いやな言葉ですね。

 

この年になると、自分より年上の方がしでかした迷惑行為に辟易することもあるし、はたまた息子たちから私自身が老害の指摘を受けることもある。

 

高齢者ゆえに、やらかしてしまう事件を老害というのだろうが、世の中を俯瞰すると若害のほうが圧倒的に多いと思うのだが。

 

自身にも言えることだが、年齢を重ねると羞恥心が後退してしまう。自分の思い通りに進まないと我慢できなくなってしまう。

これが老害の原因なのだろう。

 

さすれば老害事案減少への対策は、高齢者の羞恥心と忍耐強さの維持であろうか。

どうすればよいのか。手短かなのは社会に出て、組織の中で動くこと。周囲には若い異性もいるだろうし、複数の他人の目がある。

 

しかしながら今更社会に出る機会もないならどうすればよいか。

 

 自分の生活の中で、小型版の社会を作ることも手ではないか。

日常的に買い物をしているお店。店舗内には他人もたくさんいて、その中でルールを守る。場合により困っている人がいたら手を貸す。図書館など外部施設の利用時もそうだ。模範的な高齢者を目指す。

 

 人を思いやる行為は、老害の原因の対極にあるものだ。

 

「今日優しいオジさんがいて、助けてくれたの」

 

こういわれるべく行動する。こんなところかな。

 

 他にいいアイデアはないでしょうか。