1999年21thシングルとしてリリースされた当時聴いた印象は、
まるで、あのアイズレーブラザーズを彷彿したメロウで大人の雰囲気に
久保田利伸の圧倒的才能に魅了された感じだった。
20年以上が経過しコロナ禍の今聴いてみるともっと奥深い別な解釈を感ずる。
イントロでいきなり-「さようなら昨日」-次のフレーズで-「聞こえはじめてるカーニバル」
当時感じた恋愛だけでなく、コロナ禍で全世界の人々が感じた絶望、努力の結果の舞台
(甲子園)オリンピック、諸々の競技大会等、直前で夢を絶たれた純粋な球児、エッセ
シャルワーカー、店が開店出来ない絶望等全ての矛盾に軽々にかける言葉も無いが、
久保田さんのこの曲の冒頭での歌詞「聞こえはじめてるカーニバル」のフレーズは
このコロナ禍での矛盾だらけの絶望と悔しさを糧に次のカーニバル〔大会〕へ向けて
のエールを歌ってくれている感じがするのである。絶望の深さ悔しさを糧にと。