♪ポロン
夏休みが近づいた、7月の週末。自分の部屋で宿題を終えた私は、部屋に置かれた本の整理をしていた。小説やマンガなど、ちゃんと数えたことはないけれど、200冊以上はあるかと思う。本棚の本をある程度出して、また順番などを変えて、本棚にしまっていると、机で充電中の私のスマホが鳴った。誰かからメッセージが届いたらしい。見ると、相手は東戸さんではないか。普段メッセージを送るのはいつも私からだったので意外に思いつつスマホを開く。
『西野さん、今から時間ある??ちょっと頼みがあって!』
頼みって一体なんだろう。面倒な頼みは嫌だな…。
『どうしたの?頼みって?』
『学校に、宿題の問題集を忘れちゃって!明日から遠出して取りにいけないから、一緒に今から行ってもらえないかな?暗くなってきて、1人じゃちょっと…』
なるほど、そういうことか。時計を見ると、すでに7時を過ぎていた。まだ空はそんなに暗くないけれど、今から学校に行っていたら、到着する頃には暗くなっているだろう。
『今から?!うーん、どうしよう』
行けないことはないけれど、夜の学校って私も怖い…。躊躇っているとさらに東戸さんから、
『お願い!後日お礼はしますので!!』
お願いのスタンプと共に返事がきた。週末に出された宿題といえば、数学の問題集10ページ分だろう。さっき私もやっていたけれど、とても1時間やそこらで終わる量ではない。多分遠出して帰ってくるのは日曜の夜のはずなので、そこからやり始めるのはきついだろう。今のうちに取りに行くしかない。東戸さんのためにも、協力するか。どうやらお礼ももらえるらしいし。
『わかったよ。今から準備するから、校門前で待ち合わせね!』
『ありがとう!!!!』
深々とお礼するスタンプが送られてくるのを見て、私はさっき脱いでハンガーにかけていた制服に再び身を包む。部活着は、部活をやっていないので持っておらず、私服で学校に行くのも先生にあったら悪いかなと思い、無難な制服に決めた。日中履いていた靴下も脱いで洗濯籠の中だったため、さすがに靴下はいいかなと思った私は、制服姿に素足のまま、夏用のサンダルに足を通し、お母さんに行き先を告げて家を出た。きっと東戸さんも素足で来てくれるだろう。今日も一日、朝から素足だったし。そんなことを思いつつ、学校へ軽い足取りで進んだ。
校門前に着くと、まだそこに東戸さんの姿はなく、ついさっき部活が終わって生徒が誰もいない学校内はしーんと鎮まり返っていた。まだ先生が残っているようで、職員室や事務室のある辺りは電気が付いている。5分ほど、スマホを見ながら、かかとのないつっかけタイプのサンダルから素足を抜き差しして待っていると、パタパタという特有の音が近づいてきた。暗くなった学校前の道を、髪をフリフリしながら女の子が1人走ってきていた。期待していた通り、制服姿に、素足、スニーカー。日中と同じ格好の東戸さんだった。
「ごめんね!着替えてたら遅くなっちゃって!」
「ううん、私もさっき着いたとこだから!じゃあ、入ろうか!」
「まだ開いてるよね…?早く取って帰ろう…!」
私と東戸さんは校舎の端っこへ周り、昇降口へ。そこから校内へ通じる扉は、まだ鍵が開いていた。私と東戸さんはその扉の前でサンダルとスニーカーをそれぞれ脱ぐと、当たり前のように裸足のままで校内へ足を踏み入れた。私は靴箱に上履きを置いたままだったけれど、東戸さんが裸足のままなので私もそれについていくことにした。東戸さんを見ていて、以前から裸足で歩きたいなとは思っていたが、普通の学校生活では他の人の目があってできないでいたのだ。誰もいないこの瞬間を、私は待っていた。
ひんやりとした硬い感覚を素足の裏に感じつつ、廊下をペタペタと歩く私たち。階段を上り、自分たちの教室を目指す。砂や埃のざらざらとした感触が、一歩足を踏み出すごとに伝わってくる。靴を履くまでに足の裏はきっと汚れてしまうだろう。
「・・・まだ全部電気が点いてるね、よかったよ・・・」
東戸さんが、気持ち私の方に身を寄せてくるのを感じていた。確か、去年は文化祭のお化け屋敷にわくわくしながら入っていったような記憶があるけれど・・・。
「東戸さん、もしかして、怖い?」
「えっ!?う、うん、ちょっと・・・」
そういいながら、私の制服の袖をつかむ東戸さん。その仕草が何ともかわいい。かなり距離が近づいて、東戸さんの素足が私の素足に触れるようになった。暖かくて柔らかな、東戸さんの素足。
「でも、お化け屋敷は怖くないんだよね?」
「あ、あれは作り物だから!・・・でも、本物が出たら怖いよ・・・」
「大丈夫だよ!」
ふるふると震える東戸さんを励ましつつ、校舎3階の教室へ。ペタペタと裸足で廊下を歩く音がやけに大きく響く。ドアに手をかけると、ガラガラとかなり大きな音が響いた。みんながいるときはそんなに気にならいのに、不思議だ。
「東戸さん、着いたよ、ほら、机の中にあるんだっけ?」
教室の中はフローリング。廊下よりも柔らかな感触を足の裏に感じながら、教室前方の電気を点ける。外は夕方を過ぎて、夜になろうとしていた。
「う、うん、えーっと・・・あ、あった」
自分の机をごそごそと探して、問題集を取り出す東戸さん。
「よかった!じゃあ帰ろうか!」
教室の電気を消して、出ようとしたとき、急に誰かの声が聞こえた。
「誰かいるのかー?」
「きゃああああああ」
「あ、東戸さん!」
途端に、教室を飛び出す東戸さん。ペタペタと足音を立てて、階段を下りていく。振り返ると、担任の先生が驚いた表情で立っていた。
「あ、えっと、君は、西野さん・・・?」
「あ、はい、そうです!すみません、忘れ物を取りに来てて・・・」
「急に自分のクラスの教室に電気が点いたものだからびっくりしてね。そう言うことだったのか。今度からは、一言僕に言ってから入るんだよ」
先生はやや緊張した表情で言った。2年生になって初めての担任の先生だけれど、あまり1対1で話したことはなかった。国語担当の、おじさんの先生だ。
「わかりました!」
「それより、彼女は大丈夫かな?走っていってしまったけれど・・・」
すでに階下へ行ってしまったのか、足音や叫び声は聞こえなくなっていた。
「そうだ、追いかけなきゃ!先生だったって言っときますね!」
「よろしくね。すぐに帰るんだよ!もう施錠の時間だから!」
「はい!」
私は先生のもとを離れて、裸足の足をペタペタと鳴らし、階段を下りた。今になって、先生に裸足の姿を見られたことを意識して、頬が熱くなっているのを感じる。先生、裸足については何も言わなかったけれど、きっと気づいていたよね・・・?
1階に来ても、東戸さんの姿はなかった。入ってきた昇降口に行くと、脱いでいた東戸さんの靴はまだそこにあった。まだ学校の中なのかな・・・?とりあえず校舎内に引き返し、1階の教室内を見て回ることにする。昇降口に近い方から中を調べていくが、東戸さんの気配はなし。真ん中あたりまで来たときには、ずっと固い床を裸足で歩いていたせいか、足の裏が痛くなってきた。靴を履かずに裸足で歩くのは家の中くらいだったので、まだ慣れていないらしい。一日中裸足で過ごしたこともある東戸さんはやっぱり裸足になれているんだなと感心してしまう。1階の3年4組の教室に入って、一休み。また誰かに見られるとまずいので、電気は点けずにいた。いすに座って足の裏を見てみると、予想通り、床についていた部分は、ホコリや砂で真っ黒になっていた。以前の私ならこれに嫌悪感を抱くはずだけれど、今はなんとなく興奮してしまう自分がいる。鼓動が早くなって、頬がまた熱くなる。一度廊下に出て、人の気配がないのを確認すると、私は床にそのままペタンと座り、足の裏を見せる姿勢をとった。ポケットからスマホを取り出し、カメラを起動。そして、パシャリ。再びこんなに真っ黒な足裏に出会うのはいつになるかわからないので、記念に取っておくことにした。スマホを見てみると、数分前に東戸さんからメッセージが届いていた。
『ごめんね、急に逃げちゃって!学ローの前にいるよ!』
「学ロー」とは、「学校の近くにあるコンビニ、ロー〇ン」のことである。先輩たちからその呼び名は代々受け継がれており、私の中学校の生徒たちご用達の店である。先生がご褒美にいろいろ買ってくれる店でもある。正門から3分ほど歩いたところにある。東戸さんはそこまで逃げていたのか。怖がりだなあ。
『わかった!いまから向かうね!』
私は教室を出ると、昇降口へ。そこに置いてある2足の履物を見て疑問が浮かんだ。東戸さんにもう一つメッセージを送る。
『もしかして東戸さん、いま裸足?』
すぐに既読が付いて、写真とともに返事が来た。
『うん、あわてすぎて、裸足のまま出てきちゃった・・・』
同時に送られてきたのは、制服姿に、裸足でコンビニの前に立つ東戸さんの、上から足元を撮った写真。内またになって、恥ずかしそうに足の指を重ねている。足同士を重ねていたせいか、足の甲にも黒っぽい汚れが付いている。私の思っていた通り、靴を履かずに裸足のまま、学ローまで走っていってしまったらしい。コンビニの前に立つ、不思議な裸足の女子中学生の姿を思い浮かべて、私はまたドキドキしてきた。けれど、そう長く東戸さんに恥ずかしい思いをさせている場合ではない。急がなければ。送られてきた、東戸さんの裸足画像を保存すると、私は真っ黒な素足の裏を軽く手ではたき、そのままサンダルに足を通し、東戸さんのスニーカーを手に持って昇降口を出た。パタパタをサンダルを鳴らして校門を過ぎ、学ローへの歩道を走る。来た方向とは逆だけれど、なんで東戸さんはそっちに曲がったんだろう?
2分くらい走ると、暗闇の中に煌々と光るコンビニが見えた。その店の前に、さっき想像した、制服に裸足の女子中学生が立って・・・いなかった。
「あれ・・・?」
まさかと思って、コンビニに入ってみると、雑誌コーナーの前に、その中学生は立っていた。裸足の足をペタンと床につけて、今週発売のコミック雑誌を立ち読みしている。
「東戸さん・・・?」
「あ、西野さん!」
肩をちょんちょんとすると、東戸さんは笑顔を私に向けた。
「まさか中に入ってるなんて思わなかったよ」
「外で何もせずに待つの退屈でねー、最近出たこれ、読んでたんだー」
「・・・裸足なのに・・・?」
「あ、えへへ・・・店員さんに変な顔されちゃったよ」
そりゃそうだよーと思いながら、
「はい、東戸さん、靴」
そう言ってスニーカーを差し出すと、
「わあ、ありがとう!・・・でも、足、けっこう汚れちゃって・・・。拭いてもらっていい??」
膝をまげて、足の裏を見せる東戸さん。後を通るお兄さんが驚いた表情で通り過ぎていく。歩道やコンビニを歩いたせいで、私の足以上に、黒く汚れがこびりついていた。
「すごいね・・・でもここじゃ拭けないし、どうしよう」
「あ、じゃあ裏の公園に行こうよ!まだ電気ついてるはず!」
裏の公園は、春に私たちがお花見をしたところ。そこなら水道もあるし、ベンチもあるし大丈夫だろう。
「おっけ!」
何も買わないのも悪いので、私と東戸さんはそれぞれペットボトルの飲み物を買って、コンビニを後にした。東戸さんはコンビニの前でさっそく、左手にスニーカーを下げてオレンジジュースを飲んでいた。入っていく人が、足元にちらと視線を向けて怪訝そうな表情を向けていく。
「あ、あったよ水道!ここで洗っちゃったほうが早い気がする」
コンビニの駐車場を抜けて、土の地面を歩いていくと、公園に入る。人気がなくなったのを見て、私もサンダルを脱いで東戸さんと一緒に裸足で歩くことにした。すでに学校の汚れがついていたし、私も足を洗っていくつもりだった。ひんやり、ふんわりした土の感触は気持ちいい。
「よかった!ひゃ、冷たい!」
右足、左足と差し出された足をごしごしと洗う東戸さん。私は近くのベンチに座って、タオルを準備していた。
「はい、東戸さん、座って足出して―」
東戸さんをベンチに座らせて、右足から拭いていく。
「ひゃうっ、くふふうー」
くすぐったそうに足をくねくね動かす東戸さん。相変わらずだけれど、やっぱりかわいい。これを期待して来たのもあって、いろいろあったけれどすべてがどうでもよくなった。
「はい、きれいになったよー」
「ありがとう!じゃあ次は、西野さんのばんね!」
「あ、やっぱり・・・?」
学校の汚れに加え、さっき歩いたときに着いた土の汚れも重なって、なかなか洗い流すのは大変だった。少しだけもったいないなと思いつつも、手を使ってごしごしと汚れを落としてしまうと、私のタオルを持って、かかとを踏んで素足でスニーカーを履いた東戸さんが待っていた。
「はい、じゃあふきまーす!」
「はーい、きゃは、ちょ、くすぐったいよー」
とても優しく、さわさわと足の裏を拭く東戸さん。最初は我慢していたけれど、耐えられなくなって足をピーンと伸ばしてしまった。
「わあ、あぶないなあ。我慢だよー、がまん」
「もっとごしごしってしていいから!」
そうして両足ともに拭き終わると、サンダルをつっかけてベンチを立つ。
「ふう、じゃあ家に帰ろうか!」
「うん!・・・えへへ、なんか楽しかったねー」
「東戸さんが走っていったときはびっくりしたよ!」
「だって、急に誰かきたから・・・」
いろいろ話をしていると、あっという間にいつもの交差点に差し掛かる。
「じゃあね、東戸さん、また来週!」
「うん、今日はありがとう!」
東戸さんを見送って家に着くと、ちょうどお風呂が沸いていた。汗をかいていたので、制服は洗濯に回し、お風呂に入る。足の裏を触ってみると、ふにふに。さっき拭いていた東戸さんの足の裏は、これより硬かったように思う。感触は、ふに、というより、もち、かな。やっぱり、裸足で過ごすことが多いとあんなふうにもちってするのかな。
お風呂から上がると、充電していたスマホにまたメッセージが届いていた。相手は再び、東戸さん。
『宿題、学校に落としてきちゃったみたい!どうしよう!?』
ご愁傷様です・・・。
つづく