79年前、日本は原子爆弾をアメリカに落とされて、敗戦となりました。

 

たくさんの人が死にました。

 

日本の軍隊は劣勢になってもメンツを重んじて、なかなか降伏しませんでした。

 

南洋の戦地のジャングルで、食料の支援を絶たれた兵隊は、飢えと病気で次々と死んでいきました。

 

大本営はそれでも「我軍は本日敵艦隊を○機、撃沈しました」と事実とは異なる虚偽報道を繰り返していました。

 

いよいよ戦果が怪しくなったときに、若者を戦闘機ごと敵艦隊に突撃させる「特攻」を始めました。

 

言い始めた上層部の軍人は、まず自分からその手本を見せるべきですが、戦地に赴いたこともなく、国内の建物の中で考え出してあとは若者にお国のために行ってこいと命令を下すだけでした。

 

多くの特攻兵は、日本はもう負けると気づいていたと思います。可哀そうに、本懐を遂げて首尾よく敵艦隊に体当たりできた戦闘機は13%程度だったと言います。多くは体当たり前に、撃ち落されて海に沈んでいきました。

 

本当に軍隊とはどうしようもない組織です。

 

口答えできない部下を殴って殴って、殴り倒して自分の不安定な精神を癒す上官。メンツを重んじ繰り返し報道される虚偽報告。

 

挙句に原子爆弾による被ばく。私の父親は16歳で長崎の爆心地から1.9Kmの所で被爆しました。その日学徒動員で市外で鉄砲の球を磨く訓練をしていたところ、指導官が昼頃に「市内に大きな爆弾が落とされたらしい、今日は解散すぐに帰宅しろ」と。

 

心臓が飛び出しそうなくらい、不安になって家に向かって走っている途中。たくさんの人が川に頭を突っ込んで死んでいました。

 

まだ息のある人のうめき声も聞こえてきます。

 

走って自宅にたどり着いた父が見たものは。朝、行ってらっしゃいと見送ってくれた母親と、小さな赤ちゃんを背負った妹たちの黒焦げになって転がっていた姿でした。

 

16歳でその経験をした父のその時の気持ちは想像が付きません。この世の地獄だったと思います。

 

これが戦争です。いつも犠牲になるのは、戦争を始めようなどと考えたことのない普通の人々です。

 

 人は人を殺してはいけません。若いタレントが「死んでください」と冗談でXに公開して、問題になっています。人が自分の意志とは逆に死んでいくことの悲惨さ、命の大切さを考えたことがないから言えるのでしょう。

 

「死ね」と言う言葉は口にしてはいけない言葉です。

 

人が人を殺していけないのは理由があります。

 

人が亡くなると、その家族、友人たちとも会えなくなるし、みんなが悲しむことになるし、生きていればたくさん経験できた喜びも経験できなくなってしまうからです。その時点で人生が終わってしまうからです。

 

人には他人の人生を終わらせる権利はありません。

 

もう二度と戦争をしてはいけません。近年、日本では戦争を嫌う人達が、若い層にも増えている気がします。それはとても良いことだと思います。

 

戦争は、それで莫大な利益を得ようとしている組織/人達が起こしています。宗教の違いや憎しみをうまく利用するのです。

 

その罠にはまらないように、賢明に冷静に注視、監視していくことが重要です。