みなさ~ん 父の日が今度の日曜日って知ってました
私先週かと思ってて プレゼントも早々についてしまいました、、
まぁ 大したものやないんですが、、
ということで、遠く離れている父にこの場を借りて 父の日メッセージでも
っとその前に私の父のことを少し書きたいと思います
父、○男さんはたびたびここでも登場していますが、
先日も帰省のときに私に新鮮なお魚を食べさせてあげようと 船を借り京都港から釣りにわざわざ出かけるようなマメな父です。
電話やskypeの度に「お米まだある??」「他にいるものあるか~送るで~」と 毎回聞く父ですそれも 週に1回くらい(笑)
その父、私の周りの友人や以前の職場や同僚間では「○男ちゃん」と “ちゃん” 付けでよばれるほど有名なんですが 別に面白い人ってわけではないんですよ、ただ 私が言うのもなんなんですが “娘(私)をおもう父バカキャラ全開” ってんで 有名でした(笑)
私の上司までも 姿を見ると「あ、○男ちゃん、、」って
私の携帯にしょっちゅう電話がかかってくるんです、別に帰りが遅いとかじゃなくても・・(携帯のディスプレイに「○○ ○男」とフルネームで着歴が出るので周りの人はすぐにわかります)、
仕事場(私は病院に勤めていました)には何かと現れる ニコニコ~っと(いや これは私がちょっと届けてほしいものや 家族の誰かが病院にかかったとか そんなのもあるんですが なんかおやつ持ってきてくれることもありました)
まぁ こんなんはどちらのお父様でもあり得ることなんですが
子供のころからそれまでのエピソードを知ると、何か父が私にすると 「もぉ~また○男ちゃ~ん(^_^;)」と言いたくなるようです。。
今日はそのエピソードの中でも上位にくい込む1つを書きたいと思います
題して 「○男 えり姉救出のために!の巻」って、題するほどのもんじゃぁありまへんけど
あれは私が高2の秋、塾の帰りのことです。
電車で帰ってきていたんですが その日は台風がきていたようで 夜、突風と大雨に見まわれました。
帰り、夜8時頃だったでしょうか、私の乗っていた快速電車が止まってしまったのです。
まぁ災難な話ですが
強風のための処置だったんでしょう、それも 駅ではなく駅と駅の間で、、
その日はたまたま高校の体育祭で私も疲れていて最悪でした。
少ししたら動くだろうと思っていたのにその気配なく
電車は満員ではなかったけれど 立っている人もいたので みなブーブーです。
私も疲れてしゃがみこんでいました、
お腹もすいたし、、2時間近く経ったころでしょうか
車内放送で
「○○ えり○さん 、○○ えり○さん この電車に乗っておられますでしょうか?
おられましたら 近くの駅員もしくは先頭の運転室まで お越しください。」
と 耳を疑うような放送が、、Σ(゚д゚;)
驚いて 「あ、私やヽ(*'0'*)ツ」ってな反応をしてしまった わたし、、
高2っちゅうたら思春期の頃 恥ずかしくてすぐに駅員さんを探しに 先頭のほうに向かいました。
突然やしビックリ恥ずかしいが先にたって、なんで放送されたのか考える余地もなく、、
そして 途中で駅員さんを見つけ 「あの、、放送された ○○ えり○ ですが、、」と言うと
またまた 駅員さんから 耳を疑うよう発言が、、
「あ、良かった、、いや 実は お父様が お見えで、、」
は??
「娘さんを探されて あなたのお父様が 来られてるんですが、、」
もう ビックリです、、
そして窓から外を見ると 横殴りの雨の中うっすら 傘なんかさせませんよー、突風にあおられ豪雨に打たれているカッパを着た父の姿が・・
そうなんです ○男さん、なかなか帰らない私を心配し、電車が止まってるってのをニュースか何かで知り もしかして閉じ込められてるんかも・・って その電車を探して迎えに来たってわけです。
しかもこの電車普通の場所に止まってたんではなく ちょうどこの駅間(地元の人はおわかりかな、舞子⇔朝霧間)のちょいと高台 崖になってるところだったんですね、、
崖の下は大きな国道で ○男さんその国道に車を止めて その崖を登ってきたんですわー
私は何が何だか、、ってときに さらに駅員さんが
「あの、お父様 娘さんを降ろしてほしいと言われてるんですが、規則でそれが出来ないので、次の駅に着けば降りれますので そこでお待ちいただけるよう説得してください。」と、、
説得??
これまた 父は「何でここまで来てるのに降ろせないんだー、とにかく娘を探して話しさせて欲しい」と駅員さんに訴えていたそうなんです。
JR側も決まりがあるんでしょう、それに1人だけ特別に降ろすと他の人も降ろせ―と 暴れられては困るだろうし、、
で、私は運転席だったか窓からだったか忘れたけど 父に無事を伝え、次の駅で待っててくれるよう伝え、母が持たせてくれたんでしょう、飲み物とおにぎりかを受け取りました。
父も私の顔を見て安心したのか そのまま また暴風雨の中崖を降りて次の駅で待っててくれました。
私も父を見てホッとして出来ることなら窓から出て帰りたかったよ、、
でも そうもいかず、、
その後はまぁ周りの人にジロジロ見られ もぅ恥ずかしいやんY(>_<、)Yって思ったけど 後になって思うと そこまでして探しに来てくれたことがすごく嬉しかったですね。
結局その後まだ2時間ほど動かなくて 4時間以上閉じ込められていました。
やっと動き 次の駅までノロノロ走り、ホームで○男さんが心配そうに待っててくれ帰れました。
まぁ 悲惨と言うか運悪い事件だったんですが このことを話すとき 4時間閉じ込められていたってことより ○男さんが迎えに来たってのがかなり印象的ですね(笑)
と、こんなこともあり~の、昔から父親っ子だった私は 思春期や反抗期で父を避けるようなこともなく 仲の良い親子でしたから 甘やかされていたんですかね、、
そんな○男さんですがよく外国人との結婚を許し その後ドイツ行きを承諾してくれたもので、、
まだこの辺のおもしろ?エピソードは追々書けたら、、
○男さんや○子さんが見ると 「こんなん書いてー」っておこられるかもしれませんが・・(^_^;)
話がだいぶんそれてしまいましたね、スイマセン
離れて ましてや海外で暮らしてらっしゃる方はきっと同じ気持ちだと思いますが
やはり もう歳もトシだし、体のことが一番心配ですよね、
何かあったとき、すぐに 数分で駆けつけれないしって、、
そんなことを考えたくもないですが もし何かの時に。。
以前、私の結婚式数日前に父が心筋梗塞の発作で病院に運ばれたことがあったんです、
その発作の時に母から電話をもらい、すぐに私の勤務してる病院に連絡して観てもらえたんでよかったんですが
その電話をもらって私が病院に駆けつけるほんの10分か15分の間でさえ生きた心地がしなくて、着いてしばらくして私の顔全部にジンマシンが(゚Ω゚;)
心配のあまり 極度のストレスで出たんだろうと、、
数日後結婚式の花嫁の顔に、、幸い その後父の無事を知り 1,2日で治まったんですが。。
数分でそんなやのに ここからだと 最低12時間いや、もっとかかるんだから全身ジンマシンになっちゃうよ(>_<)
じゃなくて そんなことがあっては嫌だ、、
だから お父さん、身体だけは気を付けて下さい。
まだまだ趣味も多く定年過ぎても仕事をして田んぼもして 元気なんですが ほんとそれが一番心配です。
たばこの吸いすぎ、食べ過ぎにも気を付けて 健康診断もちゃんと行ってね。
遠くに住む娘からのお願いです。
こんなに遠く離れて親不孝な娘やけど 家族を心配し想う気持ちは大です、、
もちろんお母さんへの心配も同じです。そして 母が私を思う気持ちもよぉくわかってます。
ここでちょっとお腹壊したとか書いてもすぐ電話してくれるお母さん、、
私がこっちに来る前 「私らはエエねん あの子に何かあっても駆けつけてあげられない」って 親戚のおばちゃんに泣きながら話してるのを陰で聞いた時はほんとに胸が痛かった。
お母さんがそう心配してくれてるのと同じ 私も心配しています。
これからも2人仲良く 健康でずっとず~っと長生きしてくれることを願っています。ほんとに、、
最近は孫っち、かんわいいマナちゃんがいるので そちらに夢中でちょいと寂しい気もしますが
私が帰省の時には そりゃもう毎日 「えり○がいるから アレ食べさしたろ」 「あ、アレ作ったって、」って作るのは○子さんですよ、、○男さんは言うだけですが これまた食べモノばかりですが、、(^_^;)
ありがとう お父さん、お母さん、 これからも よろしくね
なかなか面と向かって言えないことをかかせていただきました、、
最後に私的なメッセージのようなこんな記事を読んで下さったみなさま ありがとうございましたm(u_u)m
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私先週かと思ってて プレゼントも早々についてしまいました、、
まぁ 大したものやないんですが、、
ということで、遠く離れている父にこの場を借りて 父の日メッセージでも
っとその前に私の父のことを少し書きたいと思います
父、○男さんはたびたびここでも登場していますが、
先日も帰省のときに私に新鮮なお魚を食べさせてあげようと 船を借り京都港から釣りにわざわざ出かけるようなマメな父です。
電話やskypeの度に「お米まだある??」「他にいるものあるか~送るで~」と 毎回聞く父ですそれも 週に1回くらい(笑)
その父、私の周りの友人や以前の職場や同僚間では「○男ちゃん」と “ちゃん” 付けでよばれるほど有名なんですが 別に面白い人ってわけではないんですよ、ただ 私が言うのもなんなんですが “娘(私)をおもう父バカキャラ全開” ってんで 有名でした(笑)
私の上司までも 姿を見ると「あ、○男ちゃん、、」って
私の携帯にしょっちゅう電話がかかってくるんです、別に帰りが遅いとかじゃなくても・・(携帯のディスプレイに「○○ ○男」とフルネームで着歴が出るので周りの人はすぐにわかります)、
仕事場(私は病院に勤めていました)には何かと現れる ニコニコ~っと(いや これは私がちょっと届けてほしいものや 家族の誰かが病院にかかったとか そんなのもあるんですが なんかおやつ持ってきてくれることもありました)
まぁ こんなんはどちらのお父様でもあり得ることなんですが
子供のころからそれまでのエピソードを知ると、何か父が私にすると 「もぉ~また○男ちゃ~ん(^_^;)」と言いたくなるようです。。
今日はそのエピソードの中でも上位にくい込む1つを書きたいと思います
題して 「○男 えり姉救出のために!の巻」って、題するほどのもんじゃぁありまへんけど
あれは私が高2の秋、塾の帰りのことです。
電車で帰ってきていたんですが その日は台風がきていたようで 夜、突風と大雨に見まわれました。
帰り、夜8時頃だったでしょうか、私の乗っていた快速電車が止まってしまったのです。
まぁ災難な話ですが
強風のための処置だったんでしょう、それも 駅ではなく駅と駅の間で、、
その日はたまたま高校の体育祭で私も疲れていて最悪でした。
少ししたら動くだろうと思っていたのにその気配なく
電車は満員ではなかったけれど 立っている人もいたので みなブーブーです。
私も疲れてしゃがみこんでいました、
お腹もすいたし、、2時間近く経ったころでしょうか
車内放送で
「○○ えり○さん 、○○ えり○さん この電車に乗っておられますでしょうか?
おられましたら 近くの駅員もしくは先頭の運転室まで お越しください。」
と 耳を疑うような放送が、、Σ(゚д゚;)
驚いて 「あ、私やヽ(*'0'*)ツ」ってな反応をしてしまった わたし、、
高2っちゅうたら思春期の頃 恥ずかしくてすぐに駅員さんを探しに 先頭のほうに向かいました。
突然やしビックリ恥ずかしいが先にたって、なんで放送されたのか考える余地もなく、、
そして 途中で駅員さんを見つけ 「あの、、放送された ○○ えり○ ですが、、」と言うと
またまた 駅員さんから 耳を疑うよう発言が、、
「あ、良かった、、いや 実は お父様が お見えで、、」
は??
「娘さんを探されて あなたのお父様が 来られてるんですが、、」
もう ビックリです、、
そして窓から外を見ると 横殴りの雨の中うっすら 傘なんかさせませんよー、突風にあおられ豪雨に打たれているカッパを着た父の姿が・・
そうなんです ○男さん、なかなか帰らない私を心配し、電車が止まってるってのをニュースか何かで知り もしかして閉じ込められてるんかも・・って その電車を探して迎えに来たってわけです。
しかもこの電車普通の場所に止まってたんではなく ちょうどこの駅間(地元の人はおわかりかな、舞子⇔朝霧間)のちょいと高台 崖になってるところだったんですね、、
崖の下は大きな国道で ○男さんその国道に車を止めて その崖を登ってきたんですわー
私は何が何だか、、ってときに さらに駅員さんが
「あの、お父様 娘さんを降ろしてほしいと言われてるんですが、規則でそれが出来ないので、次の駅に着けば降りれますので そこでお待ちいただけるよう説得してください。」と、、
説得??
これまた 父は「何でここまで来てるのに降ろせないんだー、とにかく娘を探して話しさせて欲しい」と駅員さんに訴えていたそうなんです。
JR側も決まりがあるんでしょう、それに1人だけ特別に降ろすと他の人も降ろせ―と 暴れられては困るだろうし、、
で、私は運転席だったか窓からだったか忘れたけど 父に無事を伝え、次の駅で待っててくれるよう伝え、母が持たせてくれたんでしょう、飲み物とおにぎりかを受け取りました。
父も私の顔を見て安心したのか そのまま また暴風雨の中崖を降りて次の駅で待っててくれました。
私も父を見てホッとして出来ることなら窓から出て帰りたかったよ、、
でも そうもいかず、、
その後はまぁ周りの人にジロジロ見られ もぅ恥ずかしいやんY(>_<、)Yって思ったけど 後になって思うと そこまでして探しに来てくれたことがすごく嬉しかったですね。
結局その後まだ2時間ほど動かなくて 4時間以上閉じ込められていました。
やっと動き 次の駅までノロノロ走り、ホームで○男さんが心配そうに待っててくれ帰れました。
まぁ 悲惨と言うか運悪い事件だったんですが このことを話すとき 4時間閉じ込められていたってことより ○男さんが迎えに来たってのがかなり印象的ですね(笑)
と、こんなこともあり~の、昔から父親っ子だった私は 思春期や反抗期で父を避けるようなこともなく 仲の良い親子でしたから 甘やかされていたんですかね、、
そんな○男さんですがよく外国人との結婚を許し その後ドイツ行きを承諾してくれたもので、、
まだこの辺のおもしろ?エピソードは追々書けたら、、
○男さんや○子さんが見ると 「こんなん書いてー」っておこられるかもしれませんが・・(^_^;)
話がだいぶんそれてしまいましたね、スイマセン
離れて ましてや海外で暮らしてらっしゃる方はきっと同じ気持ちだと思いますが
やはり もう歳もトシだし、体のことが一番心配ですよね、
何かあったとき、すぐに 数分で駆けつけれないしって、、
そんなことを考えたくもないですが もし何かの時に。。
以前、私の結婚式数日前に父が心筋梗塞の発作で病院に運ばれたことがあったんです、
その発作の時に母から電話をもらい、すぐに私の勤務してる病院に連絡して観てもらえたんでよかったんですが
その電話をもらって私が病院に駆けつけるほんの10分か15分の間でさえ生きた心地がしなくて、着いてしばらくして私の顔全部にジンマシンが(゚Ω゚;)
心配のあまり 極度のストレスで出たんだろうと、、
数日後結婚式の花嫁の顔に、、幸い その後父の無事を知り 1,2日で治まったんですが。。
数分でそんなやのに ここからだと 最低12時間いや、もっとかかるんだから全身ジンマシンになっちゃうよ(>_<)
じゃなくて そんなことがあっては嫌だ、、
だから お父さん、身体だけは気を付けて下さい。
まだまだ趣味も多く定年過ぎても仕事をして田んぼもして 元気なんですが ほんとそれが一番心配です。
たばこの吸いすぎ、食べ過ぎにも気を付けて 健康診断もちゃんと行ってね。
遠くに住む娘からのお願いです。
こんなに遠く離れて親不孝な娘やけど 家族を心配し想う気持ちは大です、、
もちろんお母さんへの心配も同じです。そして 母が私を思う気持ちもよぉくわかってます。
ここでちょっとお腹壊したとか書いてもすぐ電話してくれるお母さん、、
私がこっちに来る前 「私らはエエねん あの子に何かあっても駆けつけてあげられない」って 親戚のおばちゃんに泣きながら話してるのを陰で聞いた時はほんとに胸が痛かった。
お母さんがそう心配してくれてるのと同じ 私も心配しています。
これからも2人仲良く 健康でずっとず~っと長生きしてくれることを願っています。ほんとに、、
最近は孫っち、かんわいいマナちゃんがいるので そちらに夢中でちょいと寂しい気もしますが
私が帰省の時には そりゃもう毎日 「えり○がいるから アレ食べさしたろ」 「あ、アレ作ったって、」って作るのは○子さんですよ、、○男さんは言うだけですが これまた食べモノばかりですが、、(^_^;)
ありがとう お父さん、お母さん、 これからも よろしくね
なかなか面と向かって言えないことをかかせていただきました、、
最後に私的なメッセージのようなこんな記事を読んで下さったみなさま ありがとうございましたm(u_u)m
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