北京オリンピック、スキージャンプで高梨沙羅選手が失格になってしまいました。
ジャンプスーツの規定に違反しているという理由でした。
いろいろな背景、要因が絡んでいるのかもしれませんし、そうでないのかもしれません。
かわいそうだったのは高梨選手です。責任を感じた彼女は涙を流して謝罪し続けました。結果は残念でしたが、なんだか釈然としません。
国民の期待を一身に背負って競技に臨んだ彼女。そしてこの結果。
何だか選手への過剰な期待が、ものすごい圧力になっているような気がします。
私が最近気になっている言葉があります。 「日の丸を背負って戦う」
この言葉を自ら積極的に口にして、それをモチベーションにできるアスリートには何も問題ないのでしょう。どんどん使っていいと思います。
そうでない選手たち。この重圧に負けそうな選手もいると思います。
選手はだれのために戦うのかを考えると、自分のために戦うのがあるべき姿だろうと考えるのです。少し広げて、自分そして指導者、直接の応援者たちのため。
お前が負けたら日の丸・国家の威信が低下するのだ、という無言の圧力は、かなり精神的に追い詰められるのではないかと想像されます。
結果、勝てれば万々歳でOKでしょうが、逆の結果になった場合は、涙と懺悔しか残らないと思います。
かつて、円谷幸吉というマラソン選手がいました。自衛官でした。その立場であれば、日の丸背負って、国のためにガンバレと当然周囲から言われていたと思います。
旧の東京オリンピックで3位に終わり、次のメキシコオリンピックで周囲の期待は相当膨らんでいたと思われます。
しかしながら、彼はメキシコオリンピック開催年の1月に頸動脈を切って自ら命を絶ちました。
スポーツに関する周辺環境が大きく変わった現在、そこまで追い込まれる選手はいないと思いますが、少し考えるべきところがあるのではないかと思います。