翌日、東戸さんのことが気になっていた僕は、少し早めに登校した。その日は天気予報通り雨が降っていた。かなりの土砂降りだったので結構被害を受けた人も多く、教室に着くと、途中で濡れてしまったのか、廊下から一番近い席の女子が、ちょうど靴下を履き替えているところだった。履いていた靴下を脱ぎ、足をタオルで拭いている。気にはなったけれど、ずっと見るのも気が引けて、すぐに自分の席に着く。東戸さんはまだ来ていないのか、机の上には上履きが昨日の状態で並んだままだった。
「あ、小田くん、おはよー」
荷物を片付けて、ランドセルを後ろの棚に置いていると、聞き覚えのある柔らかい声が、タンタンという足音とともに聞こえてきた。まさか・・・と思いながら顔を上げると、まず見えたのは、東戸さんの真っ白できれいな素足。上履きも靴下も、なにも履いていない裸足。それから顔を上げると、雨でぬれたのか、髪からしずくを落とす東戸さんがいた。
「あ、おはよう・・・。なんでそんなに濡れてるの・・・?」
「いやー、風がすごくってさー、傘の意味があんまりなかったよー」
ハンカチをもって、髪や制服の肩を拭く東戸さん。この様子だと、制服もかなり濡れてしまっているらしい。
「そうなんだ・・・。風邪ひきそう。タオル持ってる?」
「持ってるけど・・・ふえ、ふえっくしゅ」
「だ、だいじょうぶ??」
「うー、制服もびしょびしょ・・・へっくしゅ」
「体操服に着替える?もってる?」
顔を赤くして、なおもくしゃみを続ける東戸さん。保護者のような気分になって、ほっとくわけにもいかず、たまたま僕の持っていたタオルで髪を拭いてあげる。ごしごし。
「今日体育ないから、体操服もってない・・・」
「あちゃー、あ、じゃあ・・・」
言いかけて、ちょっと考えた。僕は今日お母さんから、濡れたときのためにと、体操服を持たされていた。僕は無事に濡れずに済んだのでこれを使う機会はなかったけれど、男子の体操服なんて女子に貸してもいいんだろうか。嫌がられたりしないかな・・・。
「んー、なにー?」
なおもタオルでごしごしと頭を拭かれる東戸さん。シャンプーのいい香りがあたりを包み込む。白くて薄い制服からは、東戸さんのアンダーウェアが透けて見えている。あまりにもかわいそうになって、僕は意を決して提案することにした。
「ぼ、僕の体操服、着る・・・?今日持ってきたやつだから、きれいだと思うんだけど・・・」
「え、いいの!?」
タオルの間から、うれしそうな表情を見せる東戸さん。かわいい。
「まってて、えっと・・・」
後の棚から体操服を取り出し、手渡すと、
「ありがとう!着替えてくるね!」
そう言って、裸足のままパタパタと教室を出ていった。朝の会まではもうすぐで、クラスメイトがかなり集まりだしている。みんな雨に濡れたのか、教室中にじっとりした空気が漂っている。女子の中には、素足になっていたり、今まさに靴下を履き替えようとしている人がいたりして、自分の席に座っていても、目のやり場に困ってしまう。
「おまたせ!小田くんの体操服、ぴったりだったよー」
担任の先生が入ってくるのと同じくらいに、東戸さんが戻ってきた。『小田』の名前が入った体操服に身を包んだ東戸さんを見ると、途端に恥ずかしくなってくる。当の本人は、教室の窓についている、転落防止用(?)の金属棒に丁寧に制服を広げて干すと、自分の席に座り、とてもうれしそうな表情で、
「えへへ・・・、制服濡れてたから、あったかいなあ。ありがとうね、小田くんっ」
「う、ううん、役に立ってよかった」
そんな東戸さんと、恥ずかしくって目線を合わせられなくなり、つい下を向いてしまう。あいかわらず、裸足のままの足元。視線に気が付いたのか、
「あ・・・、靴下、履いてたんだけど、上履きなかったから脱いできたんだ。長靴だったから、靴下は濡れなかったんだけどねー」
頬を染めてそうつぶやく東戸さん。照れているのかな。その後、机の上の上履きは無事乾いていたのか、安心したような残念そうな表情で、それを床に置いた。履くのかなと思ったけれど、朝の会が終わって、1時間目の授業が始まっても、上履きは履くことはなく、素足を机の棒の上に置いたままだった。その日は移動教室も少なく、午前中の授業が終わり、給食の時間。校舎1階の給食室まで、東戸さんとペアになって取りに行く。『小田』の字がプリントされた体操服はエプロンのおかげで隠れるけれど、体操服に裸足なのは相変わらず東戸さんだけだった。自然な感じになっていたけれど、廊下に出てきた東戸さんは、上履きすら履いていなかった。
「あれ、東戸さん、上履きは!?」
あわてて聞くと、
「今日雨だから、上履きはあんまり・・・。裸足のままいくよー」
また少し頬を染めて答えると、そのまま歩き出す東戸さん。雨の日は、東戸さんにとって裸足の日なのだろうか・・・?
その日の献立はご飯だった。パンより少し重い容器をもって教室へ行き、一人一人の器に入れていく。全員分を配り終わり、エプロンをとっている時、
「ふにゃ!?」
東戸さんが声を上げた。
「どうしたの!?」
「ごはんつぶ、ふんじゃった・・・」
そう言って右足をまげて足裏を見る。朝からずっと裸足で過ごしてきたせいか、東戸さんの足の裏は床についていた部分は砂やホコリで真っ黒。土踏まずなどは元の肌色が残っている。その指の間に、ご飯つぶがいくつか挟まっていた。足の指がもにもにと動くとともに、ごはんつぶももにもに。
「お、小田くん、とって・・・」
「ええ!?」
自分で取ればいいのでは・・・と思ったが、目をつむって何かに耐えている東戸さんを見るとそれも言いづらく、まだクラスがざわざわしているうちに一気にやってしまおうと思って、
「じゃ、じゃあとるよ・・・」
「うん・・・!」
そう断っておいて、人差し指と親指で、東戸さんの足裏にくっついたそれをとる。真っ黒な足の裏が、目の前に。妙にドキドキして、指先が震える。
「ひゃん!」
ごはんつぶをとるときに触れてしまったのか、再び東戸さんが声を上げる。ほかの人に変なことをしているように聞こえてしまわないか心配だ。
「と、とれたよ、東戸さん」
「あ、ありがとう・・・」
ごはんつぶはティッシュに包んでゴミ箱へ。その後は何事もなかったかのように、給食を食べて昼休み。雨が降っているので、グラウンドで遊ぶわけにはいかず、男子は体育館が開いているといううわさを聞きつけ、体育館へ、女子は教室に残って女子トークやトランプをしたりして遊んでいる。僕はというと、返す予定だった本を持って、図書室へ向かっていた。図書室へ着くと、入り口のところに見覚えのある後ろ姿が。体操服姿で裸足の女の子。
「あれ、東戸さん、どうしたの?」
「あ、小田くん・・・。図書室入ろうとしたんだけど、これどうしようかなって思って・・・」
そう言って、右足をまげて足の裏を見せてくれる東戸さん。みると、床についていた土踏まず以外の部分は砂やホコリで真っ黒になっていた。見ているだけなのに、女の子の足裏って妙にドキドキしてしまう。足の裏を見られるのって、東戸さん的にどうなんだろう??
「こんなに汚れちゃってるから、このまま入るのはだめかなあって思って・・・」
「そうだね、・・・ちょっと待ってて!」
そう言って、僕は近くのトイレに入ると、掃除用具入れを探す。偶然、まだ新品の雑巾を見つけて、湿らせて東戸さんのもとへ戻る。
「東戸さん、あったよ、雑巾だけど、まだきれいだったから」
「わあ、ありがとう!」
雑巾を受け取ると、東戸さんは壁に手をついて、右足、左足と雑巾で汚れをふき取っていった。ごしごしと拭いている間は何かに必死で耐えているような表情をしていたけれど、なんでだろう・・・?やがて両足とも拭き終わる。まだ少し灰色っぽさはあるけれど、拭く前と比べるとだいぶんましにはなったかな。
「よし、これで大丈夫かな?ありがとね、小田くん」
「いえいえ!きれいになってよかったよ」
僕は逆に黒っぽくなった雑巾を片付けて、東戸さんと一緒に図書室へ入る。みんなが上履きを脱ぐところを、裸足の東戸さんはそのまま上がる。図書委員に何か言われないかと心配したが、無事に何も言われることなく通過できた。図書室では各自、本を探したり読んだりして時間を過ごし、昼休みが終わるころ、また一緒に図書室を出る。みんなが上履きを履くところを、東戸さんは裸足のまま降りる。そしてそのまま、ペタペタと廊下へ。
「小田くんって、どんな本読んでるの?」
教室への帰り道、渡り廊下を通っているところで東戸さんが聞く。僕は手に持っていた文庫本の表紙を見せる。
「これ、最近よく読んでる作家さんの本なんだ。」
「あ、その人知ってる!ドラマの原作の人だよね」
「うん、そうそう!」
それからドラマの話などしながら、自分たちの教室がある階へ着く。東戸さんはトイレ掃除の担当なので、途中で分かれることに。トイレへ入っていった東戸さんだけれど、すぐにペタペタと出てきてしまった。
「えへへ・・・、やっぱりトイレは裸足のままじゃだめだよね・・・!」
恥ずかしそうにそう言って、東戸さんは教室へ入ると、上履きを素足のまま履いて戻ってきた。
帰りの会が終わると、クラスメイトたちはそれぞれ教室を後にする。女子の中には、今朝の雨で素足で上履きを履いていた子もいたけれど、多くが帰るまでに靴下を履いたり、履き替えたりしていた。東戸さんはというと、結局最後まで靴下は履かず、上履きもほとんどの時間を脱いで過ごしていた。掃除の時間はちゃんと履いていた上履きも、5時間目の授業が始まるとともに脱ぎ捨ててしまった。
「小田くん、今日は体操服、ありがとうね!明日、洗って返すよー」
「ううん、助けになってよかったよ。制服は乾いた?」
東戸さんは膨らんだ体操服入れを見せる。そこに制服が入っているようだ。
「うん、一日干してたから何とか乾いた!」
「よかった。・・・体操服のまま帰るの?」
「うん、着替えるの面倒だなって思ってねー」
「それ、いいのかなあ」
「うん、先生に聞いたら、今日だけはOKだって!」
「あ、じゃあよかった・・・」
僕的には制服で帰ってほしかった気がする・・・。僕の名前が付いた体操服で東戸さんが帰るのを考えると、かなり恥ずかしい・・・。
「それじゃあ、一緒に、靴箱まで行こうよ!」
ランドセルを背負って、掃除の時間から帰ってきてすぐさま脱いで、それから一度も履かれることもなく、机の下に散らかっていた上履きを素足のまま履くと、東戸さんが言う。西岡さんは用事があるとかで、先に帰ってしまったらしい。
「え、いいけど・・・」
僕も立ち上がって帰ろうとすると、
「いこいこ!」
東戸さんが手をつかむ。僕は恥ずかしくなって、でもどうしようもなくて、そのまま教室から連れられていった。
手を引かれたまま靴箱について、先にスニーカーに履き替えていると、東戸さんは上履きを脱いで素足になって、靴箱から紺色の、星がちりばめられた長靴を取り出し、素足のまま足を突っ込んだ。素足だと履きづらいのか、靴箱の下に置かれたすのこに座り、手を使ってぐいぐいと足を押し込む。何とか両足ともに履きおわると、
「よし・・・、じゃあ行こうか!」
「えっと、東戸さん、靴下は・・・?」
今朝の話だとここで脱いだということだったけれど・・・?
「あ、・・・靴下、履いてきてないんだ・・・」
「え、どうして?」
純粋に聞くと、東戸さんは頬を赤く染めて、
「長靴は、素足で履くの、気持ちよくって・・・。それで、靴下履かずにいつも履いてるの・・・」
目線を逸らして手をもじもじしながらそう告げる東戸さん。長靴を、素足で・・・?かなり気持ち悪そうだけど、東戸さんにとってはそれが好きなんだ。
「そうなんだ、長靴、好きなんだね」
「変に思ったりしない・・・?引いてない・・・?」
「うん、ぜんぜん、そんなことないと思うよ。引いたリしないよ」
「よかった・・・」
東戸さんはそう言うと、安心した表情で傘を持って、外へ出た。今朝降っていた雨はすっかり上がっていた。
「雨、上がったね!」
かわいらしいピンク色の傘を後ろ手に持ち、笑顔を向ける東戸さん。
「今朝は土砂降りだったのにね」
お日様が顔を出し、まだ雲はあるけれど、その隙間からは青空がのぞいている。
「かえろ、小田くんっ!」
ギュッポ、ギュッポという、長靴特有の音を立てて歩き出す東戸さん。東戸さんの差し出す手を握って、僕も外へ出た。再び体操服に入った僕の名前を見て恥ずかしくなる。しかし、その上にある東戸さんの笑顔を見て、どうでもいいやって思ってしまう。日に日に強くなる日差し。夏が近づいているのを感じていた。
「東戸さん、すごくいいお話・・・!」
「うん、とても優しい男の子だったんだあ。次の席替えで離れちゃったんだけど、隣にいるときは毎日しゃべってたよー」
東戸さんの話を聞いて、私はキュンキュンしていた。素敵な男の子ではないか。東戸さんの無意識の距離のつめかたもかわいい。
「同じ中学校にはならなかったの?」
「確か、私立の中学校に行ったらしいよ、卒業式の時に聞いた気がする」
「そっかー、なんか残念だね・・・」
かなり長居したらしく、2時間くらい座っていた。さて帰ろうかと席を立つと、
「あ、まってー、西野さんー」
「はいはい、東戸さん、はやくー」
東戸さんはサンダルのストラップを留めるのに手こずっていた。カチャカチャやって何とか両足履きおわると、てててとやってくる。
「いくらだっけ?」
「えっとねー、東戸さんはねー」
「うそー、そんなに食べたっけ?!」
明日からまた学校が始まる。私服の東戸さんもかわいいけれど、制服の東戸さんも大好きだ。また東戸さんに会えるのをとても楽しみに、その日は別れたのだった。
つづく