのいいところで手を止めて、片付けを始めてください!4班の人は掃除を!」
先生の合図で、みんなはそれぞれ片付けを始める。木屑をそのままに帰るわけにはいかないので、授業ごとに交代で掃除をすることになっている。今日の担当は僕たち4班だった。サヤちゃんは正座していた足を下ろすと、上履きにそのまま突っ込もうとして、違和感に気づきまた足を出す。
「あはは、見てみて、いっぱい木が入ってる!」
サヤちゃんはフットカバーのまま床に立つと、上履きの中を見せてくれた。こまめに洗っているのか、金曜になってもあまり汚れていない上履き。その中にこんもりと木屑が詰まっていた。サヤちゃんはそれをざーっと床に落とすと、また手を使って上履きを履き、箒をとりに向かった。
給食と昼休みを挟んで、5時間目と6時間目は再び教室での授業だった。日が高く、教室の中も暑くなってくる。額から汗が落ちてきた。
隣のサヤちゃんは、先生の板書をしっかりノートにとっていた。昭和の日本の歴史で、出来事が多く覚えるのが大変そうだ。足元はというと、給食から昼休みの間ずっと脱いでいた上履きを履くことなく、足は机の棒に置いていた。上履きは午前中と同じように、机の横に置いてある。そしてフットカバーの両足のかかと部分が脱げてだらんとなっていることに気づいた。サヤちゃん本人は気づいているのかどうか、イスの下で足を組んでも脱げたまま放置されている。そして再び足が前の棒に置かれるとき、ついにフットカバーが脱げてしまった。しかも両方。ようやく見えたサヤちゃんの素足の指先。暑さからの解放感なのか、ぐねぐねと動いている。これはあれかな、脱げた、というより、あえて放置して、自分から脱いだ…?
「ではここ、復習ですが何というでしょう?」
先生の問いかけに、わかる人は手を上げる。サヤちゃんも元気に手を挙げていた。先生がサヤちゃんを当てる。するとサヤちゃんは裸足のまま立ち上がると、はきはきと答えを言う。
「はい、正解です!」
「やった!」
嬉しそうなサヤちゃんは再び席に着くと、足を机の前にぐっと伸ばした。足の指が盛んにくねくね動いている。
休み時間になると、サヤちゃんは机の横に置いていた上履きに素足をそのまま突っ込むと、友達と一緒に教室を出ていった。どうやらトイレらしい。脱げたフットカバーは、いまだに机の下に丸まって落ちている。教室に戻ってきたサヤちゃんは、座った途端に上履きをカポカポと脱いでしまった。そして素足をこれまで同様に机の前に伸ばす。今日のサヤちゃんも、素晴らしいシュープレーヤーだ。
帰りの会が終わり、放課となる。サヤちゃんはそれまで脱いでいた上履きに素足を入れ、かかとまで手を使ってしっかり履くと、立ち上がってランドセルを背負う。そしてまだ席に着いて片づけをしていた僕に声をかけてくれた。
「それじゃ、また来週ね、たいちくん、バイバイ」
「あ、うん、ばいばい」
指摘しようか迷っているうちに、サヤちゃんは友達と教室を出ていってしまった。僕の視線の先には、サヤちゃんの席の下に残された、丸まったフットカバー。床の色と同化して見えなかったのか、履いていたことを忘れていたのか、サヤちゃんはそれを残して帰ってしまった。すごく気になるけれど、これを拾って届けるのはなんか気が引けて、多方面に申し訳ないなと思いながら僕も教室を後にした。
靴箱につくと、おしゃべりしながらゆっくり歩いていたサヤちゃんたちのグループに追いついた。今日、ほかの子は何かしらの靴下を履いていて、今素足なのはサヤちゃんだけだった。サヤちゃんは靴箱からスニーカーを取り出し、床に静かに置くと、上履きを脱いで素足をそのまま突っ込んだ。入れるときに一瞬動きを止めた気がしたけれど、それは気のせいかな。表情も、何かに気づいたような顔をしていたけれど…。ほかの子たちはサヤちゃんが素足のままなことに気づいていない様子で、それぞれ靴を履き替えると、また一緒におしゃべりしながら帰っていった。サヤちゃんはフットカバーを履き忘れたことに気づいたのかな…。気づいていて素足のままスニーカーを履いたのかな。それともフットカバーを履いてたことを忘れちゃったのかな…?本当のところはわからないけれど、土日の間ずっと放置されているであろうサヤちゃんの忘れ物のことが少しばかり気がかりだった。
つづく