ナポリ滞在2日目~ 

青の洞窟が見れるかどうかの情報収集、私たちが考えたのは ガイドブックに書いてある、青の洞窟のインフォメーションセンターらしきとこに朝一で電話して聞いてみて 見れるようなら カプリにわたり、ダメなようならポンペイ遺跡に行こうと計画しました。

で、朝ご飯を済ませ 8時半携帯、ハイまだ出ません、、9時も無理、、汗 やっぱイタリアごゆっくりです。

「エエ天気やし もう カプリに行こ!!」って○男さんは言いだし、取りあえずポートに向かいながら電話することに・・

電話 はよ繋がらないかな~ と言いながらこんな朝やけを右手にトコトコ、、

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


9時半携帯、、まだ出ない。。
となると もしカプリに行くとしてこの時点で 次の船で渡ると11時頃に島に着くことになる。。

でも 青の洞窟もカプリでの他のクルーズツアーも午前中のほうが綺麗だと聞いてたし この時間から出向くのはどうか・・と 話し合い~~ この日は青の洞窟を断念しポンペイへ行くことにしました。

このことを決めるのにも まぁ一悶着よーーしょぼん

私はこの2日のチャンスを貴重に 電話で情報が得れるならとせっかくやから ○子さん希望の青の洞窟を見せてあげたいと 必死でいろいろ考えてるのに、○男さんは「もぉ 一か八かカプリ行ってアカンかったらしゃぁないやん」って ずっと朝から言うてるし、

んもぉ~~ それもスケジュールとか話したこと聞いてるんか忘れてるんか 何回も説明せなアカンし・・にゃ たのんまっせ、○男さん。。

で、多数決でこの日はポンペイへ(笑) 

タクシーで中央駅まで行き ポンペイへは電車で行きますよ~~地下鉄

っと ここで注意注意事項、タクシーの運ちゃんにまたまたイタリアビジネスに引っかかるとこやった、、あせる

駅からどこに行くのか聞かれ、ポンペイに・・と言うと、「90ユーロで送迎してあげる」というのです。
私たちは電車で30分もあれば行けるって知ってたけど 両親にはタクシーの方が楽じゃないかとも思い 電車の料金を一応聞いてみたら「片道1人9ユーロ」という。。
んなばかな、、そんな高いか??と疑問。。
R君はこういうのにほんまに引っかかっちゃうタイプで、、「もし9ユーロかかるなら往復4人72ユーロタクシー駅まで往復20ユーロだから これで行こうか?」とも、、
私と両親はそんなはずない 電車はもっと安いと思うし、疑問いっぱい、、まぁイタリアで電車も経験してみたいと両親も言うので それは断り 電車で行くことに、、


で、駅で~切符買うと~~ 1人 2.4ユーロパンチ! バハハーー ウソっぱちもええとこやーー(笑)

やっぱ 騙されるとこやった、、汗  ナポリのタクシーはとりあえず信じてはならない、、としっかり学んだのでした。

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>
って、「タクシーで行かなくて良かったね~~」と 言いながら電車を待って、、
ちなみに駅で10時半ごろにインフォに電話しても繋がりませんでしたショック!

インフォメーション中央駅にはいくつかの電車改札があって、ポンペイ行きの電車は地下に入って ヴェスーヴィオ周遊鉄道 Circumvesviana 駅からソレント Sorrento 行きに乗り、ポンペイ・スカビ - ヴィッラ・デイ・ミステーリ Pompei Scavi - Villa dei Misteri 駅で下車すると そこから歩いて300mほどで左手に移籍の入口があります。 

通常1時間に2本あるほとんど各駅に停車するディレット Diretto (DIR) だと36分、1日に6本あるディレッティッシモ Direttisimo (DD) だと23分で着くよ。


実は この行き方のインフォとか遺跡の中のガイドもネットで調べて前もって印刷してたのに それを私 前の日寝る前読んでたら ごっそりホテルに忘れてきちゃってガーン
んもぉ 悲しいったらありゃしない、、ほんまオバカや私・・汗

だから 駅員さんとかに聞きもって改札探したから これから行く方の為にこのインフォ書いとくね。。
Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>
お喋りしてたらすぐ着いたーにひひ

ココがその駅でーす☆

インフォメーションポンペイ遺跡 
  入場料:大人 11ユーロ
  音声ガイド:英語、イタリア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語



Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


遺跡の入口を入ると、もうそこはこのビュー、、
思わず「おぉ~~」と 溜息。。

このポンペイと町はおよそ2000年前の街がそのまま残っている古代遺跡です。
この街はローマと同じくらい古い起原を持っています、

紀元79年8月24日、ヴェスヴィオ火山の大噴火は南麓の町ポンペイを火山礫と火山灰の下に埋もれさせましたが、噴火前の人口は1万とも2万ともいわれ、約2000人が犠牲になりました。

1700年もの間、地中に眠っていた古代都市の発掘が始まったのは18世紀半ばで、碁盤の目のような街路に神殿や浴場や住宅が甦り、居酒屋や劇場 パン屋など 当時の生活の様子が良くわかります。


この遺跡で見たことぜーんぶ詳しく書きたいとこですが 何日もかかっちゃいそうなんで はしょっていきますね。 それでも かなりの写真ありますんで 興味ある方は見てってね~~ニコニコ

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>

ポンペイの町の入口、マリーナ門。 マップ青★印 
Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>

2つのアーチのうち左側の小さな方が歩行者用、右の大きな方が海から魚や塩を運ぶ荷車用。

右写真は歩行者用の舗装、、








私たちが回ったところで これから書いて行くところを 遺跡内のマップに印を付けてみました。

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>

入って少し行くとドドーーンと、これがフォロと呼ばれる ポンペイの宗教、政治、経済活動の中心で、その広さは 38m x 157m で歩行者だけが入場を許される広場だったそう。。 マップ赤★印

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


ジュピターの神殿をバックに、、 ピンク★印

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>
この神殿、当時はこのような感じだったと 復元イラスト右矢印

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>

フォロの西隣の広場の入口には、このように 素晴らしいモザイクが状態良く掘り出されている、、












フォロを南から北へジュピター神殿を過ぎると左側がフォロの浴場 Terme del Foro がある。 水色★印 
Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>

ここはフォロを訪れる市外の人々のためのもので、規模は小さいがポンペイで最も洗練された浴場だ。


Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


フォロの浴場の角を右にヴィア・デッラ・フォルトゥナ Via della Fortuna へ折れるとすぐ左にファウノの家 Casa del Fauno の入り口がある。 マップ紫★印
ここはポンペイ一の豪邸でその敷地はこの通りに面する間口が40m、奥行が110mもある。

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>
入るとすぐに水槽のあるアトリウムがある。 そこにブロンズの牧神ファウヌスの像があることからこのように呼ばれることになったそう。 
ここにあるのはコピーでオリジナルはナポリ国立考古学博物館にある。








Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>

そしてこちらもオリジナルはナポリの博物館にあるのですが、中庭を拝めるように奥にある居間の床に、アレキサンダー大王のモザイク画がほどこされている。












ここのファウヌスの像君もえらいとこほっぽりだしてる像ですが、ここには 下写真のような オイオイって思わず突っ込んでしまいそうになる 壁画やフラスコ画が意外にたくさんある、、

ここはやっぱ ネタにいくつかおさえとかないとね(笑)

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>







ファウノの家を裏口から出て 路地を歩いて行くと、富裕な商人ヴェッティーの住居 ヴェッティーの家 Casa del Vettii があり ここには ほとんどが紀元62年の大地震後に描かれたポンペイ第四様式の絵画が豊富に見られるということで行きたかったが 残念ながら修復中でした。 マップ黄色★印
しょぼん
Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


今度は遺跡の東、右奥の方を目指してテクテク。。

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


地面はこの写真でわかるように馬車の車輪の跡がこんなにくっきり残っている。

この真ん中の大きな石3つは多分横断歩道じゃないかな。。

注意遺跡内は歩道は土で舗装されているところもあるが こういった道が多く もちろん広いので スニーカーや歩きやすい靴で行きましょう。

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


保存状態のイイ、Bar 居酒屋さんも。。

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


そして ポンペイ市域の最東端の円形闘技場 Anfiteatro と大体育場 Palestra grande に到着。
マップ黄緑★印

円形闘技場は紀元前80年に建設され、長径135m短径104m、現存する闘技場の中では最古のものだ。 


Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


観客席は下から5段、12段、18段と仕切られたスタンド席が合計35段、その上に桟敷席が置かれ20,000人を収容できたといわれる。
その観客席も半分ほどは残っていた。

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


規模はローマのコロッセオよりだいぶ小さいが こんな闘技場が紀元初期にあったとは。。

そしてこの近くに噴火時の犠牲者達の遺体が発掘された場所にレプリカがあるってことで 探すが見つからず、名札を付けたおいちゃんが歩いてたので英語で話しかけてみた、なんとすこーーし日本語知っていて交えて 教えてくれてびっくり。 マップオレンジ★印

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>
 

ここは当時農園だったようで、子供の姿もあり、こういうの見るとほんと胸が苦しく悲しい顔になるね。。

これらは 固まった火山灰の中から多数の人骨と空洞が見つかって、その空洞に石膏を流し当時の遺体の様子が復元したものだそう。



そして 最後にガイドブックなどにはのってないだろう 遺跡のてっぺんのちょっとした高台から 遺跡全貌が見れるってことで 遠いけど行ってみよーー、、

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


この眺望、、遺跡がパノラマで拝めます。マップ緑★印

ちょっと登り口がわかりにくくやはり穴場か? 人がイナーーイニコニコ ヤターー!!

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


そしてここから町と反対側を見ると、1930年前大噴火を起こした ヴェスヴィオ火山が見えます。

Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>
ちょいと噴火のことを・・

西暦79年8月24日、ポンペイから10kmほど離れたこのヴェスヴィオ火山が大爆発します。
ヴェスヴィオ火山は黒煙と大量の火山灰を撒き散らし周辺の町を襲います。
更に火山灰と一緒に岩や軽石を飛ばし、その量は毎秒数十万トンとも言われています。

8~9割の住民は何とか逃げれたらしいですが、逃げ遅れた約1000人が死亡しました。

ヴェスヴィオ火山爆発から19時間後、大量の火山灰と火山岩、更に
数度押し寄せる火砕サージにより、ポンペイは完全に地中に埋まり消滅してしまったのです。







ぐる~っと周り、フォロの西側から出て行きます。

出口付近、まだ発掘中のところが・・
Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


と、ザーーっと 書きましたが、
私たちはおよそ4時間ほどゆっくり見て回りましたが 遺跡の前で買った本を読んでいると まだ見きれていないところが ありました。。
丸1日で足りるかな~~ですかね、、

インフォメーションでも だらだら見てたらほんとキリがないので ツアーのように よいしょよいしょ、ポイントを絞ってまわるのも1つの方法ですね。
実際日本からのパックツアーではガイドさんが見どころを抑え説明してくれて 2時間ほどでまわるプランなどもあるようです。
もし個人旅行なら 私たちは青の洞窟の関係で行く日を特定できなかったんで頼めなかったんですが 事前に旅行会社などで日本語ガイドなども頼めますし、英語がわかる人は入口にガイドさんが呼び込みしているし、音声ガイドでもいいですよね。。



しかし 西暦79年とかって ちょいと調べてみたら 日本でいえば弥生時代中期~後期ってとこだって、、
日本じゃようやく水田や畑を作り農作業が始まったかってころに ここではパンを焼き、スーパー銭湯もどきがあり、居酒屋で酒を飲んだり 競技や演劇などの娯楽もしていたなんて いかに発展していたのか 驚きやね~。

そんな街が1800年も灰に埋もれていたとは 「へぇ~ほぉ~」と見ごたえ満載の遺跡でした。


そんなこんなで良く歩きました~あせる

注意こんな涼しくなった季節でもこれだけ歩いていたら のどが渇きます。夏場は必ず飲み物を持参しましょう。

またこの落書きだらけの電車でナポリに帰りましたよ~~ニコニコ
Deutsche Zwergenkueche <こびとの台所 in Deutschland>


この日のびっくり美味しかった夕飯の様子は次号で~~ナイフとフォーク




にほんブログ村 海外生活ブログ ドイツ情報へ
にほんブログ村
↑ブログランキングに参加しました
ポチッと押してもらえると嬉しいです音譜